第250話 東ディブロ海探索①


 ディブロ大陸戦線は怠惰王に敗北したことで大きく下げられることになった。また同時に、怠惰王の討伐は現状・・不可能と断じられ、後回しを決定されたのである。

 結果として、新たな探索計画が進められていた。

 一つは北ディブロ大陸の、黄金都市……現在の第三都市から東側の探索だ。こちらは後回しにされることが決まっていたので、探索計画はほとんど進んでいない。また第三都市周辺地域は農耕に利用されており、重要地域として認識されている。まずは探索よりも防衛に力が入れられていた。

 もう一つが東ディブロ海の探索である。こちらはオブラドの里を改築した第二都市から更に東へと進んだ位置に建設中の第四都市が要となる。この第四都市は東ディブロ海に面する大規模な港が建設されており、完成まではまだ数年かかる見込みだ。ただ、逆に言えば建設ラッシュで活気のある街という意味でもある。多くの資材が運ばれ、あるいは人々が入植し、非常に賑わっていた。



「ここも金ぴかなんですねー」



 そんな港町の大通りに、冥王と魔女が訪れていた。



「基本はオリハルコン建材だからな。塗装したらまた別だが、まぁ、建設が優先なんだろ」

「港の建設とか海の魔物に襲われそうですけどね」

「『鷹目』が言うには、昔俺たちが開発した電撃網の改良版が張られているらしい。だから魔物も近づかないそうだ」

「あれってまだ使われていたんですねー」

「らしいな」



 大通りには生活に必要なものが多く売られている。

 その中には食料品も当然含まれており、シュウたちはその店の一つに入った。そして既製品のパンや干し果物を手に取っていく。



「この辺りは全部買っておくか」

「どれくらい必要ですか?」

「アイリスだけが食べるとして最低六十日分だな。観測魔術が無効化される領域に向かうわけだし、転移できなくなるということも想定した方がいい」

「私は時間遡行を使えば何も食べなくて大丈夫ですよ?」

「魔術の無効化だけならな。仮に魔力の無効化だとすれば、魔装も使えなくなる」

「あー、そうですねー」



 シュウとアイリスは東ディブロ海の観測魔術が無効化されてしまうエリアを目指すことにした。また観測できないことから、なぜ魔術が無効化されるのかも分かっていない。仮に魔術ではなく魔力そのものが無効化されるのだとすれば、アイリスの不死身能力すら使えなくなる。本当ならばアイリスを連れて行きたくはなかったほどだ。



「教会所属の千里眼系魔装士が観測できていないらしい。いつもの不死身だと思い込んでいると痛い目を見るかもしれないからな」

「確かにそうですけど」

「亜空間魔術を使えないことも想定して、大きめの船も用意した。食料はそこに積み込む」



 東ディブロ海の一部で魔力が使えない可能性が浮上した時、シュウは純科学によるシステムの開発を進めさせた。妖精郷の中には純粋科学を研究する変わり者もいるので、彼らに依頼して燃料電池を作り出したのである。燃料電池の触媒となるプラチナも魔術で作り放題なので、作成そのものには困らなかった。また燃料となる水素も魔術で無限に生み出せる。唯一の問題は、魔力が無効化されることを想定して魔術金属であるオリハルコンが使えなかったことくらいだろう。

 満足がいくものが完成するまでかなり時間がかかった。



「だから、今回は二人旅じゃない。妖精郷の奴らもそれなりに連れていく。もしも『黒猫』の言った帝国があるとすれば……妖精郷として交渉する」



 シュウは干し果実の入った箱を抱えた。






 ◆◆◆





 翌日、シュウとアイリスは東ディブロ海の海上にいた。まだ観測魔術が効力を及ぼすエリアであり、二人は空を飛ぶことに成功している。

 そして例の場所はその先だ。



「見た目は特に変わりないな」

「ですねー」



 シュウは試しに、その領域へと手を触れる。

 すると突如として魔術が途切れ、落下しかけた。すぐに霊体化して浮遊を維持する。



「なるほど。霊体としての性質は維持されるわけか」



 即座に戻ったシュウは、実体化して考察を続ける。

 続いてアイリスに向かって告げた。



「その領域で時間操作は使えそうか?」

「んー……やっぱり発動しないみたいですね」

「やはりか」



 ならばと、シュウは海上に向かって死魔法を放つ。《冥府の凍息コキュートス》によって絶対零度へと至り、海の一部が氷結した。



「魔法は発動するか。ということは、魔力を無効化するということか?」



 実験により、魔力は固有振動を有する量子であることが分かっている。そして異なる固有振動である死魔力の法則は通用したので、通常魔力の固有振動に属する法則がすべて無効化されるということだろう。

