第582話 悲しい夢①

 ネオンを連れての帰り道はより危険が伴う。

 食事も水も与えられていなかったらしく、彼女は弱っていた。また魔力を乱す首輪も付けられている。そのため回復力も弱い。筋肉も固まっているため支えてあげなければならない。



「すみません。首輪を外すことができればよかったのですが」

「いえ。助かりました」



 鎖は劔撃ミネルヴァで断つことができた。だが枷の部分は肌に密着しているため、無理に壊すことができない。鍵を探すのも手間なので、脱出を優先することにしたのだ。

 しかしながら一切見つからずに、というのは不可能だ。

 特にスルザーラはここに来るまでの間に一人の研究員らしき男を殺害している。その遺体は隠さず、そのままにしてきた。ネオンの枷を外している間に見つけられてしまったらしい。



「な、何者か!」

「馬鹿! 侵入者に決まっているだろ!」



 見つかってしまうのは必然であった。

 しかしながら研究員と思しき人物ばかり。ルークの敵ではない。嵐唱バアルの力を使うまでもなく、ただの剣術で殺していった。一人ずつ、その肉を断っていく。



(殺さないと。世界の、悪をッ!)



 彼らは無抵抗な人間だ。

 悲鳴を上げ、逃げ惑い、命乞いをしている。だがそれでも殺さなければならない。殺す必要がある。ルークはスルザーラの言葉を思い出し、自分の行いを正当化する。

 気持ちの良い行いではない。

 これまでのように敵は兵士でも魔族でもないのだから。



「行こう」



 返り血を浴びたルークは先に進む。

 ネオンのこともあるので走らず、ゆっくりとだ。そうするとここまで降りてきた階段が見つかったので、そこを上がっていく。幸いにもそこでは人と出くわすことがなかった。



「カーミラ、どうなったかな」

「分からない。少なくとも持ちこたえてくれていることを願おう。彼女の強さはよく知っている」

「カーミラもきていたのですか?」

「はい。魔族を引き留めるために残っています」



 蟲魔域では厄災の魔物すらも一人で倒し続けた彼女だ。その強さは保証されているし、信頼もしている。あれだけの魔族を相手にしても負けるとは思えない。



「大丈夫だ。カーミラなら一人で倒してしまっているかもな」

「ふふ……そうかもしれませんね」

「早く合流してネオンの無事を見せてやらないと」



 記憶を頼りに来た道を戻っていく。

 幸いにも一点賭けで奥を目指していたので、道に迷うことはない。だがここでルークは立ち止まった。先の通路から足音が聞こえたからだ。

 先ほどまで魔神教団員を皆殺しにしてきた。

 隠れるという選択肢はなかった。思いつかなかったのだ。ただ嵐唱バアルを構え、いつでも踏み込めるようにして待ち構える。



「スルザーラ、一応後ろも警戒しておいてくれ」

「分かっている」



 足音は近づいている。

 すぐ先にある十字路の、おそらく右側から近づいている。

 ルークはじっとその時を待ち、集中した。そして通路の右側から何かの影が現れた瞬間、一気に踏み込んで突きを放つ。ほとんどなにも確認せずの攻撃だった。



「待て!」



 後ろからスルザーラが制止する声が聴こえた。《視覚》の祝福ベルカを持つ彼だからこそ気付けた。だから警告しようとした。

 しかしもうルークは止まれない。勢いのまま突撃し、顔に強い衝撃を受けて吹き飛ばされる。そのまま通路の壁に叩きつけられてしまった。一瞬呼吸が止まり、そのせいで蹲ってしまう。



「いきなり攻撃か」

「驚イタナ」



 そして聞こえる二つの似たような声。

 ルークはゆっくりと顔を上げる。

 そこには四つの腕を有する、二面の化け物がいた。頭部は猫のようであり、その内の前にある顔がルークを見下ろしていた。瘦せ細った力の弱そうな身体だ。しかし放たれる重圧が警戒心を強くさせる。

