第170話 東の塔


 アイリスの飛行魔術で移動するセルアたちは、東の塔の目前にまで迫っていた。やはりロカ族の封印術が破壊された影響で幹線道路が破壊されており、走っていたであろう車も横転したり爆発したりと散々なさまである。

 ただ、南の聖堂近くの道路とは異なる部分もあった。



「おかしいですね。怪我をした方々が放置されています」

「確か東の塔には聖騎士様もいらっしゃるんですよね?」

「不穏な予感がします」



 東の塔の周辺は完全に放置されたままで、何とか生き残った人々が身を寄せ合っているのも見える。ここからでもアディバラの消滅は観測できたのだろう。絶望的な雰囲気が漂っている。

 さらに観察していると、そんな人々の集団の中に聖騎士の姿が確認できた。



「姫様、まずは聖騎士様に事情を聴きませんか? 嫌な予感がします」

「そうですね……アイリスさん、お願いできますか?」

「勿論なのですよ!」



 飛行術式を制御しているのはアイリスなので、移動するときは全てアイリスに頼むことになる。そしてアイリスも今は自ら魔女アピールしなければ聖騎士から逃げる必要もない。

 見事な重力制御と移動制御で聖騎士たちの傍に着地した。

 いきなり空から現れた三人に対し、聖騎士たちはそれぞれの魔装や武器を構える。しかしセルアが強い口調でそれを咎める。



「控えなさい。私は次期帝位継承者、セルア・ノアール・ハイレンです。誰に武器を向けているか心得なさい」



 ファロン帝国の王家には特徴的な装飾としてサークレットがある。セルアの言葉が戯言でないことはすぐに判明した。聖騎士といえど、皇族に対して刃を向けることは許されない行為だ。何より、基本的に各国の聖騎士はその国の出身者である。つまり彼ら聖騎士にとって皇族とは仕えるべき相手なのだ。

 慌てて武器を捨て、あるいは消し、膝を突いて首を垂れる。

 代表と思しき聖騎士が謝罪の言葉を口にした。



「姫様とは知らず、申し訳ございません」

「いいでしょう。それよりも状況の説明をしなさい」

「はっ! 私は東の塔に所属する聖騎士のリーダーを務めております、ルア・オルグレアと申します」

「聖騎士オルグレア、何があったのですか? どうして聖騎士がこんな場所に? それにあなた方も怪我をしているようですが?」

「はっ。結論から申しますと、東の塔に突如として強力な魔物が生じたのです。我々も応戦したのですが、奇襲を受けてしまい……またその内の一体があまりにも強大で、我々だけでは撤退が精一杯でした」

「何てこと……」



 これはセルアにとって顔を青ざめさせてしまうほどの情報だった。

 王家の力である聖なる光を手に入れるためには、ロカ族の守護者たちから封印の解放を受けなければならない。そして一人でも欠ければそれは不可能となる。



「まさかそんなことが……では守護者様は?」

「申し訳ございません。その魔物は守護者ホイル様がいらっしゃるはずの上層から出現したのです。我々は押されるばかりで、そのまま塔の出口から脱出を……」



 しかし聖騎士たちだけを責めるわけにはいかない。

 塔の上層から魔物が現れるというイレギュラーに対し正常な対応は難しい。まともな戦闘態勢を整えることすらできなかったのだろうと予想できる。

 ただ、聖騎士の任務としては失敗である。

 オルグレイアも無念そうに改めて謝罪した。



「申し訳ございません。守護者様を守る任を放棄し、このようにおめおめと恥を晒してしまうとは」

「その魔物が現れたのはいつ頃ですか?」

「あの地震の直前です」



 上層から魔物が現れ、その後で地震が起こった。

 すなわち東の塔の守護者ホイルは魔物によって術式を維持できなくなった可能性が高い。エンジはロカ族の同胞が簡単にやられはしないと語っていたが、徐々に心配になってくる。

