第476話 サンドラの黒猫


 地下迷宮は当然だが陽の光が届かない世界だ。

 しかしながら昼夜の概念が存在し、昼であれば明るく、夜であれば暗くなる。それは地上の昼夜と対応しているため、生物は暗くなれば自然と眠るのだ。

 だがノスフェラトゥは眠らない。

 眠ることはできなくもないが、基本的には眠くならない。もしも彼女が眠るのだとすれば、それは睡眠ではなく気絶である。



「ここは夜でも明るいな」

「そうなのですね」

「かなりの篝火が焚かれている。ここは最前線だからな。夜も警戒は欠かせない」



 シュウは旧サンドラの街囲みを見遣る。

 石を積み上げ、泥で固めた壁が三重に街を守っている。そして壁の外側には幾つもの柱が建てられ、死体が括りつけられていた。すっかり腐蝕して骨となっているものもあれば、まだ血の滴っているものまで様々である。ただ、共通項としての死体は一つもなかった。

 頭蓋に角のようなものがあったり、腕が四つであったり、下半身が獣であったり、あるいは羽のようなものがあったりと、まるで魔物のようである。だが魔物は死んだとき、魔力へと分解されて消失していく。こうして死体が残っているということは、死体が魔族のものである証であった。



「お前には精霊秘術を覚えてもらいたい。これは魔術の一種で、お前自身を守っている魔術でもある」

「どのような方法で覚えられるのですか?」

「女神セフィラを信じる。それだけでいい」

「それは何でしょうか? 私には分かりません」

「確かに、いきなりは無理か」



 信仰とは感情の一種だ。

 最も相応しい別の言葉に置き換えるとすれば、それは『畏れ』となる。恐怖と敬いが混じったその感情の故に信仰し、災いが自分たちへ降りかかることのないように宥める。それが祈りであったり、贄であったり、形として残ることもあるだろう。

 しかし信仰とは存在を知らなければ向けられることのない感情である。



「まぁ記憶も感情も失った状態ではな」

「申し訳ございません」

「情緒は後からでも身に付くだろう。まずお前は世界を知るべきなんだろうな」



 シュウはそれ以降口を噤み、しばらく二人とも黙って歩き続けた。目指しているのは旧サンドラの街からは少しばかり離れた古代遺跡群である。大型建造物が多数並んでいるのだが、治安が悪く、魔物に襲われる可能性も高いため普通のサンドラ人は近づかない場所であった。

 いわゆるスラム街のような立ち位置のそこは、感染症患者、犯罪者、住む場所のない貧民などが寄り集まっている。しかしながら旧サンドラにとっては必要な場所だ。底辺階級の受け皿となることで街囲いの内側では治安が良くなるし、何より遺跡群の中には遺物が残っていることもある。ここの居住者たちはまだ発見されていない遺物を見つけ、取引することで生計を立てていた。



「多くの気配を感じます」

「ああ。国立マギア大学の魔力技術科学部キャンパスだな。魔装、魔道具、魔術の研究が行われていた古代の遺跡だ。魔力の先端技能を研究していた場所になる。遺物もそれなりには残っているだろう。とはいえ、今の人間では理解できない遺物がほとんどだろうが」

「遺物……」

「そう、遺物だ。それを発見し、食べ物や着るものと交換する。それがここの住人の生き方だ。そして遺物の取引をしてくれる相手の所へこれから向かう」



 古代遺跡群と呼ばれる場所は治安が悪く、魔物も棲んでいるので非常に危険だ。しかしながら完全な無法地帯という訳でもない。武力によって縄張りを作り、その場所で安全を与える代わりに金品を徴収しているのだ。ヤクザやマフィアのようなものと表現すればわかりやすい。



