第580話 魔神教団、元老

 この夜は炎帝ヘルダルフにとっても特別である。

 自ら戦場に出て、封魔連合王国を崩壊させるのだ。まさに趨勢を決する大作戦である。このために様々な力を集め、計画を練ってきた。流石の炎帝も緊張する。そんな時、彼は揺れる炎を眺めながら酒を飲む。



「ふん。この国も大きくなったものよ。なぁ『死』の王よ」

「なんだ? お前も感傷に浸るくらいのことはするのか?」

「我とて懐かしむことはある。明日、世界を変えるのだからな」



 晩酌の相手をするのはシュウであった。

 表向きは人間の宮廷魔術師ということになっているが、炎帝は当然ながら正体を知っている。なぜなら、二百年前にも顔を合わせているからだ。



「だが貴様の正体を知ったときは驚いたものだ。ただの暗殺者風情と思っておったからな」

「お前が俺の顔を覚えていたことの方が驚きだがな」

「ふん。それも王者に必要なこと。昔は今のように紙も潤沢ではなかったからな」



 炎帝は独裁者として恐れられている一方、優秀な施政者でもある。独裁色の強い統治だったが、サンドラを大国にまで発展させた実績は確かだ。



「この夜は分岐点だ。世界は我のものになる。だが我とて『死』の王を前に傲慢ではいられん。この大切な前夜に一つ問いたい。そのために酒の席に誘ったのだ」

「へぇ? 謙虚だな」

「今はまだ屈辱に耐え忍ぼう。始祖の支配から逃れた我は、やがて神すらも超える。貴様のような神をな」



 二人の間にある火が激しさを増す。

 まるで炎帝の激情を現しているかのようだ。だが、シュウは全く動じない。いずれ倒すという宣言すらも涼しく流す。不可能だと告げているようで、それが炎帝にとって腹立たしい。



「まぁよい……本題とはこれだ。『死』の王が思い描く正しき世界の姿とは何だ?」

「えらく抽象的だな」

「概念的な絵空事を具体的にするのが王の役目だ」

「なるほど。一理ある」



 炎帝はしっかりとした眼差しを向けている。

 はぐらかすなと念押ししているのかもしれない。



「正しい世界ってのは難しい。だから俺は邪魔な奴を滅ぼしていく。そうすれば理想に近づくさ」

「その対象に我の帝国が入っていなければ良いがな」

「お前次第だ」

「ふん。我はお前たちの顔色を窺うつもりはない。我のための帝国を未来永劫、繫栄させる」

「そうか……」



 言葉が途切れる。

 炎が揺れる。

 燃料をくべるように、炎帝は酒を流し込んだ。



「まずは世界征服、次に魔神の討伐、そして始祖の討伐、最後はお前だ」

「カーミラと仲良くする気はないのか」

「ありえん。天上天下、この我をおいて上に立つものなど許さぬ。地の泥を舐める屈辱を味わおうとも、いずれその座から引きずり降ろしてくれる」



 野心は底なしか、とシュウは呟く。

 その言葉は風に運ばれ、消えていった。

 炎帝にとって始祖も神もいずれ敵対する存在らしい。自身こそが全ての頂点に立ち、あらゆる存在を見下し、あらゆる生命を支配する。それが炎帝にとっての正しい世界ということだろう。



「冥王アークライトよ。我は貴様を超える。死すらも超克する」

「そうか。明日、足元を掬われなければいいがな」

「ほざけ」



 前夜の帝都は静かなものだった。

 リベラストラの事件が報告されるまでは。





 ◆◆◆





 カーミラは遭遇した人間を確認もせずに殺し、《憑霊フール》で操っていく。また吸血により記憶を読み解き、ネオンが捕らえられている場所も見つけていた。

 幾つか通路を曲がった後、初めて広い空間に出る。

 だがカーミラはその部屋に入る前に立ち止まり、二人を制した。



「少し待ってください。魔族です」



 通路の陰に身を隠し、一度感知に集中する。ルークとスルザーラは指示に従い、とにかく身を隠した。しばらくしてカーミラが中の様子を説明する。



「合計六体。かなり強い魔族ですね。魔力量が相当なものです」

「ここで魔族かよ。俺たちより多いな。どうするんだ?」

「ここは必ず通らなければなりませんね。どうやら談話室のようです。戦いは必至でしょう。ルークさん、一瞬だけ顔を出して魔族の容姿について確認をお願いします。腕や首などに布を巻いていると思いますので、その模様を教えてください」

