第296話 A史接続点⑤


 フロリアは液体空気が蒸発して視界を悪くしている領域へと踏み込み、シアを探していた。《冥府の凍息コキュートス》の影響でこの辺りは人間の生存可能な気温を下回っており、フロリアも自身の周囲を暖める魔術を常時発動することで対応している。

 またこの魔術によって空気が急速に暖められ、余計に視界が悪くなっていた。



(どこ……?)



 魔力を全く感じられない以上、シアが死んでいることは確実だ。ガストレアが蘇生できなかったことは痛く、せめて一人でも復活させなければならない。

 そうでなければ冥王と戦うことすら不可能だ。



(いえ、仮に復活したとしても)



 彼女は思わずそんなことを考え、首を横に振る。

 それは聖騎士としてあるまじき思考だ。だが、どうしても冥王と戦っている自分たちの姿をイメージすることができない。死魔法とはそれだけ理不尽で、圧倒的な能力である。

 神聖グリニアが突き止めた死魔法の能力は主に二つだ。

 一つは魂を含むエネルギーの奪取。

 そしてもう一つは問答無用に死の概念を付与する死魔力である。

 前者は覚醒魔装士以外を即死させ、後者は実質上対策不可能な魔法魔力。流石に三百年以上前から君臨する『王』の魔物は格が違った。

 現在ではスラダ大陸で活動する唯一の『王』として警戒されているが、一方で文明が進んでも討伐できないという点で認められている。相応の準備をしたならばともかく、不意打ちされた場合は一方的に敗北する可能性の方が高い。

 これはフロリアの中にある冷静な部分が告げていた。



(ここは撤退ね。メンデルスは見捨てることになるけど、今はどうしようもない)



 今は大帝国との戦争もある。

 僅かでも戦力をかき集め、冥王から逃げるしかない。

 そんな決意を固めていた直後に瓦礫に紛れた人型の影を見つけた。急いで近づくと、予想通り最も新しいSランク聖騎士シア・キャルバリエを発見する。彼女は生きたままのような姿で固まっていた。瞬間冷凍されたことで、美しい彫刻でも眺めているようである。

 だが、見とれている暇はない。

 すぐに《完全蘇生リザレクション》を発動し、また同時に気温を暖める魔術を行使して再び彼女の体が凍り付かない様にする。すぐにシアの身体は凍結から解放され、倒れそうになった。フロリアはそれを支えつつ《完全蘇生リザレクション》を続行する。



「……やっぱりおかしいわ」



 しかし残念ながらシアが甦ることはなかった。

 彼女の魂は冥界に連れていかれた。消滅した魂を再構築する《完全蘇生リザレクション》はエラーを引き起こし、肉体を修復するプロセスで停止している。

 その事実を知らないフロリアは焦るばかりである。



「なぜ? 魔術は間違っていないはず」

「理由は簡単だ。俺が蘇生系の魔術を使えないようにしたからな」

「っ!」



 フロリアはその声に肩を震わせ、おそるおそる振り返る。

 そこには悠然とした態度のシュウが立っていた。



「冥王……そう、もう全滅したのね」

「理解が早いな。その通りだ」

「蘇生ができないのもあなたが原因ですって? だったら」

「ああ。お前たちが生き返ることはない。この戦争でもな」

この戦争・・・・……? まさか!」



 次の瞬間、フロリアの目の前にシュウが迫る。その右手には黒い魔力が帯びており、貫手の構えで胸を狙っていた。明らかに心臓を一突きにする勢いである。

 油断していなかった彼女はシアを手放し、転がりながら回避する。

 だがその瞬間、全身から力が抜けた。

 死魔法で魔力を抜き取られたのである。無制限に生成される魔力のお蔭で魂は保護されたが、一瞬でも隙を晒してしまうことには変わりない。

 そこでフロリアは振り返りつつ、ソーサラーリングによる魔術発動を試みる。選択したのは《火竜息吹ドラゴン・ブレス》。とても至近距離で使うべき魔術ではないが、今はシュウを追い払うことができればそれでよかった。

