第348話 虚構の黄金②


 氷河期の噂は徐々に広がっており、また相変わらず魔晶技術が機能していない神聖グリニアでは絶望的なデフレーションが発生していた。これによって失業者が多く発生し、破産するものまで現れる。またそうした人々を救う政府の仕組みも機能しておらず、彼らは仕事を求めて外国へ逃れることになった。

 『鷹目』はそのブローカーとして手を回し、多くの人々がディブロ大陸第一都市へと訪れることになったのである。とはいえ第一都市でも充分な仕事があるわけではない。逃れてきた人々は日雇いの仕事で何とか食い繋ぎ、希望を見出そうとしていた。


『知っているか? 北には希望の船があるらしい』


 そんな噂がまことしやかに囁かれ始めたのは、比較的最近だった。しかしその噂は知る人ぞ知る話として貧困者の間に広がり続け、あっという間に一つのコミュニティを生み出した。噂が広がっている程度で聖騎士が取り締まれるはずもなく、その法の穴が致命的な結果を生んだ。



「すげぇ……すげぇよ! 本当にあるじゃねぇか!」

「ああ。嘘じゃなかったんだ。俺たちはあの船に乗って生き残る。神様ありがとう」

「良かった。もう安心だ。俺たち家族も離れ離れにならずに済むぞ」



 彼らには僅かな悪意もない。

 ただ救いを求め、黄金要塞を希望として見出したのである。

 ある者はただ一人、ある者は家族を連れ、ある者は友人たちと共に、遥か先に見える金色の山を目指す。その一つで都市にも匹敵する機能を備えた大兵器だ。それを目指す三万人近い人々が全員を余裕で収容できるほどである。



「あれだけデカい目印だ。もう迷うことはねぇ」



 何もない・・・・荒地を進む一団は巨大な目標を目印にして歩んでいく。秘匿兵器の警備がないことも、魔物すら襲ってこないことも、違和感を覚えるものは一人としていなかった。







 ◆◆◆







 聖人教会は『聖女』と『剣聖』を重要視する派閥である。彼らは極めて強力な魔装を有する二人を、特に神から祝福された特別な人物だと考えた。つまり聖人として認定していたのである。

 二人が亡命したコントリアスが滅ぼされたその日より、彼らはシンクとセルアを救い出す計画を立てていた。しかしながら人の近づけない魔力嵐の吹き荒れる領域をどうすることもできず、悲嘆に暮れていたのだ。

 そこに現れたのが、魔力嵐を消すための希望である。

 彼らの下に、ある話が流れてきたのだ。

 それは魔王を倒せば魔力嵐が消え去るというものである。コントリアスを滅ぼしたのはディブロ大陸の魔王であり、それを倒せば『聖女』と『剣聖』を救えるという話だった。



「ようやく見えてきた。あれが黄金要塞……」

「凄いですね」



 彼らはスラダ大陸の港で船を奪い、海路によりここまでやってきた。神聖グリニアが開発したあの黄金要塞が手に入るという荒唐無稽な話であったが、こうして目の前に現れれば信じる他ない。半信半疑だった者たちの目にも明らかな喜びが浮かぶ。



「他の同志たちの船も近くに来ているんだよな?」

「そのはずだ。少し探してみるか?」

「いや、まずは目的地を目指そう。下手に通信して傍受されると困るし、探し回ってすれ違いになれば元も子もない。目的地は同じなのだから、私たちは仲間を信じればいいのだ」

「ですね」



 電撃網があるので海の魔物が近づくことはないが、それでも絶対ではない。できる限り聖人教会の仲間たちと共に行動したいというのが本音だ。しかし他の同志たちは別の港で別の船を奪い、ここに向かっている。この広い海で通信もせず合流するのは不可能に近いだろう。

 だが、できるだけ早く合流しておきたかったのは何も魔物対策だけではない。



「あれほどの兵器です。神聖グリニアの警備があると思いましたが……思いのほか静かですね」

「確かに。少し不気味だ」



 それは当然のことだった。

 彼らがここに来る前に、黒猫があらゆる障害を排除していたのだから。聖人教会の船がここを通るということで、その道を整えておいたのである。

 彼らの船が進む海の底に、空中適応型殲滅兵の残骸が散らばっていることなど知る由もない。







 ◆◆◆








 異端審問より逃げ出した樹海聖騎士団はしばらく身を潜め、それから船に乗ってディブロ大陸の北西海岸を目指していた。そこにある黄金要塞を使い、怠惰王ベルフェゴールを討つ。それがクゼン・ローウェル教皇から持ち掛けられた取引であった。