「模様?」

「はい。私の予想が正しければ四ツ目の模様です」

「分かった。見てみる」

「いや、私がやろう。私は《視覚》の祝福ベルカ持ちだ。瞬時に見抜く自信がある」



 そう言ってスルザーラは息を整え、よくよく耳を澄ませる。

 視覚の次に多い情報は聴覚だ。足音、息遣い、布擦れなどが気配となって伝わる。ここからでも話し声は聞こえているが、内容まではよく分からない。ただ楽しく歓談しているであろうことだけは分かった。覚悟を決め、本当に一瞬だけ顔を出す。



「カーミラの言った通りだった。彼らは全員……おそらく全員が四ツ目を染め抜いた布を巻いている。これはどういう意味だ? あれは確か魔神教団が掲げる紋章シンボルだろう? 四瞳印しどういんと言ったか?」

「その通りです。そしてあれを身に着けることができる人物は限られています。魔神教団において特に功績を残した幹部たち。かつて三導師エヴァンスだった者もいるでしょう。働きが認められ、魔族になった元人間です」

「なるほどな。長老たちというわけか」

「言えて妙ですね。彼らは元老セネスと言われています。私も戦った経験がありますが、かなりの強者ばかりでした」



 それが六人。

 談笑しているので奇襲を仕掛けることができるとしても、数の優位は覆せない。上手く一人一殺できてようやく対等だ。

 だがここでにきて新たにカーミラの感知が反応する。

 その数は三つ。さらに奥から来たようだ。



「大きな魔力、異形の巨体、そしてミリアム。新しい三つの気配です」

「ミリアムが来たのか?」

「まだ手を出さないでください」

「……分かっている」



 ミリアムはルークにとって仇だ。その名を聞く度に力が入る。そして怒りが湧く。

 全てはネオンを助けるため。ルゥナとロニを裏切り、この場にいる。だからこそ決して失敗してはいけない。その代わりに少しでも情報を引き抜こうと耳を澄ませる。元老セネスたちもそれぞれの会話を止めたので、集中すればなんとか聞こえた。



「教祖様、ご機嫌麗しく。そちらが新たに我ら元老セネスへ加えられた仲間でしょうか」

「まさしく。妾は喜んでおるぞ。魔神様が力を失ってからは久しい真なる同胞ゆえな」

「おぉ……素晴らしい。して、彼の名は?」

「グリム。もはや業魔と言っても過言ではない出来ぞ」



 ルークとスルザーラは顔を見合わせた。

 同名の別人物ということはないだろう。あのグリムだ。裏切者のグリム以外、あり得ない。自然と劔撃ミネルヴァを握る手が強くなる。スルザーラにとっては困惑も残る相手だ。なぜ裏切ったのか、戦友ではなかったのかと今すぐにでも問いたい。

 衝動に耐えて耳を澄ませる。



「明日の朝には未だ人間の女も同胞となろう」

元老セネスの皆様にはお礼申し上げますわ。かつて三導師エヴァンス七衆オレリアとして教団を導かれ、救いへと至った聖者たちには敬意を表します。そして私もその末席に加えられることを心から喜んでおりますの」