 しかし、ソーサラーリングの嵌められた、彼女の右手からは何も出てこない。



「冥土の土産だ。一つ知識を与えてやる。この俺がハデスグループを創設し、裏で操っている。ソーサラーリングも俺の発明だ。俺が好きに機能停止できるようブラックボックスが組み込まれているんだよ」

「なん、ですって……?」

「全て忘れ、安らかに魂を休めていけ」



 ドン、と体に衝撃が走る。

 その感覚を最期に、フロリア・レイバーンの四百年に及ぶ一生が閉ざされた。










 ◆◆◆










 刹刈魔バルバトスと戦うクラリスは空高くへと逃げていく。下から無数のレーザー光線が飛んでくるものの、それはソーサラーリングから水の第二階梯《濃霧ディープミスト》で弱めていた。

 同じく光線を操るクラリスにとって、レーザーの弱点など当然の知識だ。

 レーザーとは光であり、霧のように空気とは屈折率の異なる液体の粒子を挟み込むことで散乱させることができる。収束率が低下すればレーザーなどただの明かりに過ぎない。これによってクラリスの側から攻撃できない代わりに、刹刈魔バルバトスによる即死攻撃を防ぐことができていた。



「何なのよここは! 外に出られないじゃないの!」



 彼女はまず、引き返して刹刈魔バルバトスから逃れようとした。

 しかし元の場所に戻ってしまい、仕方なく引き返してきた。

 《縮退結界》によって閉ざされた世界では、脱出することなど不可能である。この結界の恐ろしいところは内側での空間連続性に限り閉じている点であり、外側からは問題なく侵入できてしまう。当然ながら光も入ってくるので、外の景色は変わりなく見えるのだ。

 脱出できそうで脱出できない。

 それが悔しさを増幅させる。



「絶対に生きて帰ってやる!」



 そう決意してクラリスは水晶竜を操り上昇し続ける。

 だが次の瞬間、視界の端で何かが反射する。咄嗟に身を低くすると、先程まで頭があった場所を光線が貫いていた。



「くっ! なんで!」



 《濃霧ディープミスト》を使えばレーザーなど容易く防げる。

 それは甘い考えだった。

 悪魔は非常に知能が高い。異形の姿をした刹刈魔バルバトスも同様であり、風の第四階梯《空翔フライ》を使ってクラリスを追ってきた。魔術を使う魔物は珍しく、これには焦りを覚える。



「だったら! とことん逃げてやる!」



 再び《濃霧ディープミスト》を放ち、今度は辺り一帯を霧で包む。だが刹刈魔バルバトスは炎の第六階梯《熱風ヒート》によって霧を払い、触手目玉からレーザーを発射する。同じく空を舞台に戦うことができるならば、クラリスにとってアドバンテージなどあってないようなもの。

 寧ろ機動力の面で劣っているほどである。

 徐々に刹刈魔バルバトスの攻撃密度も増しており、回避も難しい。そこでクラリスはソーサラーリングに込められた彼女専用魔術によって対抗する。

 不意に刹刈魔バルバトスのレーザーが逸れた。



「wat? fuol humuno! lok muna pawa」



 悍ましい声で何かの言葉を吐き続ける刹刈魔バルバトスは一層巨大なレーザー光線を放つ。それはクラリスの乗る水晶竜にまで迫り、直前で上向きに逸れた。



「どうよ! 所詮レーザーなんて光なのよ!」



 太陽光を収束して放つというのがクラリスの主な攻撃だ。また元は企業に勤めていた魔術師ということもあり、光に関係する魔術には詳しい。

 光には屈折という現象が伴う。空気を含むすべての物質には屈折率が存在しており、物質と物質の境界面への入射角度とその屈折率に依存して光が曲がる。クラリスは魔術によって空気中に屈折率の異なる領域を生み出し、刹刈魔バルバトスのレーザー攻撃を曲げてみせたのだ。

