第478話 神奥域の魔族①


 サンドラ直轄軍は火主カノヌシの命令によって南へと進んでいた。

 その数は兵士三百に武器を持った男が五千の合計五千三百人である。戦力としては凄まじいが、兵站要員もかなり多いので実質的な戦力としては半数以下になると思われる。しかし逆に言えば、しっかりとした陣地を形成して敵地を攻めるための戦力ということだ。

 直轄軍団長トマス自身が指揮を執り、レベリオを打ち倒すことを目的としていた。



「トマス様、オテヌスでございます」

「戻ってきたか」

「はい。トマス様に預けられた二十人の兵士も全て。そして良い知らせをお持ちしました」

「見つけたか?」

「はい。レベリオ人の街です。街の大きさは四方が五十キュビウルほどで、近くに川もありました。我々が見たところによると、守りの兵士は二十もいないでしょう。また彼らは身体も貧弱で、我々であれば容易く勝利が可能です」



 街の規模としては小さい方だろう。

 レベリオはサンドラのような都市国家ではなく、領土を有する国家だ。幾つもの民族が寄り集まり、様々な街や村を作っているのが特徴である。そのため末端を潰したところでレベリオという国家が斃れるわけではなく、また様々方向から援軍がやってくる可能性があるため攻め方を間違えれば容易く包囲されてしまうリスクもある。

 その程度のことはトマスも理解しており、勝てるという予測があるからと言って簡単に決断するわけにはいかないと考えていた。



「人の出入りはどうであった?」

「街の南側に農地が広がり、何かの作物と山羊を育てていました。川に渡し場があり、荷物を運んでいるのを確認しています。おそらく川下に別の街があるのでしょう。その証拠に、川下から徒歩でやってくる人を見ました」

「なるほど。ならばあの街を奪取し、我らの拠点とする。兵士と男は皆殺しにせよ子供、女、老人は奴隷として働かせるのだ。これは偉大なる火主カノヌシがお望みである!」



 決断を下したトマスの行動は早い。

 足がかりのため、レベリオに属する街の占領を開始した。







 ◆◆◆






 同時期、同じくサンドラ軍の一つである探索軍は旧サンドラへと戦力の大部分を移していた。その目的は魔族の殲滅である。旧サンドラの街を守護するためではなく、迷宮の奥へ出撃するためなのだ。



「バラギス団長、準備整いました。いつでも花河庭園かがていえん領域を目指せます」

「よし。では出発する」



 ここに集結した探索軍はバラギスを含めて五十人。

 その全員が大きな角を二本も生やした獣に跨っていた。また彼らは剣や槍、盾、鎧に弓矢など装備を充実させており、まさしく精鋭であることを誇示しているようである。

 彼らは獣に鞭打ち、一気に駆けだした。



「団長、先導します」



 そう声をかけて獣を駆る仲間の一人が前に飛び出る。

 今出立した探索軍は今回の作戦で動員された一部であり、大部分は事前に深層へと進んでいる。迷宮探索において重要なのは、探索拠点を細かく作ることである。小さくとも複数の拠点を作製し、それを線として繋げ、補給線や撤退ルートとして活用するのだ。

 そもそも神奥域は回廊によって領域が接続された形状となっており、百人以上の大部隊で調査するには向かないのだ。広大な領域ならばともかく、回廊部では大幅に機動力を奪われてしまうからである。仮に回廊で強い魔物に遭遇した場合、全体へと情報が伝わらずに混乱して部隊が瓦解してしまうこともあり得る。数十年前までは迷宮の住民であったサンドラ人はそれをよく理解しており、迷宮探索は最大でも数十人単位で行うと決まっていた。



「しかし団長、よくこれだけの脚獣ゴウラを集められましたね」

「アローヴラが旧サンドラで飼育されているものを買い取ってくれたからな。こいつは迷宮を素早く移動するのに欠かせない。だが予備含めて百頭以上となると探索軍で保有している分では足りないからな」

「そういうことですか」

「速やかに花河庭園領域の豚鬼どもを滅ぼし、第二回廊へ突入する必要がある。そして魔族はさらにその下の第三回廊を拠点にしているということが分かっている。補給線は自然と伸びてしまうのだから、足の確保は確実にしておきたい」

「……もしかして裏切者を警戒して伝令網を?」

「それもある」



 近頃、軍の倉庫に盗人が入り込む事件が多発していた。武器や保存食を何度も盗まれ、その警備を掻い潜るような動きから情報を流している者がいるのではないかと考えられていた。よほど上手く立ち回っているのか、犯人の影すら追えない。

