第272話 タマハミ②


 研究所が慌しくなったことにはシュウもすぐに気づいた。

 生憎と透明化して魔力感知システムを死魔法で殺しているため、誰一人としてシュウとアイリスに気づかない。また会話から何が起こっているのかすぐに推察できた。



(どうやら何かを輸送するらしいな。航空宇宙学第二実験場か。例の宇宙探査用に作った研究施設か?)

(空の果てに行くための乗り物ですよね)

(ああ。月に封じられている同胞トレスクレアを助けるために宇宙開発を進めているみたいだからな。『鷹目』に頼んで動きを調べさせていた。俺もハデスを介して多少は調べていたがな)

(実際に行けるのです?)

(いや、無理だ。空には水蒸気の結界が張られているからな。ルシフェルが張ったものらしい。そのお蔭で宇宙に飛び出そうとする何者かがいれば、妨害するようになっている。それを突破するのが困難で実際には不可能だ。逆に言えばその結界さえなければ宇宙に行ける程度の技術力はあるらしい)

(凄いですねー)



 アイリスにとっても宇宙とは未知の領域だ。

 知識として星の外界であるということは知っているものの、馴染みがないことは確かだろう。シュウとて実際に行ったことがあるわけではないものの、アイリスよりは深く理解しているつもりだった。故に星の軌道上に打ち上げられた兵器は厄介と考えていたので、ルシフェルの結界についてはありがたいと思っている。



(しかし輸送というより、誘導弾ミサイルだな)

(何かをコントリアスに向けて飛ばすみたいですけど)

(どうせ碌なものじゃない。まずはアゲラ・ノーマンを探す)

(ですねー)



 地下研究所の最下層にまでやってきた二人は、そこでアゲラ・ノーマンを探していた。だが、慌しく駆け回っているのは人間の研究員ばかりである。シュウは霊体化によって更なる地下や隠し部屋を見つけようともしたのだが、そのようなものは特に見つけられない。

 しばらく彷徨っていたが、一向にアゲラ・ノーマンの姿は見えなかった。



(シュウさん。場所を間違えたか、逃げられたんじゃないですか?)

(あるいは例のロケット発射場に行ったか……)

(どうします?)

(流石にもう……ここにいるとは考えにくい。発射場に行くぞ)

(はーい)



 既にアゲラ・ノーマンがここにはいないと知らず、二人は航空宇宙第二実験場へと向かった。







 ◆◆◆






 一方で航空宇宙研究所では、急遽決まった試作ロケットの発射実験に慌しさを増していた。これまでの観測と実験により、宇宙へと向かうには水蒸気の結界を突破しなければならないと分かっている。そのためロケット技術そのものより、結界を突破するための技術開発へと移行していた矢先に実射だ。

 しかもロケット技術を誘導弾ミサイルへと転用するための実験であり、実験と称しつつも搭載した兵器をコントリアスへと打ち込むということになっている。

 失敗はまずないとわかっていながら、搭載されている兵器が兵器だけに緊張が走っていた。



「六十番から七十番まで良好! 電子回路に異常なし!」

「魔力供給回路の三百二十番以降をチェックお願いします」

「充填済み魔晶の搭載を完了しました」

「重力制御魔術のデバッグを完了! 続いて加速射出魔術の最終デバッグを開始します」



 宇宙まで物体を打ち上げるのはもちろんだが、投射によって物体を目的地に正確に送り込むにも膨大かつ正確な計算が必要になる。重力、空気抵抗、自転の力、推進力、風など、様々な影響を受けるためだ。遠くに飛ばすほど誤差が大きくなるため、目的地に着弾させるためには魔力計算機が必須だ。

 更には不慮の事態を想定し、着弾予測修正も行う必要もある。



「弾道プログラムのセット完了。相互通信システムのチェックを開始します」

「実験体タマハミ一号を格納しました。現在ロック中」

「障壁術式のチェック完了しました」

「百二十番から百三十番までのチェックを開始します」



 管制室の大型モニターではロケットのシステムが表示されており、チェック完了した部分から青色が着色されていく。今はおよそ六割が青色になっており、かなり急ぎで準備が進んでいた。

 ただ、制御を魔術によって行っているので、天候による影響はほぼ無視できる。準備が完了すれば確実に発射できるという点で非常に優秀だ。

 発射までの時間は刻々と迫っていた。







 ◆◆◆






 マギア大聖堂へと帰還したアゲラ・ノーマンは、地下深くの研究室に引きこもった。そして教皇へと電話を繋げ、実験体をコントリアスへと送り込む旨を伝えたのである。

 事後承諾となるその報告に教皇は怒りを露わにするも、アゲラ・ノーマンは飄々としていた。



『今後はこのようなことがないようにしてもらおう。シンク殿の提案でコントリアスの中立を認める方向でまとまりかけていたのだぞ!』

「それは失礼。何としてでもあの国を滅ぼし、覚醒魔装士を手に入れるのかと思っていました」

『我々は蛮族ではないのだ。勝手な行動は控えなさい』

「しかし輸送機は発射準備段階です。止めますか? ベウラル殿も復讐に燃えているというのに」

『む……』



 時間系の呪いによりベウラルは片腕を失い、再生もできないままでいる。気性が荒く、やられたままでは納得できない彼は復讐の機会を狙って治癒を求めた。そしてメラニアで治療を受けることになったのだ。