 クラリスが保有する領域内光学誘導システムもその一種である。



「ふん。魔物なんて所詮は――」



 だが彼女はその先の言葉を続けることができなかった。

 なぜなら、クラリスの頭部が消し飛ばされていたのだから。

 消失していく水晶竜の背中の上で空間が僅かに歪み、そこから刹刈魔バルバトスが姿を現す。一方でクラリスが見ていたはずの刹刈魔バルバトスは霞のように姿を消した。



「fuol, fuol, fuol……fuol humuno. diabo domin humuno. bee nachulul」



 悪魔は狡猾で賢い魔物である。

 ただ力任せに攻撃するだけが能ではない。刹刈魔バルバトスも知恵を絞って戦う。光学に適性を有するこの悪魔は、自分の幻影をクラリスに見せていたに過ぎない。そして気配と魔力を隠して近づき、至近距離からレーザーで撃ち抜いたのだ。

 破滅ルイン級の魔物を侮ったクラリスの負けであった。

 そして刹刈魔バルバトスは彼女の死体を手に取り、掲げた。








 ◆◆◆









 その日、どこか騒がしいことをシンクは感じていた。

 特にマギアという都市に何かがあったわけではない。彼の持つ気配察知能力が何か違和感を捕らえていたに過ぎない。ある者はそれを勘というのだろう。だがシンクはこの感覚を信じていた。

 そしてこれが正しいことをすぐに知る。



「お久しぶりです。予定通り、時が来ました」

「やっぱりお前が引き起こした騒ぎか、『鷹目』」

「これは驚きました。聖堂の騒ぎにこの距離で気付いたのですか?」

「いや、何となくだ」

「それはそれは……ともかく、今が神子を連れ出すチャンスです」



 シンクは緊張のためか背筋を伸ばした。

 いよいよ、という感情と共に若干の後悔もある。必要なこととはいえ、神子を誘拐するのは重罪。反逆者として追われているのだから今更ではあるが、まともな感覚を持っているならば引け目は感じる。



「どうしますか? 止めますか?」



 それを察したのか、『鷹目』はこんなことを尋ねる。

 だがシンクは静かに首を横に振った。



「いいや。俺がするべきことだ。危険はあるが、やる必要がある」

「分かりました。ではこれから地下の抜け道を案内します。神子の住まう聖堂の奥にまで続いていますが、地上に出れば警備がいることでしょう。それらは振り切ってください」

「そんなことをすれば聖騎士が……特にSランクが出てくる。どう対処するつもりだ? 俺一人では難しいと思うが」

「実は本日、メンデルスで魔物の襲撃がありましてね。そこにほとんどの聖騎士が出動しています。Sランク聖騎士も残っているのは『樹海』と『魔弾』、あとは戦力外ですが『神の頭脳』だけです。問題なく振り切れるでしょう?」



 神聖グリニアで第二の都市といわれるメンデルスが魔物に襲撃されているというのは驚きであった。街にはかなりの防備が敷かれているので、魔物は都市に近づく前に撃退されるのが普通である。まさかマギアからSランク聖騎士が派遣されるほどの事態になるとは思えないほどに。

 シンクはジッと『鷹目』と目を合わせ、尋ねる。



「それもお前の仕業か?」

「私も多少は協力いたしましたが、根本的な原因は私ではありません。それに魔物の出現については私にとっても予想外でしてね。仲間が対処しているはずです」



 この世に悪意と戦乱を生む者たち。

 それが神聖グリニアの考える黒猫という組織だ。この評価は間違いではなく、歴史的に見ても黒猫は幾つも戦争を引き起こしてきた。元は聖騎士だったシンクも同様の考えであり、今回のことも快く思っていない。



(だが、汚れ事に手を染めてでも神子の力は必要だ。戦争を止める一手を未来視に見出すしかない)



 それに手放しでは喜べないが、メンデルスが魔物に襲われたのならば和平による解決の道も見える。神聖グリニア側が戦争する余裕がないと判断し、最低でも停戦を提案してくれるだけで流れが変わる。

 コントリアスという小さな中立国を仲介役として戦争を止めるならば、適切なタイミングを狙う必要がある。未来視はそのために必要であった。



(ただ、あの方が協力してくれればいいが……)



 幾つかある不安の一つが、神子セシリアが素直に予言するかどうかである。彼女は予言など無駄と言い張り、何も言わないことの方が多い。

 ともかく希望を抱き、後ろめたさを押し込め、シンクは告げた。



「案内してくれ」

「ええ。喜んで」









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