 おそらくは魔族。すぐにその答えへと至った。

 またネオンがより詳細を教えてくれる。



「離れてください! その魔族は睡蓮魔仙! 魔神側近の業魔族です!」

「ナルホド。我々ヲ知ル者モイタヨウダナ」

「我々はあまり表に出ないのだが」

「ソノ女ハ捕ラエテイタ聖守カ。ナラバ我々ノ姿ヲ知ッテイル理由モ納得デキル」

「再び捕らえねばな。ついでに男二人も捕まえておこう。新しい同胞になるやもしれん」



 ルークはその場から飛び下がり、すぐに同化した。その身に嵐の鎧をまとって、嵐唱バアルの刃には雷を宿らせる。



「気持ち悪い魔族だな……」

「気を付けろルーク。七仙業魔は桁違いの強さだ。記録によれば睡蓮魔仙は眠らせる魔術を使うらしい」

「……いや、どう気を付けるんだよ」

「とにかく気を付けろ」



 通路はそれほど幅もない。

 ルークと違ってスルザーラは劔撃ミネルヴァを振り回すのが難しい。弓形態での援護が主体となるだろう。また彼には大聖石を用いた多彩な魔術もあるので、その方が適している。ルークは手加減など考えず、最大の出力で雷を溜めた。

 切先をまっすぐ睡蓮魔仙に向け、いつでも放てるようにする。



「我々は七仙業魔の一角、睡蓮魔仙のバステレト」

「大人シク眠レ。目覚メタ時、魔族トシテ生マレ変ワッテイルダロウ」

「お断りだ」



 嵐唱バアルの切先から雷撃が飛ぶ。

 回避どころか反応すら難しい雷の攻撃だ。それに加えてスルザーラも劔撃ミネルヴァの魔力矢を放っていた。まずは雷が睡蓮魔仙を貫き、焼き焦がす。続けて飛来した魔力矢が右側の腕を二本とも消し飛ばしたのだ。

 その隙にルークが踏み込み、強烈な雷の斬撃を以て焼き切る。

 睡蓮魔仙は激しい電撃のために痙攣し、二つの頭部が悲鳴の二重奏を奏でた。



「終わりだ魔族!」



 ルークは今の間に再び雷を溜め、胸を突く。

 心臓部は全ての魔族にとっての弱点、魔石が存在する。それさえ破壊してしまえば、魔族は滅びに向かう。逆にそれ以外に殺す方法はない。

 嵐唱バアルの青い刃が貫き、雷撃が全身を焼いた。

 引き抜くと睡蓮魔仙は後ずさりする。そして手を伸ばし、苦しみ呻いた。それからすぐに体の端部から塵となって、消失していく。やがて煙のように消えてなくなった。



「あれ? 勝った……?」



 あまりにもあっさりとした勝利だ。

 逆に困惑してしまう。しかし実際に睡蓮魔仙は影も形もなくなり、気配も消えた。だがネオンは鋭い声で警告する。



「まだです! まだ倒していません!」

「え?」

「魔族は滅びても死体が残ります。消えてなくなるのは魔物だけです!」

「そうか!」



 しかし警戒には遅かったようだ。

 突然、周囲の景色が変容する。真っ黒に塗り潰され、空気も冷たくなった。一切の光が消え去り、自分の手足すら見えない。



「ネオン! スルザーラ!」



 すぐに名を呼ぶが、返事はない。

 また声が反響することもない。叫びは暗闇へと吸い込まれていく。今いる地下は、少し大きな声を出せば反響していたはずだ。それがない。

 そこで試しに手を伸ばし、壁があったはずの方へと足を進める。しかし二十歩、三十歩と進んでも壁に当たることがない。ただ光が消えたのではない。空間そのものが変わっていた。



(二人もいない。俺だけが飛ばされた……? 空間転移ってやつか?)