 シンクも焦ったようにセルアに囁いた。



「姫様、すぐに塔に向かいますか?」

「……そうですね。しかし聖騎士様が奇襲されたとはいえ、強力な魔物だと思われます。シンクとアイリスさんで可能なのでしょうか?」

「アイリスさんから回復支援を頂ければ、なんとか。師匠より強かったらお手上げです」

「剣聖様より強い魔物はそういません。できますね?」

「はい」



 姫にできるかと聞かれて無理とは言えない。

 シンクにも男として、また剣聖の弟子としてのプライドもある。また剣の腕にも自信があるのだ。そして覚悟もすでに決めている。

 そしてセルアがアイリスの方を見ると、怪我をした聖騎士を癒していた。聖騎士たちに褒められて照れている彼女を見て、彼女に改めて覚悟を聞く必要はないなと悟る。

 さらにアイリスはオルグレイアをも瞬時に癒してみせた。



「これは……素晴らしい魔装です。ありがとうございます」

「えへへ。それほどでもないのですよ!」

「いや、これで助かった。再び塔に行ける」



 これで東の塔に突入するための戦力は充実した。

 剣聖の弟子シンク、回復役のアイリス、そして聖騎士が六名。セルアは残念ながら戦力外だが、危機感知の魔装によって不意打ちなどは防げる。

 話し合うまでもなく意見はまとまった。



「聖騎士オルグレイア、すぐに行きましょう」

「しかし姫様は……」

「いいのです。事情は王家の秘匿義務ゆえに話せませんが、あの塔には私も行く必要があります。これは王家の……次期帝位継承者としての命令です」

「っ! はっ! 必ずや、御身をお守りいたします! 皆、やれるな!」



 オルグレイアの言葉に聖騎士たちも良い顔になった。

 やはり聖騎士は守る者。

 そしてセルアはファロン帝国において姫という存在だ。騎士が姫を守るというシチュエーションは男ならば憧れる。



「行きましょう。守護者ホイル様を助けるために」



 セルアを先頭に、彼らは塔に向かった。






 ◆◆◆






 東の塔は異様な雰囲気に包まれていた。

 感知すればわかる悍ましい魔力、そして漂う妙な生臭さ、さらに悲鳴のような泣き声。緋王の封印をさらに封じた封印術の要とは思えない様相である。



「姫、どうかお気を付けください。我々が先行します。アイリスさんも貴重な回復役ですからどうか姫の傍に」

「わかりました。アイリスさんもお願いします」

「はーいなのですよー」



 オルグレイアたち聖騎士が先行しつつ、セルアとアイリスを守るような立ち位置を維持する。そしてシンクは魔装を発現して一番後ろに付いた。

 今はまだ塔の入り口だが、進んでいけば背後の警戒も必要になる。

 シンクはその重要な役目を任されている。



「シンク、背後は任せました。あなたの魔装は対応力に優れていますから」

「はい。必ず」



 彼の魔装は普通の剣に見える。

 しかしその本質は刃の変形だ。シンクの思念に反応し、様々な形状へと変化するのだ。意のままに間合いや重さを変化させる剣術は対応力に優れ、攻撃に回れば変幻自在となる。

 まず彼は速さに優れた刀の形状に変化させていた。

 塔を守ることが仕事のオルグレイアたちは、勝手知りたる塔の内部を移動していく。



「姫様、まずは塔の中心にある螺旋階段へ向かいます。塔の上層に向かうためには必ずそこを登らねばなりません。しかしそこは不意打ちにうってつけ。第一層には魔物がいないようですが、気を抜かぬようにお願いします」