 火主カノヌシに忠誠を誓う軍人の血族だけで構成された直轄軍に裏切者がいるとは考えにくいため、寄せ集めの探索軍へと疑いの目が向いているに過ぎない。本当に裏切者がいるのかどうかも定かではないのだ。



「もしも……もしも裏切り者がいたらどうなるんでしょう。死で贖わされるのでしょうか」

「死刑は火主カノヌシへの反逆罪にのみ適用される。軍の情報を流すことがそれに相当するかといえば、微妙な所だ」

「だとすれば迷宮追放、ですか。正直バラギス団長くらい強くなければ死刑と同じですけどね」

「刑罰の違いは権威の違いを象徴しているに過ぎない。結果は同じでも異なる過程を辿ることが重要なのだ」

「俺たち平民にはよく分からない話ですけど」

「忘れるな。私も平民だ……余計なお喋りはここまでにしよう。そろそろ加速する」

「了解です」



 彼ら探索軍が目指すのは魔族の討伐。

 実質的には半魔族を減らすことで魔族勢力の抑止が試みられようとしていた。








 ◆◆◆








 シュウは数日ほどスラダ大陸東側を移動しつつ、煉獄を介して地上の情報を集めていた。調査といっても魂の輸送履歴から人間が集落を作っていると思われる場所をマッピングしているのみであり、そこが本当に人間の集落なのかどうかは行ってみるまで分からない。

 たとえば強い魔物が弱い魔物の群れを滅ぼしたことで大量の魂が煉獄に流れ込んだに過ぎない、という事例も多く存在する。



「これは……賊か」



 基本的に煉獄を介してあたりを付け、転移で赴いて調査するというのが流れとなる。しかしそうやって折角調べた人の集落が、次の日には消滅している。まさに『黒猫』の言った通りであった。

 シュウが訪れている都市は荒れに荒れていた。

 小綺麗な衣服を着て武装した強面の男たちが昼間から酒を手にして騒ぎ立て、あるいは武器を手にして怒鳴っている。かと思えば広場に幾つも柱が建てられて、そこに吊るされている男たちもいる。あるいは一切の衣服を剥ぎ取られ踊っている女がいる。

 支配している者とされている者が明確に分けられ、ともかく治安が悪いの一言で表現できる有様だった。



(思念の感じからして国のような社会形態ではない。遊牧民とも言い難い)



 適当な建物の屋根に降り立ち、霊体化して観察を続ける。

 金品、衣服、作物を奪って騒ぐのは勿論、娯楽としての処刑を行うなど野蛮な行為の限りを尽くしている。柱に縛り付けた男に向かって石を投げつけ、当たった箇所に応じて盛り上がったり野次を飛ばしたりといった行いがその一つだ。あるいは弓矢の的にしたり、人質を取った男二人に棍棒を与えて殺し合わせたりと好き放題である。



(俺は右の男に肉盛りを賭けるぞ!)

(おいおい下手くそ!)

(踊れ踊れ!)

(酒が足りねぇなぁ)

(見てくれよ! 甚振って遊んでたら銀の隠し場所を吐いたんだ!)

(一番の勇士だとかいう奴も大したことなかったな)

(族長はどこ行ったんだよ……)

(あの野郎。女を独り占めしやがって)

(やっぱり柔らかい子供の肉だよなぁ)

(ラヴァ様に従っていればいい思いができる)

(ようやく若い女は全員運び終わったよ)

(武器の手入れがなってない! 血ぐらい拭っておけよ!)

(大当たり!)

(右か……いや左か? くそ! どっちなんだ!)

(面白くねぇ)

(あの野郎! 殺してやる!)

(ちょっとぐらい懐に入れたってバレないよな)

(ころ、して)

(ああ、このまま見つかりませんように)

《いいなぁ。俺もラヴァ様から武器を授かれたら活躍できるのに)



 これなら魔族の方がまだ理性的なのではないかと思うほどの有様だ。

 読み取れる思念から、賊と思われる者たちは二百人程度と思われる。そしてこの都市は一万人規模であったことから、賊の戦闘力は相当なものであると推察できた。確かに都市に住まう一万人の全てが兵士というわけではないはずだが、それでも遥かに劣る人数で制圧してしまうだけの戦力が賊にあるということになる。

 そして賊の中心にいる人物が、その鍵だろう。



(強力な魔装、あるいは神器ルシスとやらの使い手か?)



