第417話 魔神と聖守④


 巨大な聖なる光がアリエットに向かって一直線に落ちた。

 それに対してアリエットは闇の禁呪《大崩蝕壊アトラスヴォイド》を斬撃に乗せて放ち、聖なる光を中和していく。しかしその隙をついてスレイは聖王剣を突き立てるべく踏み込んでいた。

 真っ直ぐ心臓を狙ったその突きをアリエットは防げない。

 だから腹心たるバステレトはルイオン市民や術師を操り、アリエットの前に並べることで肉盾にした。しかし宣言した通りスレイは動揺一つすることなくそのまま貫いてしまう。虚ろな市民たちは悲鳴を上げ、それでも盾としての役割だけは果たした。



「キギャアアアアアアアアアアアアア」



 それでも勢い止まらず進もうとするスレイにアールフォロは叫ぶ。

 アールフォロの金切り声は精神に直接恐怖を叩き込み、身体を硬直させる。また額にある邪眼も同様の効果を持ち、スレイは完全に動きを止めた。

 追撃をボアロとヴォルフガングが仕掛けスレイの身体をバラバラに吹き飛ばそうとする。身体能力が特に高いこの二体の突撃は重機の衝突にも匹敵する。絶叫と邪眼で硬直したスレイに回避という選択肢はなく、これで終わるかに思えた。

 しかしアリエットは油断しない。

 これだけしてもスレイ・マリアスは殺しきれないという確信があった。万能の魔装によって何かしらの対処をしてくると考えていた。だから契約の鎖を介してアンヘルに命ずる。



(雷撃を落として)



 九尾魔仙アンヘルは餓楼という影の眷属を操り、更には天狐エルクスの能力も持っている。雷雲を操るその力を餓楼に分け与え、力を重ねることで威力を強化した。それはまるで禁呪《龍牙襲雷ライトニング》のようである。

 ボアロとヴォルフガングは魔石に魂を封入しているので、雷如きでは死なない。死ぬほどのダメージを受けたとしても魔力で復活できる。

 激しい爆発音が二連続で続き、光と共に雷が天地を結んだ。空気の絶縁を破壊し、その衝撃が轟音となって響き渡る。少しばかり体表が焼け焦げたボアロとヴォルフガングが跳び下がり、アリエットの側に戻った。



「これで死んでいればいいのだけど」



 アリエットはそう呟く。

 今の衝撃と落雷でバステレトが操っていた住民もかなり死んだ。ただアリエットにとってはそんなもの気にする要素ではない。スレイが死んだかどうかだけだ。



(まさかこれでも死なないなんて)



 淡い希望を述べつつも、アリエットとてスレイが死んでいないことは分かっていた。魔力を感知すれば生きていることくらい判別できる。

 土煙が晴れた時、聖王剣を手にした無傷のスレイが立っていた。

 多少のダメージは期待していただけに、この結果はアリエットの焦りを加速させる。スレイは服装こそ燃えて焦げてしまったが、肉体には傷一つない。ただ魔力が強くて物理現象を遮断できたというのは無理があった。

 だからアリエットは尋ねる。



「どういう仕組み? 無傷なんて」

「ただ肉体が強いというだけの話だ。そういう魔装もある」

「反則よ、それ」

「戦いにそんなものは無い」



 スレイは『暴竜』とも呼ばれた男の魔装をコピーしている。単純な肉体強化の魔装だが、覚醒しているので効力は桁外れである。筋力や頑丈さは勿論、肉体回復能力までも向上する。並の金属武器では歯が立たず、その拳は一撃で都市すら破壊する。

 故にこの凄まじい腕力で魔装が振るわれたなら、それは災害そのものとなるだろう。

 雷の槍を生みだしたスレイは、それを力いっぱい投げつけた。全力の投擲は雷槍の性質に速度を上乗せして空気を貫いた。物理的な破壊を伴い、直線上を撃ち抜く。

 前に出ていたボアロとヴォルフガングの腹に穴を空け、そのままアリエットまでも貫く。当然だがその後ろにいた魔族たちは消し炭となった。

 フォローするためにフェレクスが爆炎を纏いつつ突進するも、それは圧力を操る魔装によって弾かれてしまう。至近距離で放たれた不可視の一撃はフェレクスの半身を消し飛ばす。しかしながら元から再生力の高いフェレクスは激しく燃え上がって再生した。



「私は必要とあればこの街ごと魔族を滅ぼそう。雨も上がった。守るべき人々はお前たちの手に落ちた。私は聖守の名に懸けて敵勢力・・・を撃滅する」



 全てを思い出したスレイは『対話に意味などない』ということを理解している。そこに必要があるならば対話の試みなど無視されてしまう。ただスレイ・マリアスを欲した神聖グリニアが、周囲の対話要求を跳ねのけて宣戦布告したように。