 オルグレイアは注意を促しつつも、すぐに階段までのルートを確保する。不意打ちでやられてしまったが、やはり彼も聖騎士なのだ。

 だが、螺旋階段の真下に到達した時、事態は変化する。

 ミシリと嫌な音がした。

 そして一斉に見上げると、階段に亀裂が生じていたのだ。



「下がれ!」



 聖騎士の誰かが叫ぶ。

 だがその言葉を聞くまでもなくアイリスが雷撃の魔術を放った。時間操作も込みで瞬時に魔術陣が構築され、放たれた雷撃は今にも崩れそうな階段を吹き飛ばした。

 さらには獣のような悲鳴まで上がる。



「ギギャアアッ!?」



 そして落ちてきた黒焦げの死体は当然魔物のものである。

 完全に焦げており種類の判別はできないが、系統だけはすぐに分かった。



「やはり魚人系統……私たちを襲った魔物と同じですね」

「そのようだな。他には?」

「いません」

「アイリス殿、今の援護は助かりました。素晴らしい魔術の腕とお見受けします」

「それほどでもないのですよ!」

「そんなことはありません。正直、自信を無くしてしまいますよ」



 二百年以上生きている魔女と一般的な聖騎士を比較するのは酷というものだろう。今やアイリスは覚醒魔装士なので、格としてはSランク聖騎士に匹敵するのだ。



「この嫌な臭いは魚人系の魔物だからか……」

「シンク殿は魚人と戦った経験はおありですか?」

「いえ、ありません。ですが剣の師匠からは災禍ディザスター級なら単独で倒せると太鼓判を頂きました」

「それは上々。ここから慎重に上がっていきましょう……っといっても、ここからは簡単にはいかないみたいですね」



 オルグレイアとシンクは同時に上層を見上げる。

 すると塔の内壁や螺旋階段を伝って降りてくる魚人系の魔物たちが大量に見えた。魚人系は見た目が生理的に受け付けないものが多い。セルアも口元を抑えつつ眉をしかめた。



「魚人系には風の魔術だ! 《雷撃砲サンダー・ショット》で迎え撃て!」



 どういう原理かは不明だが、魚人系統の魔物は体表がよく濡れている。それは電撃をよく通すので、風魔術の《雷撃砲サンダー・ショット》などが効果的だと知られているのだ。また魚人系統は鱗であったり体表の滑りによって物理攻撃を軽減させる。

 つまり接近される前に倒すのが最適なのだ。

 聖騎士が次々と魔術を放つ中、魔術の練習をしたことがないシンクは固唾を飲んで見守る。ふと彼が隣を見ると、瞬時に複数の魔術陣を展開して雷撃を放つアイリスがいた。



「うえー……数が多いですねー。面倒なのでやっちゃうのですよ!」



 そう言うとアイリスは立体魔術陣を展開した。禁呪級の広大な魔術陣ですら小さく纏めてしまうこの技術をアイリスも会得していたのである。

 しかし初めて見るシンクはぎょっとすることになった。

 さらに放たれる魔術を見て頭が真っ白になる。

 降りてくる魚人系魔物たちの中心で無数の白い閃きが弾けた。風の第八階梯《大放電ディスチャージ》が発動したのである。広範囲を走る電流は魚人を次々と仕留め、落とした。



「凄い……」

「俺たちの仕事、ないですね」



 セルアも戦闘に詳しいわけではないが、この一方的な蹂躙の凄まじさは理解できる。

 しかし魔物側もこの蹂躙劇に痺れを切らしたのだろう。

 ひときわ大きな魔力が降ってきた。



「む?」



 アイリスは即座に反応して《大放電ディスチャージ》を放つも、その大きな魔力を有する魔物は電撃を弾いてしまう。そして床を破壊し、巨体が着地した。舞い上がった粉塵が魔物の巨体を隠す。



「グギョギャアアアアアアアアアア!」



 狂気に満ちた絶叫と共に土煙が吹き飛び、アイリスを含む全員が耳を塞いだ。

 現れた魔物は人間の大人二人分ほどもある。基本は人型であるが、全身が灰色であり、顔には髭を思わせる触手が生えていた。また体の各所は鱗で覆われ、腹からは肋骨が一部飛び出している。また背中からも複数の触手が生えており、うねうねと気味悪い動きをしていた。

 それは破滅ルイン級の魔物、禍渦鱗ドゥーム・ディーであった。





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