 いや、一部を除いて無効化されるというのが正しい。

 もしも完全無効化であるならば、魔物であるシュウは実体を維持できなかったはずだ。魔物は魔力生命体といわれているが、その実体は魔力によって再現されたものだ。つまり人間や動物の体とそれほど変わらないのである。

 この領域は魔装、魔術、魔導のような魔力現象に限定して無効化しているのだ。非常に高度と言わざるを得ない。少なくともシュウには魔術によってこの領域を再現することはできないと考えていた。



「これだけ都合のいい領域を作れるとすれば……魔法か? それなら死魔法を制限できない理由も説明が付く」

「じゃあやっぱりこの先に魔王が?」

「いるだろうな」

「戦いにならないと良いですねー」

「こちらから攻撃を仕掛けなければ大丈夫だと思いたいな。取りあえず船を出すぞ」



 シュウは魔術陣を展開し、亜空間を開く。時間魔術によって固有時間が設定された空間に物資を保存しているのだ。この中では物質の劣化がほぼ時間停止レベルで遅くなる。

 その亜空間から妖精郷で作った船を取り出し、海上に浮かべた。

 船の大きさは五十メートルほどで、厚めの装甲と大砲が装備されている。魔力が使えないことを前提としているため、兵器も火薬頼りだ。

 二人はその先端へと降り立ち、シュウは再び魔術を発動する。

 今度は妖精郷とこの場を繋ぐゲートの魔術だ。そしてゲートの奥から多数の妖精や霊が現れた。シュウは妖精郷の王として命令する。



「ここから東に進む。出航だ」



 海の真ん中から出航という特異な状況だが、妖精と霊たちは自らの役目を理解して淀みなく動き出す。燃料電池が動き出し、全システムに電力が供給され、出航の準備が整う。

 純科学によって生み出された鉄の塊が、魔王の領域へと踏み入った。






 ◆◆◆





 西方都市群連合は都市の集合体である。それぞれの都市はスバロキア大帝国から続く貴族が運営しており、レイヴァン家もその一つであった。

 そして今日、その当主が息子へとその立場を譲ろうとしていた。



「皆様、今日は新しきレイヴァン家当主のために集まってくれて感謝します。ここにいる皆様は我が息子をご存知で――」



 実際の所はもう家督を譲っているので、今挨拶をしているのは前当主ということになる。その隣では彼の息子であり、今代当主の男とその妻が誇らしげに佇んでいた。

 そんな彼らを横目に、ギルバート・レイヴァンは考え事をする。



(時期が時期だからパーティも小さめだな。親しい貴族や有力企業の役員ばかりか)



 南ディブロ大陸戦争で大敗し、今は各国が喪に服している。あまり祝い事ができるような状況ではないので、名家レイヴァン家のパーティとしてはかなり小さめであった。新当主就任パーティともなれば、それこそ都市で一番のホールを貸し切ってのものとなる。また都市もお祭り状態となり、もっと賑やかになってもおかしくはない。

 新しい当主の就任は前々から決まっていたので、タイミングが悪いとしか言いようがない。



(とはいえ、あの戦いに参加せずに済んだのは運が良かった)



 ギルバートは貴重な覚醒魔装士であり、南ディブロ大陸戦争の終盤でも教会から援軍要請が届いていた。そして西方都市群連合が任務として正式に派遣を決定したら、ゲートですぐに向かうことにもなっていた。しかし予想以上に早く魔神教連合軍は敗北し、彼とその妻であるジュディスは負け戦を免れた。



「――では今後とも、我がレイヴァン家をよろしくお願いします」



 考え事をしている内に新当主の挨拶まで終わったらしい。

 立食形式のパーティが本格的に始まった。



(やれやれ、だな)



