第499話 魔族王バラギウム


 バラギスとバラギウムの戦いは激しい。お互いに似た能力を持っているということもあり、既に読み合いが始まっている。だがバラギウムは全てにおいてバラギスの上位互換であり、更には迷宮神器アルミラ・ルシス星環クロノスまで所有している。

 よほどの奇策でもない限り、バラギスに勝ち目はない。



「効かぬな」



 地面を潜って放たれた水銀の一閃すら、バラギウムの竜鱗によって阻まれてしまった。魔力的な効果を阻害する効果により、表面を傷つけることすら叶わない。

 反撃として水銀の鞭を以てして薙ぎ払い、バラギスは地に転がりながら回避した。



「よく逃げ回るではないか」



 バラギウムは侮りを隠しもせず、星環クロノスで攻撃を繰り返す。この杖が生み出す疑似ブラックホールは周囲の物質を破壊しつつ吸い込み、消し去っていく。光すら逃れられぬ真っ黒な特異点を操るのが星環クロノスの能力だ。この神器ルシスに手加減は存在しない。

 だからそれを理解しているバラギスは回避を優先してほぼ攻撃していなかった。



「この厄介な霧ごと滅してくれるわ! 星環クロノスよ!」



 神器ルシス星環クロノスへ大量の魔力が注ぎ込まれる。すると急激に特異点が膨張し、周囲を破壊しながらバラギスに迫り始めた。当然だが巨大特異点は吸引力を持っており、その地平面に触れれば消滅させられる。

 魔族たちも巻き込まれることを嫌って、二人の戦いに介入しようとしないほどだ。

 実際、膨張する特異点は瘴血の霧すらも吸い込みながらバラギスを吸い寄せようとしている。無駄と知りながらもバラギスは水銀の槍を生み出し、膨張特異点を破壊しようと射撃した。だが予想通り、水銀の槍は特異点に触れた瞬間飲み込まれて消滅してしまう。

 そこで水銀を足元に集め、地面に食い込ませることで吸い込みを防いだ。



(あの武器について少し分かったことがある。恐らく黒い球体の吸い込み効果はバラギウム自身にも適用される。だから奴も動けない)



 融通が利かないことが弱点というべきか。

 ただそれを弱点と思わせないほどに強力な迷宮神器アルミラ・ルシスである。同じ神器ルシスである無限炉プロメテウスを知るバラギスから見ても、星環クロノスの能力は強過ぎた。

 一対一で戦えば確実に敗北するだろう。



(あの神器ルシスを使っている間、奴自身も動けない。それこそが最大の隙! 奴の鱗を突破するだけの威力さえあれば!)



 決して勝てないと確信する戦いに臨むのも、一人で時間稼ぎを続けるのも、仲間ハーケスを信じているからこそだ。



「ぐあっ!?」

「ぎゃあああ!」



 二つ、汚い悲鳴が重なった。

 そのどちらもが星環クロノスを操るバラギウムより更に後ろにいた魔族のものである。その両方とも心臓を赤い槍で貫かれていた。魔族の弱点である魔石は心臓部に存在し、それを破壊されることによって死に至る。逆に言えば魔石を破壊されない限り死なないわけで、だからこそ魔族は不死であると勘違いもされている。

 同胞の死に気付いた魔族たちは焦り、激しく動揺する。完全無欠と自負する自分たちが、これほど簡単に滅びるなど信じられなかったからだ。

 動揺は容易く隙を生む。

 赤い霧の奥から押し寄せた濁流がバラギウムごと魔族たちを巻き込み、渦へと閉じ込めた。突然のことにバラギウムですら驚愕し、星環クロノスを解除してしまう。



「遅くなってすまない」

「丁度いい時だった。このままバラギウムを倒すぞ」

「ああ」



 参戦したのはハーケスとノスフェラトゥだった。

 迷宮神器アルミラ・ルシス瀑災渦アシュタロトを保有するハーケスは渦を操る。魔族に対する攻撃としては心許ないが、拘束としてこれほど優れたものは少ない。

 魔族を捕らえる渦は球体となって浮かび上がり、内部に乱流を生み出して抵抗を許さない。それはバラギウムも同じだった。

 そこに無数の斬撃が奔り、魔族を捕らえる瀑災渦アシュタロトの渦ごと魔族たちは切断される。



「悠長に捕まえている暇なんてないよ。ほら、追撃しないと」

「『黒猫』か!」

「この程度で魔族は死なないからね。でも再生するまでの時間は稼げる」



 後から現れた『黒猫』は空間を切断することで無理やり攻撃を通した。表皮の硬い魔族には並大抵の攻撃が効かない。そもそもが微小ながら迷宮魔力を宿した存在なのだ。少なくとも魔力の籠った攻撃でなければ傷一つ付かないほどである。

