第383話 狂った憎悪


 シュリット神聖王国は荒くれ者や犯罪者、落伍者、病人ばかりを国民としていた。それは歴史的な経緯からして仕方のないことだろう。しかし五十年も経てば一定の秩序が生まれる。まして聖教会という組織的活動の下、動いていたのがシュリッタットの反乱だ。

 彼らは自分たちが追放者であることを誇らしくした。

 薄汚れ、醜く肥え太った西グリニアとは違うのだと声高く言い張った。

 だから追放者たちは自分たちの意味名いみなを与えた。



「アズライール・ヨシュア最高神官」

「……」

「最高神官?」

「……あぁ、すまない。夢を見ていたようだ。懐かしい、忌まわしい、そして誇らしい夢を」



 聖都シュリッタットは雪の絶えない寒い街だ。

 もうすぐ八十歳にもなる聖教会最高神官は深く椅子に腰かけ、幾重にも毛布をかけている。それでも凍えるような寒さは止まらない。



「ご自愛ください」

「ふふ。私も長くはない」

「そんな!」

「恐れることはない。私たちの世代は終わっても、お前たちが未来を作ってくれる」



 彼の身体は歳を重ね過ぎた。

 この雪が決して止むことのない環境でよく生きたと思えるほどに。

 聖教会を象徴するこの建物は可能な限り防寒を意識した設計となっているが、弱った体には堪えた。



「後継者は育っている。それに……が新たな秩序を築いてくれた」

「新都市ですね?」

「私はその名を決めている。それを公表するときまでは死ねぬよ」



 アズライールは柔らかく微笑んだ。

 この国は大きくなり、安定した。しかしながら安全ではない。寒さが常に襲いかかり、民を食べさせるには地下迷宮の温暖なエリアで耕作する必要がある。そして迷宮は常に魔物が蠢く危険地帯だ。このいつ壊れても不思議ではない国を維持してきたのがアズライールという人物である。

 彼は預言者であった。

 力ある存在の言葉を手に入れ、必要を満たす者である。未来を見通す予言とはまた別のものだ。



「私には未来が見えているわけではない。力の導きを手に入れているだけなのだ。あの日もそうだった。が現れる前の日、私は言葉を聞いた」

「聖守の預言ですね?」

「その通りだ。あの日、『力ある言葉』は私に夢を見せた。青き光を放つ刃を。新たな秩序を導く剣の担い手を。聖教会の新たなる導き手の象徴がはっきりと目に見えた」

「聖王剣、ですね?」

「その通りだ。預言の通り、私が聖王剣を夢に見た翌日にその担い手が現れた。聖王剣を持つ力ある言葉の遣い、すなわち聖守が。この国の救世主がね」



 彼は言葉を止める。

 付き人は部屋を暖める暖炉に薪を追加した。火の粉が飛び出し、炎の勢いが少しずつ増していく。



「聖守を柱にシュリット神聖王国は勢いを増す。私はそう確信しているよ」



 預言者にして最高神官アズライールは炎を見つめつつ呟いた。








 ◆◆◆








 淡い光が導く先へ、アリエットは走った。

 彼女はその光が何を示しているのかも知らなかったが、復讐相手へ導いてくれているのだと何の証拠もなく確信していた。



(殺す……スレイ・マリアス!)



 その願いが彼女を導いた。

 雪降る中、切り出した石を運び、街づくりが行われている場所へと。アリエットはそこがどこなのかは知らなかったが、導きの光が消えたことでここが目的地であることを悟った。

 とはいえアリエットも無関係な人間を無差別に切り刻むほど狂ってはいない。

 フード付きのケープを取り出し、それを纏う。そして顔を隠せるほど深くフードを降ろし、魔剣を携えて歩き出した。建設中の街に潜り込むことは難しくなかった。山水域から来たことで薄着であるため、かなり目立ってしまっていたが。



「おいそこの嬢ちゃん! 寒くねぇのか? 悪いことは言わねぇから厚着しろよ!」



 聞こえてきたそんな忠告も無視してアリエットは進む。

 建設中の街とはいえ大通りは形を成している。そのど真ん中を進む彼女は服装もあって目立っていた。だが彼女は大通りの奥から進んでくる一団のことしか見えていなかった。

 毛皮と思しきコートで身を包み、武装して街の外へ向かおうとしている一団だけを見ていた。

 特段タイミングを計ったわけではなかった。

 だが運命に微笑まれたかのように、アリエットは見つけてしまったのだ。こちらへ歩いてくる武装集団を率いている男が、探し求めた復讐相手だと分かってしまった。



「いた……」



 無意識で感慨深さが言葉となって出てくる。

 立ち止まり、武装集団がこちらに迫ってくるのをじっと待った。すると周りの人々はアリエットに対して道を空けるように声をかけ始める。それらは道を空けなさいという意味を含んだ比較的優しい言葉だったが、全く動く様子のないアリエットを見て次第に口調も強くなる。