 今のギルバートは西方都市群連合の重鎮だ。故にこのようなパーティに参加すれば、当然のように有力者たちが寄ってくる。

 本当ならば妻のジュディスも連れてこなければならないのだが、生憎と彼女は欠席だ。この国の切り札である二人が同時に就任パーティ如きに参加するというのは、政治バランスの上で宜しくないからだ。ギルバートも親族だからこそ参加しているのであり、本来はこの場にいるような人間ではない。

 だからこそ、有力者がこれ幸いと寄ってくるのだが。

 そして今回は親族枠として一人連れてきていた。



「パパ」



 グラスを片手に壁と同化していたギルバートの下へ、少女が歩み寄る。最近になって少し大人びてきた彼女はギルバートの娘であった。まだ幼い息子は留守番となっている。



「サーシャか。どうした?」

「アデル様が来ているみたいなの」

「あの人たちも来ていたのか……分かった、挨拶に行こう」

「うん」



 ギルバートは娘に手を引かれ、パーティ会場を案内される。

 野菜が花飾りのようにして盛り付けられた色鮮やかなテーブルに、目的の人物はいた。一人はサーシャより一回り大きな少年。もう一人は高級な礼服で身を包んだ青年である。



「おや、これはギルバート様ですか。お久しぶりですね」

「ああ、久しぶりだなクロ」

「本日はサーシャ嬢もご一緒とは運が良い。アデル様を連れてきた甲斐がありましたよ」



 クロという男は後見人を名乗っており、アデルの親族というわけではない。

 そして肝心のアデル……いやアデルハイトという少年はギルバートにとっても無視できない人物であった。



「婚約者のお二人が会うのも久しぶりでしょう。アデル様もサーシャ嬢をエスコートして差し上げるのはいかがですか」

「そうするよ」



 アデルハイトはサーシャの手を取り、向こうへと消えていく。

 それを見てギルバートも溜息を吐きそうになった。サーシャも一応は貴族の一員だ。将来有望な者と早い内から婚約を結ぶことも珍しくはない。ただ、覚醒魔装士の娘というだけあってサーシャは様々な貴族から縁談が申し込まれ続けている。そんなやっかみも飛び交うパーティの中に子供二人で放り出すというのは少し心配だったのだ。



「それで、何の話だ? わざわざあの二人を遠くにやってまで」

「ええ。実はそろそろ、ギルバート様にも真実というものを知って頂きたいと考えています」

「真実、だと?」

「はい。この国が抱える秘密です」



 どういうことだ、という疑問を表情に浮かべる。

 このクロと名乗る男は実に読みにくい。何事にも動じないという面で非常に厄介だ。ギルバートが知る彼の情報は、投資家であり旧大帝国貴族とも強い繋がりがあるということである。

 そして西方都市群連合を国家として運営する元老院にも影響力があるということであった。レイヴァン家も常任元老であるため、その繋がりからクロと知り合うことになった。



「私が後見人を務めているアデルハイト様について……実にすんなりと婚約者になれたと思いませんでしたか?」

「確かにな。普通なら元老貴族から横槍が入るはずだ。それが秘密に関係あるのか?」

「その通りです。勿論、前当主であらせられるギルバート様の父君、そして現当主である兄君も知っておられますよ」

「それを俺に教えるのは……戦力として必要になるからか?」

「それだけではありませんよ。覚醒魔装士という存在は……無視するには大きすぎますからね」

「俺としてはそんな秘密を投資家が知っていることに驚きだがな」

「私の一族も色々とあるのですよ」



 どう見ても怪しい話だ。

 しかし一方でレイヴァン家当主までも挙げるということが真実味を与えている。幾ら昔とは違うとはいえ、勝手に貴族の名を使うのは良くないことだ。つまり、クロは後で確認しても良いということを告げているのである。



(少なくとも真っ赤な嘘ということはないか)



 元老院にも影響力を持つ投資家がつまらない嘘を吐くということもないだろう。考えすぎて熱くなっている頭を冷やすかのように、グラスの葡萄酒を口に含んだ。



「……それで? 秘密とやらはいつ教えてもらえるんだ?」

「近い内に招待状を出しますよ。ティータイムにでも話し合いましょう」

「いいだろう」

「では、私はこれで」



 クロは会釈して離れていく。

 すると待っていましたとばかりに貴族や有力者たちがギルバートの下へと寄ってきた。非常に面倒ではあるが、無視できる縁ではない。心の内でうんざりしつつ、寄る者たちとの話に興じるのであった。






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