 このままコントリアスの中立を認めることにした、と言えばベウラルは怒り狂うだろう。

 だが、聖騎士は魔神教の一部。

 上層部の決定には従わなければならない。

 ケリオン教皇は確固たる意志によって反論する。



『ベウラル殿のことは私が説得しよう。だから――』

「よろしいのですか?」

『だから私が説得する』

「いえ。彼は既に誘導弾ミサイルに格納しているのです。時限付きで封印が解放されるようにね。このまま発射しないのであれば、メラニアで彼が解き放たれますよ?」

『馬鹿な!』



 通話越しにも焦りが伝わった。

 教皇の慌てた様子にアゲラ・ノーマンは思わず笑みを浮かべる。



「万が一にも勝手に解けないよう、かなり厳重に組みましたからねぇ。今から発射シーケンスを中止し、停止プロセスを実行、それから封印の時限装置を解除するとなれば……時間が足りるでしょうか?」

『馬鹿なことを! すぐに解除するのだ! お前ならば可能なはずだ!』

「お断りですね。メラニアには私を殺そうとする暗殺者が紛れ込んだようですから。誘導弾ミサイルの発射を聞きつけた何者かが暗殺者を送っていることでしょうね。私が発射実験に立ち会うと予想して。なのでここと繋がる秘匿ゲートも壊しておきました」

『な、なんということを!』



 全てが計画通り。

 アゲラ・ノーマンはこうなることも見越していた。コントリアスでの敗北により神聖グリニアも弱腰になることは分かりきっていた。コントリアスで無駄に戦力を消耗するより、大帝国に備えたほうが良いという判断になることは目に見えているからだ。

 しかしそれではせっかくの戦場がなくなり、今使える合法的な実験場が失われることを意味する。



「さて、どうしますか?」



 悪魔のような問いかけに対し、教皇は首を縦に振るほかなかった。

 アゲラ・ノーマンの実験体が解き放たれることに比べれば些細なことである。それに中立を認めるという方向で固まりつつあるだけであって、決定ではない。まだ間に合う。



『いいだろう。ただし、相応の責任は取ってもらうぞ』

「構いませんよ」



 教皇は精一杯の虚勢を、アゲラ・ノーマンは余裕の返しをする。

 彼はトレスクレアとしての本性を現し始めていた。







 ◆◆◆







 一方、神聖グリニアの殲滅兵と聖騎士を撃退したコントリアスは震撼していた。その理由は実質ただ一人で神聖グリニアを撃退した者の存在である。

 黒猫の幹部『黒鉄』。

 それは護衛人として最高峰の称号であった。裏社会で知られる名ではあるが、流石に各国の上層部は認知している。だが、その本当の力を知っているとは言えなかった。



「まさかあれほどとは……」



 イグニアス王は溜息と共にそんな言葉を漏らした。

 スバロキア大帝国が雇って派遣してくれたという『黒鉄』は剣士であった。故に大量破壊や対軍には向かないはずだった。しかし蓋を開けてみれば結果は呆れるほどのものである。たった一人が剣一本で殲滅兵を破壊し尽くしたのだ。



「しかし陛下。殲滅兵が消えた速度やタイミングから鑑みて、一人とは考えにくいです。このログを見てください。ここの殲滅兵の一団が消滅した数秒後には離れた地点を進軍中の殲滅兵が消されているのです。この移動速度は、流石に……」

「いやいや。それはそう考えるのは早計だ。やはり噂通り、黒猫には覚醒魔装士ばかりがいるということか? それならばこの殲滅速度も納得できるというものだ」

「どちらにせよ、我々は助かったのだな……」

「いや、油断するべきではありませんよ。まだ奴らは引いただけです。外交手段で何とかこちらの正当性と中立の維持を認めさせなければ」



 コントリアスはひとまず助かったが、危機を乗り越えたわけではない。

 まだ安心できない状況は続いている。ただ、先の勝利によって外交的にも有利な立ち回りが可能となったのは確かであり、迅速な対応が求められる。

 注目を集めた外務卿が現状を説明した。



「神聖グリニアの反応も良好です。どうやら『剣聖』殿と『聖女』殿が我々の中立に対して好意的な意見を述べているらしく、あちらの上層部もその方向で固まりつつあると」

「それは素晴らしいぞ」

「ありがとうございます陛下。尽力し、必ずや中立を勝ち取ってみせます」



 有名な覚醒聖騎士が好意的というだけで安心感がある。

 イグニアス王を初めとして、この場にいる者たちはあからさまに安堵していた。

 しかしそれは泡沫の夢。

 彼らのあずかり知らぬところで蠢く悪意によって、最悪の兵器が撃ち込まれようとしていた。



「大変です! 教皇が我が国に対して背信国宣言を……あらゆる外交手段を拒絶され、我が国は完全に孤立しました!」



 最悪の一報が寄せられた。






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