「お前が一番初めに覚えるべきなのは、裏社会での生き方だ。表では生きていけない人間と関わるうちに、何か見えてくるものがあるだろう」



 裏社会でも大きな力を持つ組織、黒猫。

 当初の約束通り、ノスフェラトゥを『黒猫』に引き合わせるためやってきたのだった。








 ◆◆◆







 黄金域で遭難したオスカー・アルテミアたち聖石寮の一行は、少しずつエリア移動しながら迷宮より抜け出す道を探っていた。

 普通ならば安全地帯を中心として番人たる殲滅兵の巡回を搔い潜りつつ、慎重に移動しなければならない。しかし今の彼らは迷いがなかった。

 その理由はオスカーの見た夢にあった。



「……ここですね。この景色、覚えがあります」



 腐食しかけた金属製のゲートがあり、その周りはオリハルコンの壁で覆われている。そしてゲートの奥には大量の棚が並んでいた。棚には透明なケースが無数に並べられ、中には青白い円形の薄い板が隙間をあけて二十枚ほど重ねて収納されている。

 残念ながらオスカーにはその円形板が何を意味するのか分からなかった。

 しかし古代の遺物であることは確かである。



「進みましょう」

「ええ」



 ゲートには両開きの小さな仕切りがある。

 ただその仕切りは片方だけ壊れており、固定されることなく地面に落ちていた。オスカーたちはゲートを潜って奥へ向かうと、少しひんやりとしていることに気付く。空気が天井から床へと流れ続けており、よく見れば床も細かい格子となっていることが分かった。

 それが何を意味するのか、オスカーたちには分からない。

 だがここが倉庫のようなものであることは分かった。



「オスカー様が見た夢でここが?」

「ええ。私も初めて体験しました。夢回廊というものを。古くから偉大な神官や、優秀な術師が見たという導きの夢。そして私の見た夢回廊にはまだ続きがあります。こちらです」



 他の術師たちも警戒しつつ、倉庫を進んでいく。

 棚の高さはかなりのものであり、天井も高い。また天井にはレールが敷かれ、小さなクレーンのようなものが吊り下げられている。棚は入り組んでいるので容易く迷ってしまいそうだった。オスカーはその中でも迷いなく進み、やがて一つの棚を発見する。

 その棚は他のものと異なり、厳重に透明樹脂で防護されている。

 内側には黄金の輝きを放つ武器が収められていた。



『適合者よ。私を手に取りなさい』



 そんな声が響き、思わずオスカーは周囲を見回す。すると追随していた術師たちが疑問符を浮かべつつ問いかけた。



「どうかされましたか?」

「オスカー様、何か気になることでも」

「声が聞こえたのですが……私以外には聞こえなかったのですか?」



 オスカー以外の術師は首をかしげるばかり。

 今聞こえた声は気のせいだったのかもしれないと思い直し、改めて樹脂ケースの中にある武器を見遣る。するとやはり声が響いた。



『私はここです。あなたの目の前にいます』



 自己主張するかのように武器が光る。

 その武器は双刃の槍であった。穂先だけでなく石突の部分にも刃が付いている。少なくともオスカーは見たことのない形状の武器だ。そして柄の中心に青い石が嵌めこまれており、光を放っているのはその石の部分であった。

 そしてオスカーには青い石が聖石であるように見えた。



「まさか、これが私に話しかけているのか?」



 そう思い至り、樹脂ケースへと手を伸ばす。

 すると武器を納めた樹脂ケース全体が天井へと吊り上げられていく。それによってオスカーの手は止められることなく武器にまで届く。彼がその武器を手に取った時、声はよりはっきりと聞こえた。



『待っていました適合者よ。私の名は迷宮神器アルミラ・ルシス劔撃ミネルヴァ。極めた一撃は万物を屠るでしょう』

「お前が語っているのか?」

『お前ではありません。劔撃ミネルヴァです』



 その声は女性的に思えたが、人間らしさがなかった。感情を排除して淡々と情報を与えてくれているような気になる。

 武器が言葉を語っているのだから当然のことかもしれないが。



「不気味な武器ですが……夢回廊が教えてくれた手掛かりです。頼りにしましょう」

『全てお望みのままに。私の力は全て教えます』



 普通であれば言葉を語る武器など恐ろしく思ってしまうだろう。だが迷宮神器アルミラ・ルシスは間違いなく古代遺物であると断定できる。間違いなくオスカーたちが求めていたモノであり、普段発掘している術符などとは比較にならない大物であることは確かだ。