 そこに欲があるならば、理性など欠片も役に立たないのだ。



「国を守護し、世界を席巻する偉大な力マルドゥークを見るがいい」



 魔装を侵食する昏い雨はもうない。

 だからスレイは渾身の魔力で樹海の魔装を発動した。大地が蠢き、種子は魔力を喰らい、魔族という魔族を餌にして木々が生み出されていく。

 アリエットは《黒浄原バルヘス・ドア》にて抵抗するも、それらを軽く圧し潰す大樹海がこの世に顕現したのだった。

 その中央にいたスレイは、ひときわ大きな大樹を背に呟く。



「そしていずれは祖国を取り戻すために……世界を一つとするために」



 もはやかつての英雄は影も形もなかった。







 ◆◆◆






 かつての記憶を取り戻し、代わりにシェリアとレフを失ったスレイは迷宮を彷徨った。暴走した魔装が村を破壊し尽くしてしまった後、アリエットと戦い、撃退したことまでは朧気ながら記憶もある。しかしそれからのことは曖昧で、どうやってここまでやってきたのかは覚えていなかった。

 地下迷宮は網目のような通路によって巨大空間が繋がっており、それぞれの空間には超古代の遺跡がそのまま残っている。

 疲れ切ったスレイは一息つくため、瓦礫の散らばるレンガ舗装の街道へと立ち寄った。そこには水の枯れた噴水があったので、そこで腰を下ろす。



「私は……未来に来たのだろう、な……」



 改めて言葉にして、項垂れた。

 村にあったタマハミ大樹は間違いなくスレイが樹海の魔装によって生み出し、ロカ族の封印術によって安定化させたものだった。そして村に残る英雄の伝承からして、今が未来の世界であることは間違いない。

 村の教えによると、結界の外は永久の氷に閉ざされているのだという。それから逃れるためにロカ族はタマハミ大樹を利用して生活基盤を整えるための結界を張っていたのだ。エネルギー節約のために熱エネルギーを留め、認識阻害する程度の効力ではあった。

 しかしその結果がこれである。

 千三百年もの月日はエネルギー源だった暴食タマハミを疲弊させ、結界は消失に向かっていた。

 それを継続維持させる生贄としてスレイは利用されかけたのである。

 大帝国に対抗するためコントリアスを生贄にしようとした神聖グリニアを思い出した。



「きっと、誰も生きていない。だが、行かなくては」



 夢遊病患者のようにふらりと立ち上がり、覚束ない歩みでどこかへと向かう。

 しかし疲れ切っていたのだろう。

 そのまま倒れ、気を失ってしまったのだった。







……………………

……………

……






 夢を見た。


 スレイはそれが『夢』であることをはっきりと理解していたのだ。朧げな景色の中で見えたのは黄金要塞との戦いである。精鋭全軍を率いて突撃し、侵入し、死力を尽くして戦い、そして大爆発に巻き込まれた。そんな記憶の続きであった。


 破壊の黒が滅びの秩序を強制する。


 魔力の圧縮によって生じるエネルギーの破片が雷のような閃きとして弾け、それらは天地を結び、魔力の嵐が地上を死の大地に変えていく。


 巨大な結界に守られたコントリアス首都は―――






        消えた。






……………………

……………

……





「はぁっ! はぁっ! げほっ!」



 目が覚めた。

 急な激しい呼吸のせいで咳き込み、しばらく息が乱れる。しかしすぐに落ち着いた。最悪の光景は今も脳裏に染みついていた。



「行かないと」



 スレイが目を上げると、そこには枯れた泉があった。

 先程まで座っていた噴水である。そしてその中には一本の剣が突き刺さっていた。先程まではなかったはずの剣である。青みのある純白の刃はスレイの目を引き、自然と手が伸びた。