 読み取れる情報は幾つかある。しかし最も重要なネオンについては聞こえない。その後も他愛ない話で歓談するばかりだ。ルークとスルザーラの中に焦りが募る。

 そして焦りは視野を狭くする。

 初めにカーミラが気が付いた。



「ッ! 後ろです!」



 すぐに振り向いた。

 そこにいたのは黒い影の怪物。壁や天井までも埋め尽くしている。単眼重瞳の怪物は蠢きながら三人を見つめ、激しく騒ぎ始める。そして津波の如く襲い掛かった。

 咄嗟に動いたのはやはりカーミラ。しかし防御や反撃するには時間が足りず、二人の手を引いて部屋の方へと飛び出してしまう。



「羽虫が湧いておるぞ」

「申し訳ございませんわ教祖様。グリム、元老セネスとなって最初の仕事です」



 もはや奇襲は不可能だ。

 先ほどまでいた通路には黒い影の異形が埋め尽くしており、とても逃げられる状態ではない。前を見れば元老セネスたち。

 ルークは奥にいる九尾の魔族を目の当たりにして、背筋が凍り付く。



(なんだこいつ……魔力の圧なのか!?)



 思わず身震いしてしまう。それだけの脅威を本能的に感じていた。

 スルザーラもまた、神器ルシスを構えたまま、固まってしまっていた。だがスルザーラのそれはルークとは別の理由である。彼の視線はミリアムの隣に立つ巨体の魔族へと注がれていた。



「……グリム、なのか」



 人間とは思えない巨体だ。合う衣服がないのか、ただ大きな布を巻いているのみ。気になるのは背中が大きく盛り上がっていることだろうか。またバランスも悪い。手足は元のままなのに、胴体だけが非常に長く太い。顔も多少変形しているものの、ほぼ元の大きさで面影を残していた。

 だからスルザーラはその正体を確信することができた。



「魔に堕ちたか」

「違います、かつての友よ。私は進化したのです。ミリアム様の手によって私は救いに至った。私は幸せ者です。そして皆も私を幸せ者と呼ぶでしょう」

「……馬鹿なことをした。私が引導を渡す」



 グリムは前に出る。

 そして勢いよく、身を隠す布を取り払った。飛び込んできたのは眉をしかめるほどの異形。巨体の背中からは無数の腕が生えていた。それらの腕は普通よりも長く、肘も二つある。それらの腕は筋肉質であったり痩せ細っていたりと様々だった。

 スルザーラの感情は複雑だ。

 裏切者に対して怒っていたはずだ。だが今は困惑と哀れみが混じっている。



「スルザーラさん、お待ちください」

「カーミラ……」

「ここは私が引き受けます。先に進んでください」

「だが」

「やらなければならないことがあるはずです。ルークさんと共に先へ進んでください」



 ルークの腕も掴みながら二人に言い聞かせる。



「今のお二人には荷が重い敵です。九尾魔仙アンヘル。七仙業魔に数えられる最強の魔族です。あれは魔神の切札のようなもの。逆に言えば奴さえここで足止めすれば、ネオンさんの救出は簡単になります」

「カーミラ、大丈夫なのか? あいつ、やばい」

「分かっています」



 カーミラが前に進み出て蛮骨を抜く。

 それに対してグリムは背中から生える腕の一つ一つに魔術を宿した。炎、雷、あるいは石の礫が生成されていく。普通の人間では制御できない魔術の数だ。



「私は教団の手によって生まれた業魔族。魔手の業魔グリムです。教主様にお力を示すため、被検体になっていただきましょう。元老セネスとして真に相応しいと認められるために!」



 雨嵐の如き魔術が殺到した。






 ◆◆◆






 サンドラ帝国はアルゲリスをほぼ占領したのち、アスラン王国側から侵略した軍と合流していた。そこで再び軍は再編され、主に三つに分けられている。一つはアドミラル平原を攻める主力、もう一つはアスラン王国側へと戻り、東から回り込む形で封魔連合王国を攻める奇襲部隊、そしてこの奇襲部隊を掩護するための部隊である。

 奇襲部隊は東方から攻め込むにあたり、まずクレバストロを攻め落とす必要がある。この国にはアスラン王国とシエスタの亡命政府も存在しており、不穏分子を一掃するという意味でも重要だ。その補助として、アルゲリス側、つまり北方から攻め込むことで奇襲部隊を掩護する部隊も存在していた。