 何より今はこれ以外に頼りがない。

 彼らは再び、脱出のため移動を開始した。







 ◆◆◆







 旧サンドラにある古代遺跡群は幾つかの勢力が縄張りを持っている。

 その中でも巨塔と呼ばれる建造物を中心に活動するのが黒猫であった。シュウはノスフェラトゥを引き連れて塔の中へと入り、昇っていく。その道中ではガラの悪そうな人物と多くすれ違ったが、特にトラブルもなく目的の階層へと辿り着くことができた。



「何の用だ。悪いがここは選ばれた奴だけが入れるんでね」



 扉の前に立っていた男の言葉に対し、シュウは『死神』のコインを見せることで回答する。すると男は一瞬驚き、まじまじとコインを見つめてから横に退いた。

 通してくれるということらしいので、シュウとノスフェラトゥは扉を押して中へ入る。錆びついた重苦しい音が鳴り、内側からは甘ったるい匂いが流れてきた。



「ああ、来たんだね。先にこっちへ来るとは思わなかったよ」

「人目につきやすい地上の酒場は面倒な手順が必要だからな」



 入ってすぐ左手にカウンター席があり、その奥側には凡庸な青年が立っていた。シュウに声をかけたのは彼である。奥側にはテーブルや椅子が乱雑に並べられ、男たちが座って酒や食べ物を片手に大声で話し合っていた。

 残念ながらこちらの言葉は分からないので、気にせずカウンター席に座った。同じようにノスフェラトゥもシュウの隣に腰を下ろしたところで話を切り出す。



「少しこっちの事情を知っておきたくてな。色々教えてくれるか『黒猫』」

「勿論だよ『死神』。とはいえ、まずは言語を覚えなければね。こちらで使われている言葉は非常に多い。グリニア系の言葉から派生した言語が大量に残っているから、使いこなすのは中々困難だよ」

「基本の文法は同じなんだろう?」

「まぁね。ただ最近は民族交流も増えているから、言語の移り変わりが激しい。広く活動するための壁になっているね」



 言語は文化を示す重要な手掛かりの一つだ。その発展、広がり、あるいは消滅はその言語を操る民族の歴史とリンクしていると言っていい。

 スラダ大陸東部は元から神聖グリニアが強い権力を握っていたこともあり、グリニア系言語が普及していた。それは地上が迷宮の底に沈んでからも変わらず、ただ民族レベルで独自の発展をさせたにすぎない。しかし流石に千五百年も経てば単語も大きく変化する。面影らしきものはあっても、充分に聞き取ることすら難しい。

 それが多様に枝分かれして形になっているということは、同数の民族、同数の歴史があるということ。

 群雄割拠の戦国時代らしさがそこにはあった。



「僕もここで主人となるため色々奔走させられたよ。お蔭で巨塔の主人としてこの古代遺跡群の一部を手中に収めている。色々と情報が集まるし、細工もしやすい」

「こちらの事情はかなりややこしいようだな。魔族がこっちにも進出していたか」

「ああ、旧サンドラの街の方を見たかい?」

「悪趣味な見せしめをな」

「野蛮に思えるけど、そんなものだよ。今の時代はあれが普通なのさ。実際、二千年位前は同じようなものだった。終焉戦争以前の魔神教だってとんでもない虐殺集団だった時代もあるんだよ。自分たちの教えに従わない民族に聖騎士を派遣して、皆殺しにしていたんだ。君が誕生した頃の魔神教はかなり寛容になっていたんだよ」