 シュウは亜空間を開き、そこから青白い石を幾つか取り出す。

 それは魔晶を加工した兵器、召喚石であった。



(少し試してみるか)



 起動魔力を込めてからマザーデバイスを介した転移魔術により召喚石を飛ばし、破壊された都市の各所へと送る。内部に記述された術式が起動し、召喚の第三階梯《魔獣召喚ファミリア》が発動した。








 ◆◆◆







 地下都市、旧サンドラでは地上と同じように朝と夜が訪れる。原理不明な仕組みによって天井が太陽光と同じ光を発生させ、夜になればそれが消失するのだ。地上であれば星や月の明かりによって、辛うじて視界を確保することもできるだろう。しかし迷宮の夜は本当の闇である。火を焚いて意図的に明かりを生み出さない限り、迷宮の夜は何も見えない危険地帯となる。

 だからこそ、サンドラ人は『火』を重要視しているとも言えるのだ。

 旧サンドラでは火主カノヌシの力により昼も夜も絶やさず火が灯される。神器・無限炉プロメテウスの力は地上から迷宮にまでも届き、火守ひもりと呼ばれる者たちが決して炎を絶やさないようにしている。

 しかし火を灯し続けることはリスクでもある。

 暗闇で灯された炎は、そこに何かがいることを示す証明でもあるのだから。



「ん? 何か物音が――」



 見張りの探索軍は旧サンドラの街を囲むように配置されている。

 しかし全方位を厳重に守るのは難しく、ある程度は重要な場所を決めて兵士を多く配置している。そのため、一部の場所では二人か三人で警戒しているのみとなっており、いわば旧サンドラの弱点でもある。

 街の囲いの上に立って、もしも異常があれば激しく音を鳴らして警戒を促す。それが見張り兵士の仕事であった。

 逆を言えば、警戒の音を発するまでもなく始末されれば夜の旧サンドラは異常を知ることができない。



「気付かれていないか?」

「当然だ」



 二つの人影が兵士の死体を無造作に放り捨てる。

 叫ぶ暇もなく絶命してしまった二人の兵士は、そのまま囲いの外へと落ちていった。それを為したのは人間ではなかった。鋭い牙と爪、そして毛深い身体は狼人コボルトと呼ばれる魔物に似ていた。

 つまり魔族である。

 特別な異能を持っているわけではないが、身体能力と不死性だけでも充分過ぎる。



「他の奴らは?」

「失敗するわけがないだろう」

「間違いないな」



 嘲るような会話は小さく、風で掻き消える。

 すぐに二人の魔族は小さな嘲笑をやめて、次の行動へと移行する。目標は燃え盛る炎によって照らされた旧サンドラの街だ。厳重な街囲みによって守られた、地下都市最後の砦だった。









 ◆◆◆







 サンドラ探索軍は神奥域の第二回廊で魔族と激突した。

 それは計画したものではなく、ただの偶然でしかなかった。魔族は人間に攻撃するため移動していたし、探索軍も魔族を攻撃するため移動していた。それが偶々、重なってしまった。



「恐れるな! 敵の多くは不死じゃない魔族だ!」



 探索軍団長バラギスは仲間たちを鼓舞する。

 そして彼を中心に地面から棘のようなものが現れ、魔族たちの突撃を薙ぎ払う。暗闇の中で炎が煌めき、鉄の匂いが鼻につく。

 敵対する魔族たちは突き動かされているように、ひたすら突撃を繰り返す。仲間が両断されようと、片腕が吹き飛ばされようと、腹が貫かれようと、決して止まることがない。その光景は狂戦士のようであり、探索軍を怯えさせた。

 バラギスの強さだけが人間にとっての励ましであった。



「団長、一度引きましょう。このままでは……」

「だがすでに乱戦だ。撤退は難しい」

「それは」

「だが陣形を整えるのは賛成だ」



 乱戦は人間側にとって望むべくものではない。

 戦術など必要なく、個々人の実力と数が浮き彫りになる。暗闇でぶつかったがためにお互いの数は互いに認識できない。ならば最悪の場合、能力で劣る人間が不利になる。

 一度体勢を立て直すことで戦術という戦いのステージに立たせることだけが勝利への道だ。だからバラギスは味方の半数を切り捨てた。



「耳のある者は聞け! 今すぐ下がるのだ!」



 一体どこに下がればいいのか。

 どちらが前でどちらが後ろなのか、この暗闇の中で乱戦を繰り広げる戦士たちには判断がつかない。たとえバラギスの言葉が届いたとしても、それに従うことができるかは分からない。敵を前に背を向けることはできないし、仮に離脱できたとしてもどちらに引くべきなのか判断が付かない。