 そういった魔術が存在しているということは事前に知っていた。そうでなければもっと混乱していただろう。しかし厄介なことには変わりない。周囲の景色は全く分からない。また壁らしきものもないので、ここが室内かどうかもわからない。

 最悪、迷宮のどこかに飛ばされてしまった可能性もある。



「おい! 誰か! 誰かいるのか!?」



 返事もなければ声の反響もない。

 本当に何もない。何の気配もない。これだけ何も反応がなければ不安になってくる。そしてようやく気が付いた。



「あれ? 嵐唱バアル……?」



 神器ルシスすらも反応しない。

 今までこんなことはなかった。魔力を込めても、呼びかけても声を発しない。それによくよく感覚を研ぎ澄ませれば、同化も解けている。

 闇の中で孤独となってしまった。

 それが少しずつルークの心を苛んでいく。



「いないのか? 本当に誰も?」



 何度そう呼びかけただろうか。

 遠くで小さな明かりが見えた。ぼんやりと浮かぶ光はまさしく希望であった。ルークは何も考えず走り出し、その光を追いかける。光は徐々に近づき、また大きくなっていった。

 そして飛び込むようにして光の中へと入った。

 景色が一変する。



「ここは……イルデラントのレビュノス? なんで……」



 見覚えのある景色だった。

 今は焼かれた故郷の街。アスラン王国の北部辺境レビュノス領だ。そして振り返ればレビュノス家の屋敷まである。少しひび割れてしまった壁も、庭で育てた花も、廃棄した訓練用の木剣も、全てあの日のまま。記憶に残る最後の屋敷だった。

 あり得ない景色だ。

 もう消えてしまって元に戻らない景色だ。



「どういうことだ? なんで屋敷が……?」



 街の方からは喧騒が伝わってくる。

 庭では見覚えのある使用人たちが洗濯物を干しており、裏庭の方からは私兵たちが訓練する声が聴こえる。何気なく感じていた日常が、今は懐かしい。煩わしいと思っていたものにすら愛着を覚える。



「ルーク? どうしたのですか?」



 思わず振り返る。

 そして目を見開いた。

 あり得ない場所に、あり得ない人物がいる。



「ネオン……どうしてここに」

「どうしてって……妻がここにいちゃダメ?」



 彼女は少し大きくなったお腹を撫でつつ、そんなことを言った。






 ◆◆◆






「眠れ眠れ。心地よい世界の中で、安寧の中で」

「目覚メハ訪レナイガナ」



 睡蓮魔仙は二重の声で嗤う。

 足元ではルーク、スルザーラ、ネオンが倒れていた。しかし死んではいない。胸はゆっくり上下しており、眠っているということが分かる。魔族を前にして完全な無防備を晒していた。



「殺スノカ?」

神器ルシス持ちは素体として優秀だ」

「上ノ騒ギガ収マレバ、コイツラモ魔族ニ変エルトイウコトカ」



 奥へと運ぶため、睡蓮魔仙は四つの腕を伸ばした。





 ◆◆◆





 カーミラによって異界へと引きずり込まれた魔族たちは、時間と共に身体が血晶化しており、死が近いづいていることを実感していた。



「あり得ない! あり得ない! いったいこの世界は!?」

「あなたがたの死に場所です。臨血」



 赤い衝撃波がグリムを襲う。血晶化した背中の手が砕け散り、傷口からは血が噴き出る。それらは一瞬で結晶化して、再びグリムへと降り注いだ。巨体となってしまった今のグリムに回避の術はなく、鋭い血の結晶が次々と突き刺さった。

 痛みに呻きつつ再生させようとするも、傷口が血晶化してしまって治らない。



「仕方あるまい。こうなっては若手の助けとなろう。儂らも座して滅びを待つわけにもいくまい」

「然り。然りよの」

「久しく力を振るう。血沸き、肉躍るわい」

「敵は吸血種ノスフェラトゥだ。血に毒でも混ぜてやろう」



 見かねた元老セネスたちも参戦し始める。彼らもまた、この世界では拒絶される運命だ。吸血種ノスフェラトゥ以外を死に至らしめる瘴血の毒が蔓延しており、ただ存在するだけで身体が血晶化していく。流石にこの状況でグリムの力を見たい、などと呑気なことは考えていられなかった。

 まず獅子のような元老セネス魔族がカーミラに爪を伸ばした。その俊敏さは勿論だが、何よりも驚異的なのは静止状態から最高速度に到達するまでが一瞬であったことだ。鋭い爪がカーミラの背中に深い傷を付ける。