 気付いた時には柄に手をかけ、引き抜いていた。

 馴染む。

 それがスレイの抱いた一番初めの感想だった。



「なんだ。さっきまで剣なんて……」



 次の瞬間、頭の中に声が響いた。

 それは機械のように平坦で感情のない声だった。



『Ire il Malduc thtal grt powr』



 聞きなれない言葉だったが、その意味を理解することができた。それと同時に情報の奔流が流れ込んできた。それは主に言語に対する知識のようで、徐々に言葉が鮮明となった。



『私は大いなる力マルドゥークである』



 まるでその声は天啓であった。

 自分自身を包み込むような安心感がある。その雄大さはスレイを安堵させ、この異常事態を受け入れてしまう。

 この時、剣から悍ましい色の魔力が蛇のように伝ってスレイの手に吸い込まれていたのだが、このことにスレイが気付くことはなかった。



『世界は力が支配している。崇めよ。力を崇めよ。それが世界を良くする』



 そして同じ言葉が脳内に響き始めた。

 何度も、何度も。

 少しばかり表現を変えて、しかし同じニュアンスで、幾度も繰り返される。導かれるようにスレイは歩き始めた。

 向かう先は迷宮の出口。

 そこからコントリアスだった場所へ行くために。



『聖王剣を携えよ。汝はマルドゥークの象徴である。その剣は世界の脅威を切り裂くであろう』



 脳内に溶けるような声が続く。

 それはまるで洗脳だった。しかしスレイは意識を強く保ち、『夢』を思い起こした。



「確かめ、ないと」



 希望を抱き、前に進んだ。









 ◆◆◆








 うねる木々に押し潰されそうなアリエットはアンヘルに助けられた。周囲の影には無数の餓楼が潜んでおり、それらは樹海を食い千切ってくれている。



「……っ! ボアロとヴォルフガングがやられた」



 契約の鎖による繋がりで即座に察した。

 雷速を越えた雷槍により二体の魔石が砕かれたのだ。魔族は魔力の限り不死身の再生能力を保有するが、魔石を砕かれたら魂が霧散して死んでしまう。ただ七仙業魔だけは名、称号、地位の三種を縛りとして契約しているので、遊離した魂は強固な繋がりによってアリエットが保有する魂専用の亜空間へと帰還する仕組みとなっていた。

 だから完全消滅ではないが、もう戦えない。

 魔剣の闇魔術で近場の樹木を吹き飛ばし、一息ついた。



「この木、厄介ね」



 物質を腐食させる《黒浄原バルヘス・ドア》でも相殺するだけで精一杯だ。

 本来ならスレイの守りたいこの国を盾として戦いにくさを強要し、苦しめながら追い詰めていく予定だったのだ。しかしスレイは初めこそ市民を守るつもりだったようだが、バステレトが洗脳したことで完全に切り捨ててしまった。

 アリエットが予想するよりスレイは心を無にしていた。

 シュリット神聖王国というより、聖教会や聖石寮の秩序を大切にしていた。国が滅びたとしても、その秩序さえ保たれるなら構わないと考えていた。



「ッ!? また!」



 再びアリエットは繋がりの消失を感じた。



(アールフォロがやられた。足止めの要だったのに……!)



 恐怖を叩き込む能力を持っていたので、スレイと戦う上で重要な位置づけにあった。だから常に七仙業魔の誰かを護衛として付けていたのだが、今の攻撃ですっかり引き剥がされてしまった。そして隙を突かれて魔石を破壊されてしまったのだろう。

 繋がりを頼りに残る魔族、そして業魔族を集結させようとしたが、次々と反応が消えていることに気付いた。まるで花でも摘むかのようだった。



「アリエット様、アンヘルが時間稼ぎをします」

「フェレクスは最大攻撃を準備して。バステレトはどこ?」

「スレイ本体へと催眠を仕掛けるべく隙を伺っています。身を潜めていますので合流は難しいかと」

「そう。手札も減ってきたわね」



 契約の鎖、闇の孔、宵闇の魔剣、常盤の鞘、魔族、業魔族と増やせるだけ手札を増やしてきた。しかしスレイはそれを軽く上回る。一体いくつの魔装を持っているというのか。アリエットには予想もできない。底を見たかと思えば、軽々とそれを越えてくる。予め冥王からある程度の情報を聞いていなければとっくに絶望していた。

 そしてスレイは不死性の強い魔族をいとも簡単に殺害して見せた。

 より正確には体内の魔石を破壊し、魂を留めることができないようにしてしまった。強い結びつきのある七仙業魔はアリエットの手元に戻って来れるが、他の魔族はそうもいかない。西グリニアという国家を丸ごと一つ潰して生み出した魔族の群れすら作物の刈り入れの如く倒されたのだ。一度撤退して立て直すという手段は使えない。



「何としてでもここで殺す!」



 それにアリエットとて冥王アークライトから忠告は受けていた。今の段階でもスレイ・マリアスを直接殺害することは叶わないだろう。叶うとしても非常に確率の低い事象だろうと断定されていた。



(最後の手段を使うとしても……必ず!)



 復讐の炎へ残る薪をくべる。

 全てを燃やし尽くすほどの憎悪が、熱が、アリエットの中にあった。




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