 もはや運だ。

 だからバラギスは仲間たちの離脱を待つことなく、即座に範囲攻撃を放った。



「天命に託す。できることなら生き残ってくれ」



 探索軍のバラギスは若い。

 詳細な年齢は誰も知らないのだが、見た目では二十歳にもなっていないだろうと思われる。戦士の年齢が若いとはいえ、この歳で軍を率いる立場に抜擢されたのはひとえに実力があるからだ。ただの一人で幾百もの魔物を蹴散らし、地下迷宮という戦場で英雄的活躍をしてみせた。

 少なくとも現代においては破格の実力者だ。

 その理由は、彼が強力な魔装を保有しているからである。かつての分類法に当てはめるのであれば、造物型となるだろう。バラギスは魔力から水銀を生み出し、それを自在に操る。より正確に言えば流体の性質を持った金属性の魔術物質に過ぎないのだが、見た目から水銀の魔装と呼称するのが簡単で良いだろう。

 細かい定義はともかく、バラギスは強い。

 成り上がりの探索軍人でありながら周辺国家最強を名乗れるほどに強い。攻防一体の強力な魔装を豊富な魔力によって行使するからだ。

 地面が裂け、次々と水銀の刃が突き出る。剣山の如き攻撃密度は敵味方を区別することなく虐殺の限りを尽くし、バラギスより前にいる生命体を尽く打ち滅ぼした。



「む」



 だが例外もいる。

 バラギスは魔力を感じ取り、咄嗟に下がった。反応できなかった副官の男は悲鳴を上げる暇もなく真っ二つに両断され、理由も分からず息絶える。

 回避不能な範囲攻撃を潜り抜けてきたのは一体の魔族であった。暗闇を照らす無限炉プロメテウスの炎が魔族の姿を露わにする。それは全身を鱗に覆われた異形の人型だった。あらゆる刃を鱗によって弾き返す防御力の高い魔族である。



「いい匂いだ。血の、そして強者の匂いだ。お前を殺し、喰らう。俺はお前の血を啜り、肉を貪り、骨を噛み砕くことで高みに昇ることができるだろう」

「不死の魔族か。厄介だな」



 この暗闇ではほとんど何も見えない。

 頼りになるのは音や空気の流れ、そして魔力のみだ。

 身体に優れる鱗の魔族は正面からバラギスへと突撃し、鋭い爪で右から左へ薙ぎ払う。だがその攻撃は水銀の盾によって防がれ、流動して魔族の腕を押しとどめる拘束具となった。その間にもバラギスは水銀の槍を生み出し、勢いよく突き刺す。だがそれは魔族の体表に止められ、肉を抉るには威力が足りない。



「半魔族を容易く捻ったからと調子に乗らないことだ。あのような半端者など数に入らん。また女を攫い、産ませれば幾らでも増やせるのだからな」

「……そんなことはさせん」

「人間も半魔族も等しく劣等種。お前たちに選択権などないのだ」



 魔族は荒々しく吼えて絶え間なく攻め立てる。バラギスは器用に流体金属を操り、時に硬化、時に軟化と的確な選択を行って対処した。戦いは激しくなり、その間に探索軍は半数以下となりながらも引き下がっていく。防御主体のバラギスを崩すことはできず、魔族は苛立ちながら激しい攻撃を加えた。

 ピチャンという音が鳴り、踏み込んだ魔族の足が沈む。

 そのために体勢を崩してしまい、その瞬間に攻撃が止んだ。絶好の機会を逃さないバラギスは水銀の渦を叩き込む。硬化させず、液体として流動させたままの攻撃だ。巻き込まれた鱗の魔族はそのまま押し流されてしまい、闇の奥へと消えていく。



「硬くとも戦いようはある。火よ。我に偉大な加護を」



 水銀を分裂させ、無数の弾丸として浮かべる。

 瞬時に赤く輝き、熱量を増して白く、そして青白く変化していく。バラギスの膨大な魔力が生み出す熱量が水銀弾丸に宿ったのだ。

 そして次の瞬間、弾丸はその場から消失する。

 闇の向こうで爆炎が上がった。







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