 そしてシュリット神聖王国は元々犯罪者を含む荒くれ者の多い成り立ちだ。現在の若手はおおよそ二世代目か三世代目ということになり、まだまだその性質を引き継ぐものが多い。徐々に荒い口調でアリエットを咎め始めた。



「おいあんた、そこどきな。術師さんたちの邪魔になるだろ!」

「ぼーっとすんなボケェ!」

「ほらほら道を空けた!」



 そんなことを言いながら男たちがアリエットをどかそうとした。乾燥して罅割れ、皮の厚くなった大きな手がアリエットの肩を掴もうとする。だが、その手が触れる直前にアリエットの身体から魔力の鎖が放たれ、男たちを縛り上げた。

 復讐相手を目の前にして高ぶっているのか、絞め殺してしまうほど強く縛る。骨が折れる音も聞こえて、明らかに関節が曲がってはならない方向に変形していた。

 流石に異常事態だと誰もが気付いたのだろう。

 途端に騒がしくなる。

 悲鳴が聞こえてくる中、アリエットは魔剣に手をかけた。



「死ね……スレイ」



 その刃を抜き放つと同時に魔剣の特性が発動する。

 宵闇の魔剣は妖精郷で作成された凶悪な魔術兵器だ。魔晶を刀身に採用した結果、これまでとは比較にならない魔術容量を確保している。

 闇の第三階梯《無象鋭鎗ノル・ランス》が発動したのだ。エネルギーの均衡を崩すことで物質を不均質化させ、不定形物質として操る魔術だ。地面があらゆる光エネルギーを吸収してしまう状態になったことで黒く染まり、槍のように鋭利化して突き出た。

 折角整備された道が破壊されて、黒い槍が武装集団へと迫る。

 しかしながら青白い光が放たれて、《無象鋭鎗ノル・ランス》は分解されてしまった。舌打ちするアリエットに対し、襲撃を受けた側はそうもいかない。大きな混乱が起こった。



「子供を逃がせ! 襲撃だ!」

「魔物なのか?」

「いや、人間だ。分からないが刺客かもしれん」

「とにかく非戦闘員は逃げろ!」



 シュリット神聖王国は辺境地域であっても、いや、辺境だからこそ逞しい。厳しい環境の中、地下迷宮の恩恵を駆使しつつも懸命に地上で生きる者たちだ。氷河期が収束に近づいているという幸運もあったとはいえ、サバイバル能力は高い。

 早急に非戦闘員の避難が始まり、アリエットを囲むようにして戦闘員が配置されていく。雪降る中、あっという間に包囲網は完成してしまった。その間もアリエットは全く動かず、ただ目的の男だけを見つめる。



「一斉攻撃だ!」



 容赦なく魔術攻撃が殺到した。

 武装集団は次々と炎の塊を生み出し、それをアリエットに向けて放つ。回避の隙間もない攻撃なので、これで完全に仕留められると考えていた。普通の人間なら、火球一つでも致命傷だからだ。

 しかしながら今のアリエットは普通ではない。

 火球群が爆発を引き起こした後、雪が蒸発した水蒸気が晴れていく。そこには全く無傷のアリエットが立っていた。唯一、被っていたフードだけが焼け焦げ、パサリと落ちる。

 武装集団が狼狽える中、それらを率いる男だけは目を細め、そして感慨深そうに呟いた。



「君は……アリエット」

「スレイィ……マリアスゥゥ……」

「そうか。復讐のためか」



 ここにアリエットがいる意味を、スレイは正確に理解していた。

 タマハミの里でも一度彼女と戦っているが、その際のアリエットは正気を失った状態だった。なので記憶が曖昧になっている。一方でスレイはハッキリと覚えており、アリエットのことも殺したものだと考えていた。

 だが生きていた。

 それを目の当たりにして、スレイは表情一つ変えない。



「まずはその人たちを放せ」



 彼は未だ鎖によって縛り上げられ、宙に固定されている男たちを指して言う。そのアリエットには全く興味がないとでも言わんばかりの態度に、彼女は斬撃で答えた。

 宵闇の魔剣が振るわれ、その刃から黒い斬撃が飛ぶ。

 闇魔術により空気が侵食され、不定形物質へと変化したものだ。するとスレイは腰に差した剣すら抜くことなく、聖なる光を発動させて斬撃を消し去る。そして次の瞬間、地面を突き破って樹木が成長し始めた。それはうねりながらアリエットの身体を拘束してしまう。スレイはこの隙を狙って聖なる刃を発動し、アリエットの鎖を断ち切って男たちを救出してみせた。