「お顔が優れないようですね、アロマ様」

「……あなたね」



 船の縁に寄りかかって空を見上げるアロマの下に、樹海聖騎士団の副長が寄ってきた。元から気配で近づいてきていることは分かっていたので、驚くことはない。しかし彼女は見てほしくないところを見られたと言わんばかりに気まずそうな表情を浮かべた。



「これからすることを考えると、少し憂鬱でね」

「それは……ええ、怠惰王を討つということですから。六年前の南ディブロ大陸戦争では大敗し、多くのSランク聖騎士が亡くなったと聞きます」

「いいえ。そっちじゃないわ」

「……といいますと?」

「私たちは怠惰王を討伐した後、教皇を討たなければならない。罪人クゼン・ローウェルとして」



 クゼンから頼まれたことは二つだ。

 一つは黄金要塞によって怠惰王を討ち果たすこと。そしてもう一つは罪人としてクゼン自身を討つことであった。魔晶技術が破綻し、国家としてのあらゆる保障から経済活動までが封じられた。復興するには一度既存のものを破壊し、新しく作り直さなければならない。

 そのための悪役を被ると彼は言ったのだ。



「あの人は横暴に振舞い、暴君として今の神聖グリニアを建て直すつもりよ。こんな状況だから、あらゆる法を無視して独裁するのは有効でしょうね。権力と財産を全ての国民から取り上げ、再分配する。反感を買うことになるでしょうけど、確かに立て直せる」

「私も計画は伺いました。知っているのはアロマ様と私の他、樹海聖騎士団でもごく数名だけです。マギア大聖堂でもクゼン・ローウェル様とあの方に近しい司教の方々、また秘書の方くらいでしょう。恐ろしいまでの覚悟です」

「ええ。尊敬するわ。ここ最近、あれほど高潔な人物はいなかった」

「アロマ様」

「私が聖騎士になって何年かしら? 途中で緋王と共に封印されていたし、実質四百年くらいかしらね。神聖グリニアの歴史をずっと見てきたわ。その歴史の中で国家規模の危機は何度かあったの。聖騎士になりたての頃は魔物の大軍に襲われてマギア以外が壊滅したこともあったのよ」

「グリニア史で習ったことがあります。蟲寇ちゅうこうですね? 無限の蟲系魔物により大陸が滅びかけたという……」

「ええ。蟲の王と呼ばれる存在が誕生しかけた。それを阻止して、その戦いで私は覚醒した。もう懐かしいわね」



 アロマ・フィデアは始まりの聖騎士とすら呼ばれる存在だ。神聖グリニアは蟲寇ちゅうこうと呼ばれる魔物の大発生事件により滅びかけたことがある。今も首都として栄えているマギア以外は蟲系魔物によって滅ぼされ、スラダ大陸東部の人類は絶望に苛まれていた。

 蟲系魔物は特殊であり、その全てが劣大芋虫ウィード・キャタピラーという種から始まる。それは進化によって七色大蛹パラレル・コクーンとなり、次の進化によって七種の蟲に分岐するのだ。まるで昆虫の変態のような進化体系を有する。

 だが蟲系魔物たちは進化の果て、また一つに戻るとされている。爆発的に増殖する蟲系魔物はやがて互いに食い合い、蠱毒によって力をつけ、遂には蟲の王が誕生するとされているのだ。それは超古代文明であるディブロ大陸文明より伝わる古い伝承であった。



「あの時の教皇はグリニア史でこう伝わっているわ。マギア以外を捨て、保身に走った裏切り者と。他の街に聖騎士を派遣せず、マギアだけを守らせていた破戒者と」

「はい。そのためか名すら伝わっていません」

「ええ。でも私は覚えている。あの人が苦渋の決断を下したことも、それを悔いていたこともね。あの時はそうするしかなかった。戦力を集中しなければとても守り切れなかったの。でも見捨てたのは事実。誰もがエル・マギア神から心が離れようとしていたわ」