「……まぁそれはいいとして、魔族を殺せるのか? 東の人間は」

「あれは魔族じゃないからね。半魔族ってやつだよ」



 シュウは一瞬、ノスフェラトゥの方に目を向ける。

 半魔族と聞いてまず最初に思い浮かべるのは人間と魔族のハーフだろう。ノスフェラトゥも似たようなものだ。



「君の思っている通りだよ。そして半魔族は異形の人間と言った方がいい。心臓の魔石がないから不死性なんてものはない」

「つまりこっちの人間が殺しているのは半魔族であって、魔族ではないと?」

「そうだね。流石に魔族には敵わないようだ。だからサンドラ人は迷宮から地上に追い出され、この旧サンドラ領域を最後の砦にしている」

「業魔族が関わっているのか?」

「そこまでは分からないね。ただリーダーらしき魔族の名前は確認している。バラギウム……とね」



 それを聞いた瞬間、シュウは首を動かすことなく後ろを気にする。シュウは死魔法で魂を感知する。魂の存在感だけでなく、その揺れ動きまで。

 魔族バラギウムの名を『黒猫』が告げた瞬間、反応した魂があった。

 シュウと『黒猫』は西側の言葉を使っている。そのためこの場で二人の会話を理解できるとすれば、隣に座るノスフェラトゥくらいなものだろう。



(固有名詞に反応したか。つまり、バラギウムという魔族。言葉が違うからとあまり公の場で話過ぎるのは良くないな。少し釣ってみるか)



 シュウは視線を『黒猫』に戻しつつ、そっと亜空間から血のボトルを取り出す。すると『黒猫』はそっとグラスをおく。またシュウがカウンターに置いたボトルを取り、グラスに真っ赤な血を注いだ。



「少し別室で話そう。ノスフェラトゥはここで待ってろ」

「はい。待ちます」

「僕の本体はこの塔の最上階にいる。奥の扉から向かってくれ」

「ああ」



 立ち上がったシュウは『黒猫』の人形が示した奥の扉へ向かう。テーブル席で騒いでいた男たちが幾人か驚いた様子を見せたが、それはこの巨塔の最上階が黒猫という組織の主人が住まう場所だと誰もが知っているからである。

 それすなわち、巨塔を中心とした遺跡群の支配者の一人だ。

 よほどのことがなければ面会することなど叶わない謎に包まれた人物が、初めて酒場を訪れた人間を通したのだから驚きも当然である。

 だから自然と、その興味の視線はシュウの連れであるノスフェラトゥへと注がれることになった。

 そんな中、不意に一人の人物が彼女の隣に座った。音も気配もなく、いつの間にか先程までシュウが座っていた席にいる。全身を大きなマントで隠し、フードを降ろしているので顔もほとんど見えない。そのせいで男か女かも定かではなかった。



「君かい。『灰鼠』」

「おい店主。さっきの男は誰だ? 私たちのリーダーに会わせるとはな」

「『死神』だよ。君たちより遥かに古い幹部で、『黒猫』とも仲が良いんだ」

「あれが『死神』だと……? ならお前は『死神』の縁者というわけか」



 鋭い声は女性的な印象を覚える。

 問いかけた先はノスフェラトゥであった。しかしながらノスフェラトゥは何の反応も見せず、ただ血を口に含み続ける。



「お前が飲んでいるのは血だな? 匂いで分かる。何者だお前は」

「ああ悪いけど彼女は言葉が分からないんだ」

「何? 別の地域から流れてきたのか? それとも……まさかお前は」

「あまり詮索しないことだね」

「そういうわけにはいかないな。こいつは半魔族なのか?」

「はぁ……ま、『死神』次第だね。私も彼だけは敵に回したくないんだ」

「ちっ。水を寄こせ。泥水は寄こすなよ」



 強めに舌打ちが酒場全体に響く。

 しかし怖気づくことなく、貴重な水を注いだ。





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