 魔装を覚醒させた『黒猫』ですら、最大威力の空間切断でなければ通せないほど。

 だから大ダメージで再生の必要がある今こそ、追撃のチャンスだった。



「あ、あ、ぎゃああああっ!?」

「何だこの霧! 再生が阻害される!」

「バカナッ! オレ達ハ無敵ノハズ! コンナ霧ゴトキニッ!」



 四肢を切断され、あるいは胴すらも切り裂かれた魔族たちに赤い霧が集まっていく。それはノスフェラトゥの操る瘴血の霧だ。細胞を破壊する強力な毒素と、魔力を阻害する効果を持った霧であり、また霧はノスフェラトゥ自身でもある。

 霧を介して倒れた魔族たちから吸血を行い、その身体を干からびさせていった。

 それに続いてバラギスは首領バラギウムを狙う……が、すぐに立ち止まった。



「無傷だと……」

「『黒猫』の攻撃が当たらなかったのか? 運が悪い」



 ハーケスとバラギスは無理をすることなく、遠距離から再びバラギウムに攻撃を仕掛ける。だがそれを見る『黒猫』は言葉で遮った。



「無駄だよ。僕の攻撃は当たらなかったんじゃない。効かなかったんだ」

「どういうことだ?」

「バラギウムの防御能力は桁違いということだよ」



 本来ならば空間切断を防御することなどできない。それは物質の硬さを無視した攻撃手段だからだ。しかしながら同じ空間を操る能力であれば防ぐことができる。バラギウムは魔族を統率しているだけあって、他の魔族より強い力を持っている。つまり魔神スレイからより多くの力を与えられているということだ。

 魔力を拡散させる竜の鱗と、迷宮魔力のお蔭で『黒猫』程度の空間操作能力は通用しなくなっていた。



「気を付けるんだ。神器ルシスの能力に惑わされるけど、バラギウムの最たる能力は防御力だよ」



 実際、ハーケスの渦攻撃もバラギウムの水銀槍もバラギウムは体表で弾いてしまう。そしてバラギウムは再び星環クロノスを掲げて特異点を発生させた。漆黒の球体に吸い寄せられ、踏ん張るために労力を割かれる。また瘴血の霧も吸い込まれてしまった。

 魔族から吸血していたノスフェラトゥは実体化して星環クロノスの吸引から逃れる。丁度『黒猫』の側に降り立った。



「どうかな? 血は充分かい?」

「はい。眷属を使います」



 ノスフェラトゥは吸血し、その性質を取り込む。まさしく赫魔と同じ能力を保有しているわけだ。だがそれと同時に血を操る魔装の持ち主でもある。取り込んだ血液の性質を抽出し、魔力を与え、実体化させることで眷属を生み出すことができた。

 彼女の周りに赤い霧が生じ、凝集して様々な動物を形作る。狼、小鬼、豚、蛇、蝙蝠など様々である。それらは散会し、全方位からバラギウムを攻める。

 するとバラギウムは水銀を生み出し展開し、地面から無数の槍を生じさせることで血の眷属を破壊した。大質量を展開する速度、形成の精密さは流石であった。迷宮神器アルミラ・ルシスを発動しながらもこれだけの精度で魔装を操ることができるのはバラギウムの優秀さ故だ。アグロサンドラの王というのも伊達ではない。

 破裂した血液は星環クロノスが発生させた特異点に吸収されていくため、再利用もできない。



「ふむ。厄介なのはその小娘か」

「あらら。バレちゃったよ」



 バラギウムはノスフェラトゥを狙って水銀の槍を伸ばそうとするが、『黒猫』が空間の波紋を生み出して防ぐ。波紋の向こう側はバラギウムの頭部だ。したがってバラギウムは自分自身の魔装によって頭部を攻撃してしまう。

 だが流石の防御力というべきか、水銀の槍がバラギウムの頭部の竜鱗によって阻まれた。



「自分自身の攻撃は無傷、と」

「どうする『黒猫』。俺たちの攻撃が通らない限り勝ち目はないぞ」

「さて。空間切断以上の攻撃となると、やはり『死神』に頼むしかないわけだ」

「その『死神』はどこにいるんだよ!」

「ちょっと頼みごとをしたからね。本当はバラギウムを殺してもらうつもりだったんだけど、裏目に出ちゃったかな」

「俺たちもこれだけ大群の魔族と戦うことは想定していない」

「まぁ雑魚魔族はノスフェラトゥの霧だけで充分だよ。だけど魔族の強者は難しいね」



 類稀なる空間把握能力を有する『黒猫』は、魔力感知と空間感知によって戦場を広く認識する。多くの魔族は瘴血の霧で苦しんでいるが、バラギウムのようにものともしない魔族もいた。当然だが、そこを対応しているアルナ吸血種ノスフェラトゥたちは苦戦している。