「……だから当時の教皇を悪に仕立てた、と」

「そう。悪いのは神じゃなくて人間。そうしないと国が崩壊していたわ」



 歴史の意外な真実を知り、副長は黙り込む。生きた歴史ともいえるアロマの言葉には、その目で見てきたからこその重みがあった。繰り返されようとしている歴史に馳せる思いを、副長では推し量ることすらできない。

 しかしだからこそ、アロマ・フィデアについて少し理解することができた。



「アロマ様は……それを知っているから自らを使って緋王の封印を?」

「さぁ、どうかしら」

「私は……たとえ人から疎まれようと、真実を知る神は受け入れてくださると信じています。私はアロマ様について行きます」

「ふふ。ありがとう」



 いしずえとなるならば共に。

 そんな覚悟を受け取ったアロマは一瞬だけ意外そうな顔をした後、笑顔を浮かべた。







 ◆◆◆







 神聖グリニアは魔晶の強制暗号化によって使い物にならなくなった。一応は正式なセキュリティアップデートだったので、誰も疑うことなく暗号化を組み込んでしまったのである。その暗号を解く鍵がないことも気づかずに。

 それによってあらゆる機能が使えなくなり、混乱が生じてから一か月が経過した頃、遂に限界が訪れようとしていた。

 原因は色々とあった。

 まずあらゆる通信が不可能となり、広大な土地を伝言で管理する必要が出てきた。また数字の管理をソフトウェアで行っていたこともあり、それらを手計算で補う必要が出てきた。銀行の登録情報や口座情報も暗号化で使えなくなり、信用取引が壊滅した。需要と供給の管理もできなくなり、あらゆる物品が品薄となったり過剰となったりした。更には在りもしない嘘が噂として広まり、それによって住民が大移動したり暴動が起こったりした。

 果てには最強最古の聖騎士アロマ・フィデアの離反である。実際は離反ではないのだが、民衆の間ではそのように映っていた。

 もう神聖グリニアによる統治は限界に近い。民主による合意と、法による統治は不可能な領域へと突入していたのだ。



「最終復活計画を発令します」



 臨時教皇から正式な教皇となったクゼン・ローウェルは、まず第一の権力発動として最終復活計画を実行に移した。この計画は最終と付いている通り、神聖グリニアにとって最後の手段である。元あった形を諦め、全てを一度壊して再生させるというのが概要だ。

 神聖グリニアの国民は戸籍も職も財産も全て没収され、それを再分配される。金持ちもホームレスも等しく全てを奪われ、等しく分配されるのだ。そこに加減や配慮はない。



「まず、表向き・・・皆さんの権利を取り上げます」

「まぁ仕方ありませんな」

「ですね」



 理不尽な言葉を投げかけられた司教たちだが、納得して頷く。彼らもこれから行われる最終復活計画について理解しているからだ。この計画の肝は、教皇以外の身分が全て消失することにある。全てを真っ白に戻し、教皇が分配する。

 名目上はそうなっているので、司教と言えどその身分を返上しなければならない。ただ、それでは業務が滞ってしまうので表向きの話になるが。



「まずは各所の支聖堂に新しい戸籍登録所を設置します。これはアゲラ・ノーマン博士の完成させた新しいものとなります。また全てのハデス製品を排除する必要もあるでしょう。コンピュータウイルスにより狂ってしまった機器は回収して永久機関に捨てます。また同時に最低限のデバイスを再配布する必要があるでしょう。技術部が独自に作ったソーサラーリングを戸籍登録者に配布することにしています。また現状、各家のオートロックや家電機能も失われています。それらを破壊し、建築し直す必要があるでしょう」



 クゼンは手元に置いてあった紙を配り始める。

 この奥の間に集まった司教たちはそれらを読み込み、ある者は息を呑み、ある者は感嘆の息を吐き、ある者は苦悶の声を漏らした。



「アゲラ・ノーマン博士はマギア大聖堂を襲撃した悪魔によって殺されました。ここにいる皆さんはその機密をご存じでしょう。そしてあの方は自身の魂を退避させ、永久機関を管理するコンピュータと融合することで滅びを逃れたようです。あの方に肉の身体はありませんが、生きてはいます。そして永久機関と融合したことにより、無限のエネルギーを用いた魔術を扱えるようになりました。その力を使い、このマギアを作り替えます」



 全てを無とし、永遠の繁栄を建て直す。

 最終復活計画第三項、久遠の聖都エターナル・マギア計画。

 暴君の治世を思わせる計画が始動した。






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