 だがクレバストロも愚かではない。

 この二面攻勢から防衛するための布陣は敷いていた。



「我が国に真智グシオンがあってよかった。他の攻撃的な神器ルシスではこの状況に対応できなかったでしょうね」

「公、敵は?」

「ラム川で休息していますね。警戒もそれなり。ですがこちらにとっては全て無意味です」



 クレバストロ公は僅か百人の精鋭のみで迎え撃とうとしていた。

 帝国側は一般兵だけでおよそ五千。そこに吸血種と魔族兵もいる。簡単ではない。だがクレバストロ公には勝利の確信があった。



「さぁ、世界を見せてください。真智グシオン



 彼が指輪に向かって命じると、光が発生して円形の窓のようになる。その内側には地図が描かれ、更にはサンドラ帝国軍の位置が赤い点によって示されていた。一方で自軍は青い点として表示され、暗闇にあっても位置関係がはっきり分かる。

 神器ルシス真智グシオンには攻撃能力がない。ただ周辺地域の地図を取得し、見ることができるという能力だ。個人の戦闘では全く役に立たないだろう。だがこれが軍を率いる指揮官となれば話は変わる。



「これより夜襲をかけます。サンドラの卑人共はひと固まりの陣を敷いているようですね。愚か。実に愚かなことです」

「公、これは仰られた通りの策が通じそうです」

「兵たちには笛と太鼓、火炎壺を持たせてください。武器は必要ありません。護身用の短い剣くらいでよいでしょう」

「承知いたしました。勿論、火炎壺は……」

「たっぷりと火薬を詰め込みなさい」



 作戦は粛々と進行する。

 たった百人程度のクレバストロ軍は、ラム川のほとりで野営するサンドラ帝国軍へと近づいていく。野営地は川辺だけあって遮蔽物などほとんどないが、夜の闇が隠してくれる。また百人程度であれば、分散すれば木陰や岩陰にも隠れやすい。

 接近は容易かった。



「愚かな卑人共よ。力に驕る異形共よ。人の知恵によって斃れなさい」



 小高い丘の上から、クレバストロ公は呟く。ここからであればサンドラ軍の陣地がよく見えた。

 合図となるのは耳に障る巨大な笛の音、そして腹に響く太鼓。

 百人の精鋭たちは一斉に飛び出し、サンドラ軍の陣地に火炎壺を投げ込んだ。そのまま転身して逃げ去っていく。その後は気が狂うほど笛を鳴らし、太鼓を叩き、ただただ叫ぶだけ。誰一人として剣を抜こうとはしなかった。

 だが、これだけでサンドラ軍は大混乱に陥った。



「お見事です、公よ。ご覧ください。サンドラ軍は同士討ちを始めています」

「奴らは軍略というものを知りません。ただ力のみで圧倒する愚者ということです」



 策とは単純なものだ。

 ただクレバストロ公は夜襲に見せかけ、火炎壺を投げ込んで笛や太鼓を鳴らし、兵士たちに叫ばせただけ。これでサンドラ軍は大軍による夜襲だと錯覚したことだろう。百人による笛や太鼓が敵軍の多さを錯覚させる。まず混乱した下級兵士たちが同士討ちを始め、それを発端として被害と混乱は広がっていく。

 火炎瓶による火災も混乱を加速させていた。

 そして同士討ちが一定を上回ったとき、もはや指揮官にすら止めることができない。兵士たちはこれが同士討ちだと分かっていても、向かってくる仲間と戦うしかないのだ。一部の愚かな者たちの愚かな行動によって、状況を把握している者たちも巻き込まれてしまう。



「もはや私の軍が楽器を鳴らさずともよいでしょう。撤退の信号を出してください」



 ラム川の戦いにおいて、クレバストロ公は最小限の戦力で帝国軍を押し留めることに成功する。これが明日以降の戦況をよくするのだと、彼は確信していた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る