「ありがとうございますスレイ様!」

「すんません」

「気にしなくていい。あれは強い。避難してくれ」

「うっす」



 そんな会話をしている間に樹木が闇に侵食され、ボロボロと崩れていく。闇の第十階梯《黒浄原バルヘス・ドア》の縮小版であった。

 解放されたアリエットは目もくれず、鎖を伸ばしてスレイを捕らえようとした。意外なことにスレイはあっさりと拘束されてしまうが、途端に聖なる光で分解される。そして樹木が鞭のようにしなり、アリエットへと打ち付けられた。



「ぐ―――」



 その身に宿す迷宮魔力によりほとんどの物理攻撃を遮断する。そのためアリエットは衝撃を完全に受け止め切った。しかしながらそのまま樹木に絡めとられ、投げ飛ばされてしまう。

 空高くにまで放り投げられたアリエットにはどうすることもできない。落下するまではそのままだ。雪が押し固められ氷のようになった地面へと叩きつけられ、そのまま転がる。当然だがこれでも無傷であった。

 すぐに起き上がって魔剣の力を使おうとする。

 だが既に目の前にまでスレイが迫っており、いつの間に抜いたのか剣を振り下ろそうとしていた。アリエットは魔剣で打ち合おうとしたが、圧倒的に実力が足りなかった。あっさりと防御をすり抜け、アリエットは斬られてしまう。



(痛っ……)



 僅かな痛みを感じた。

 大抵の攻撃を無効化してしまう今のアリエットにとって、これは久しぶりの痛みだった。しかし驚いたのはスレイの方も同じである。



「たったこれだけの傷で……?」

「くそ!」



 困惑しつつもアリエットの反撃をかわし、磁力で吹き飛ばす。攻撃性はないが、磁性の反発力を使えばアリエットを強制移動させるくらいは簡単だ。

 そして移動させる技を使ったのは、スレイにとってこの街は壊されたくない場所だからである。つまり彼は周囲の被害を考慮する必要のある大技を使うことができる。

 磁力により吹き飛ばされたアリエットは、鎖を使って適当な岩場に巻き付けて停止させる。まだ磁力が残っているせいか抵抗感はあるものの、問題になる程度ではない。一番の問題は後手に回ってしまったことで、攻撃に転じることができなくなった点だった。

 熱気が押し寄せ、赤い津波がやってくる。

 木々を燃やし、雪を蒸発させながら大量のマグマが迫っていた。

 アリエットは魔剣を逆手に持って地面に突き刺し、闇の第八階梯《無明幕トワイライト》を発動する。薄っすらと闇色の幕が下りてアリエットを包み込んだ。そこにマグマの津波が殺到するも、マグマはその膜に触れると蒸発していく。

 《無明幕トワイライト》は闇魔術の象徴的な魔術で、物質の均衡を崩し、蒸発させることで攻撃を防ぐ結界の一種だ。質量であろうとエネルギーであろうと均衡が崩れ、発散してしまう。



「これも、耐えるか」

「スゥゥレェェイィィ!」



 磁力で宙に浮くスレイに対し、アリエットは幾つもの斬撃を飛ばす。魔剣は意識すれば闇属性を垂れ流してくれる。そして意識と魔力が強ければ闇も深まる。

 巨大な斬撃がスレイを襲った。

 だがやはりというべきか、スレイはその全てを聖なる光で無効化してしまう。そして右手を伸ばした。



「私の右腕は君から頂いた。私に目的ができたからだ。片腕じゃいられなかった。尤も……このザマだけどな」



 そう言いながら左手で顔に触れる。

 今のスレイは左目に大きな傷跡があった。爪でひっかかれたような平行な傷跡で、そのせいか彼はずっと左目を閉じている。アリエットも知らない傷であった。



「この世は理不尽だということを私は知っている。そしてお前も。だからもしも理不尽に抗う者たちがぶつかったとき、もう殺し合うしかないんだ」

「殺す! あんたはあたしが殺す!」

「私が作ってしまった因果だ。私が終わらせるよ」



 《無明幕トワイライト》でマグマを防いでいるためアリエットは動けない。熱気により雪が蒸発し、その蒸気によって空にいるスレイの姿も隠れる。

 だからアリエットは鎖を伸ばし、まずスレイを捕まえようとした。

 しかしその瞬間、スレイはコピーにより取得した魔装を発動させる。かつて祖国へと攻めてきた聖騎士の魔装、闇の穴だ。万物を空間の穴へと消し去ってしまう闇の禁呪星陰通孔《アストロ・ホール》とも似た攻撃である。

 空間のエネルギー均衡が崩れることで生じた穴は抗えず、防御力など関係なく沈めてしまうだろう。

 スレイはこれでアリエットを殺害するつもりだった。



「君はとても哀れだ。せめて楽になるといい」



 アリエットは声にならない叫びと共に大量の鎖を射出する。しかしそれはスレイの張る聖なる光で分解されてしまい、全く届かなかった。








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