「む?」



 だが獅子の元老セネスは手応えのなさに怪訝な声を出してしまった。その直後、カーミラの身体が消失して霧になっていく。赤い霧は瞬時に大量の蝙蝠へと変身し、獅子の元老セネスの背後に回り込んで元の姿に戻った。

 カーミラは蛮骨を叩きつけ、その勢いのままに巻き付ける。蛮骨はある男の背骨から作り出した鞭に近い剣だ。その表面には血晶の刃が張り付いており、巻き付ければその刃が食い込むこととなる。当然、獅子の元老セネスは苦痛で呻いた。



「終わりです」



 そしてカーミラはもう片方の手に別の血晶武装を出現させる。かつてサンドラの吸血種ノスフェラトゥから奪った槍、血の茨だ。逆手持ちしたそれを獅子の元老セネスに差し込んだ瞬間、内側から無数の赤い茨が生え出て全身を貫いた。

 魔石は容易く砕かれ滅びに至る。

 またカーミラは周囲に臨血を複数放ち、赤い霧の爆発で牽制と攻撃をする。周囲が濃い霧によって隠され、カーミラはそこに紛れた。



「なるほどの。始祖は侮れぬ、ということか」

「教祖様、解廊鍵クロルエインで脱出するべきです」

「愚か者め。アレは迷宮内を自由に移動するための力。ここは迷宮とは異なる場所。地上を含め、異界では使えぬ」



 その間にまた一人、元老セネスが殺された。霧で隠れ、背後から蛮骨で胸部を削り飛ばされたのだ。また噴き出た血を支配下に置き、その性質によって変化させる。殺害した元老セネスは翼を持つ獣であった。生まれた血の眷属は翼のある狼のようなナニカ。

 それらは一斉に散って他の元老セネスをも襲い始める。



「ほう。眷属勝負も面白い」



 九尾魔仙は自身の影を広げ、そこから怪物たちを解き放つ。単眼重瞳の怪物たちは、赤い月の世界を埋め尽くすほどに増えた。それらの一部はカーミラや血の眷属を攻撃し、それ以外は周囲に並んで一斉に歌い始める。



『Th Lrd sa shphrd, nd Ir hv nthng toh lck. Th Lrd wll rst mr inh th fld――』



 理解のできない発音により奏でられる呪いの歌。

 だがこれは魔術の儀式でもある。強い魔力が集まり、たった一人では賄えない瞬間出力を実現する。魔力は強烈な電気エネルギーへと変換され、カーミラの頭上で閃いた。



「これはどうかの。主は勝利するユーハーヴェハ・イスラー



 魔神に奉げるべき勝利の歌。

 それがカーミラへと降り注ぐ。血晶の盾で身を守るも、強烈な落雷がそれすら破壊して降り注いだ。離れていても伝わる肌の痛み。元老セネスたちは固唾を飲んで跡地に注目した。

 まさしく必殺の一撃だった。

 霧が少しずつ晴れて、その跡地の惨状がようやく目視できるようになる。そこには血晶の塊が残るのみ。まるで四散した血肉がそのまま凝固したようだ。勿論、カーミラの強い魔力もない。



「ほう。流石に死んだか」



 それに呼応してカーミラが作り出した血の眷属、翼の狼も霧となって消えていく。残る問題はこの世界から脱出できるかどうか。それだけだった。

 元老セネスたちが安堵する中、九尾魔仙は考える。どうすればこの世界から脱出できるのだろうかと。

 そんな思慮を重ねていたがゆえに気づけなかった。

 背後から強い衝撃を受ける。

 遅れて焼けるような痛みが胸を貫く。

 視線を落とせば、真っ赤な穂先が胸の中心から突き出ていた。そこから自身の血が滴っており、地面に滴下するよりも早く血晶の粒となって転がる。



「油断しましたね」

「馬鹿な……お主は死んだはず」

「はい、死にましたね。次はそちらの番ですが」

「……ふん。妾としたことが侮ったか。覚えておれよ小娘。妾がこの程度で――」



 九尾魔仙の全身を血の茨が貫いた。内側から血晶の茨が身体を引き裂き、吸収した血を養分として更なる成長を遂げる。彼女の身体は少しずつ、塵となって砕けていった。


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