「仕方ないか。ノスフェラトゥ、もっと霧を濃くしてくれ。吸血種ノスフェラトゥ以外の誰も生きてはいけないほどに。かつてヴァルナヘルを滅ぼし尽くした霧を再現するんだ」

「……人間のあなたや半魔族のバラギスさんは死にますが」

「大丈夫。前と違って対策はあるから」

「わかりました」



 こうして『配慮』をするノスフェラトゥに『黒猫』は苦笑してしまう。まるで機械のようだったノスフェラトゥも、今や一人の仲間だ。互いを思いやる心を見出した。

 そして命令を聞くだけではなく、信頼するということも。



「信じます。私のできる限り、最大の濃度にします」



 ノスフェラトゥの小さな体から大量の血液が流れ出て、足元に泉が生み出される。それは蒸発し、赤い毒霧となって広がり始めた。ほんの少し先も見えない、凶悪な霧だ。細胞を破壊する毒素と魔力を阻害する効果が含まれ、また霧そのものが結界として機能する。

 入ることはできるが、脱出することはできない。

 かつてヴァルナヘルという都市を滅ぼした赤い霧の完全再現であった。

 始祖の能力を完全覚醒させたノスフェラトゥは、この濃霧の中でこそ真の力を発揮する。



「っ!?」



 不意にバラギウムは吐血する。

 痛みを感じて視線を下げると、真っ赤な槍が腹を貫いていた。そこは竜鱗が薄く最も脆い箇所の一つであり、オリハルコンの防具で守っていた。だがそれすら破壊して貫通していたのである。

 足元も見えない濃霧は感覚を狂わせる。

 今の攻撃に気付くこともできなかったほどに。



「なんだこれは。魔神様より授かった竜の力が小さくなっている。どういうことだ」

「こういうことさ」



 いつの間にか背後に回り込んでいた『黒猫』に触れられる。そこは魔族にとって最も重要な魔石のある心臓部。酷い悪寒を感じたバラギウムは咄嗟に回避行動を取った。

 それが彼の命を救う。



「外したか。やっぱり反応がいいね」

「ぐっ! 我に攻撃を通したか!」



 『黒猫』は魔装によって小規模空間を置換し、バラギウムの魔石を抉りだそうとしたのだ。だが狙いは外れ、左肩を丸ごと吹き飛ばすに留まる。とはいえこれも大ダメージで、バラギウムは霧の毒素により再生にも手間取っているようであった。

 それでも星環クロノスを手放さないのは、これが生命線であることを理解しているからだ。故にこそ、追撃を担うバラギスは星環クロノスを狙った。

 瘴血の濃霧により魔装を遠隔で操るのはほぼ不可能。だが自身の身体の周囲であれば、膨大な魔力を消費することで維持できる。バラギスは水銀を右手に集め、鋭い刃として振り下ろした。不意を突かれたバラギウムは咄嗟の反応で回避を狙うも、誰かに固定されて星環クロノスを握った右手が動かせなくなる。

 ハーケスが瀑災渦アシュタロトと自らの身体でバラギウムの右手を挟んで固定していたのだ。



「俺ごと斬れ!」

「分かっている!」



 既に覚悟が決まっているというのもあるが、ハーケスは吸血種ノスフェラトゥ化したことで傷の再生が可能となった。つまり半魔族のときにはないに等しかった自己治癒能力が、再生能力にまで昇華している。再生した分だけ血に渇いてしまう欠点はあるものの、戦闘中の高速再生はあまりにも強い。

 勢いよく振り下ろされた銀の刃は、バラギウムの肉体を抉った。






 ◆◆◆





 冥王アークライトと百鬼の業魔グランザムの戦いは一進一退であった。互いに激しい攻撃を仕掛け、互いに攻撃を無効化する。魔法という法則を保有する存在に常識は通用しない。互いの法則を押し付け合い、勝った方が生き残る。

 死か雷か。

 どちらがより強い法則か証明する戦いなのだ。



「消し飛べ、《冥導》」



 空間を殺し、その連続性を破綻させる攻撃だ。破れた空間は元に戻るため周囲のエネルギーを吸収する。まるで小さなブラックホールだ。

 しかしながらグランザムも、彼の放つ雷撃も、《冥導》によって生じた空間の穴を避けていた。エネルギー吸収をものともせず、グランザムは強烈な雷を浴びせかける。シュウは即座に《冥府の凍息コキュートス》を発動し、電気エネルギーを無に変えた。

 更にシュウは術式を発展させていく。



「ニブルヘイムの河は少しきついぞ」



 これまで《冥府の凍息コキュートス》という術式は、シュウがエネルギー吸収することにより発動していた。だが、この術式にとって重要なのはエネルギーの移動である。

 空間を二つ設定し、片方から熱を奪う。そしてもう片方へと奪った熱を移動させる。それによって魂も凍える冷気と、オリハルコンすら蒸発させる灼熱が出来上がるのだ。



「顕現、《冥府の凍息コキュートス》と《冥府の劫河プレゲトーン》」



 それは冥府第一階層を流れる二つの大河を指す。

 全く逆の極限環境がグランザムを呑み込んだ。


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