第111話 仮初の平和


 消えゆく帝都アルダールを眺める一人の青年がいた。

 あの帝都には多くの財産があり、捨てるには惜しいものばかりだ。しかし、命には代えられない。

 青年『黒猫』は呟いた。



「やはり勝ったのは『死神』『鷹目』『赤兎』『灰鼠』。そして『幻書』『白蛇』『若枝』『天秤』は死んでしまったようだね」



 『黒猫』の手には四枚のコインがあった。『幻書』『白蛇』『若枝』『天秤』のコインである。いつの間にか回収していたのだ。

 獄炎に焼かれた幹部たちは死体も残らない。

 これでは黒猫も半壊同然だ。

 また、幹部を集めて結成しなければならない。



「さて、次の時代に備えよう。黒猫はいつだって生きている」


 

 四枚のコインを放り投げる。

 すると空間が歪み、その中へと吸い込まれて消えた。また『黒猫』は軽く右手を伸ばし、魔力を流す。すると大きく空間が歪んだ。『黒猫』の体よりも大きな歪みである。

 彼はゆっくりと歩み、その歪みの中へと消えていった。











 ◆◆◆











 瓦礫の山の上で大男が胡坐をかいていた。

 顔や服には大量の血がこびりついており、どうにも眠そうである。



「ちっ……」



 この大男、『暴竜』はスバロキア大帝国の皇帝から依頼を受け、魔神教の大聖堂を破壊したところだったのだ。だが、任務を完了した途端『黒猫』から連絡がきた。

 この勝負は神聖グリニア側の勝利。

 もう破壊工作は必要ないと。



「仕方ねぇ。西側に戻るか」



 ゆっくりと立ち上がった『暴竜』は、ゴキゴキと全身を鳴らす。

 戦いには負けたが、黒猫としての活動は終わっていない。次の依頼があれば、破壊するだけである。『暴竜』は、廃墟となった都市から消えた。










 ◆◆◆










 スバロキア大帝国の滅亡を眼にしたシュウ、アイリス、『鷹目』は東の方へと転移していた。その目的は神聖グリニアを探るためである。

 シュウとアイリスは顔がバレているので堂々とは行動できないが、誤魔化す方法など幾らでもある。光の魔術を使えば、視覚的な誤魔化しは容易だ。



「お祭り騒ぎだな」

「大帝国が消滅し、大陸は神聖グリニアを中心とした支配に生まれ変わります。つまり魔神教が大陸全土へと浸透するのです。騒ぎたくなっても仕方ないでしょうね」



 三人が訪れているのは神聖グリニア本土の、アディバラという都市だ。神聖グリニアの中では外縁部の都市であり、貿易商人が多く訪れている。普段からアディバラは騒がしい都市だが、今はいつもの二倍ほど賑やかだった。



「シュウさんシュウさん」

「どうした?」

「多分、この祭りは追悼の祭りなのですよ」

「そうなのか?」

「見てください」



 アイリスが指差したのは水色のユリのような花だった。

 よく見れば、その花が至る所に飾られ、また売られている。



「あの花は追悼の祭りで使う花なのですよ。死者を慰め、安心して神の許に行けるようにという願いを込めて飾るのです」

「なるほど」



 流石は元聖騎士だけあって、中々に詳しい。

 そして追悼となると、心当たりがある。



「緋王を封印したとかいう聖騎士の追悼か」

「多分そうですねー」



 十を超える都市と百万を超える人間が犠牲となったことで、緋王は大きな脅威とみなされていた。その緋王が一人の聖騎士を犠牲として封印された。

 その聖騎士アロマ・フィデアを英雄として称え、魂を慰める祭り。

 この街の騒ぎはそれである。



「では『死神』さん。緋王は貴方が殺しますか?」

「それもいいが、とりあえずは最上位の魔物になれたからな。魔力の収集を急ぐ必要はない」

「遂に終焉アポカリプス級ですか。この街の人たちも、まさか世界を滅ぼせる魔物が街の中にいるとは思わないでしょうねぇ」

「俺も滅ぼすつもりはないがな」



 人々は呑気である。

 確かに、緋王は封印された。西のスバロキア大帝国は滅亡し、獄王も消滅した。

 だが、冥王が終焉アポカリプス級へと至った。

 脅威は去っていない。

 そして人々は、新たな脅威が迫っていることを知らない。



「しかし、『鷹目』の予想は当たりそうだな。緋王の討伐を後回しにしたことからも、教会は力の強化に入ることが窺える。いずれは俺や不死王も討伐するつもりかもな」

「『死神』さんも負けるつもりはないでしょう? なら問題ないのでは?」

「間違いなく負けないな」



 それほどに終焉アポカリプス級は強く、恐ろしい。

 絶望ディスピア級と終焉アポカリプス級の間には越えることのできない壁がある。人間がどれほど足掻いても届き得ない領域こそ、終焉。人々はただ、終わり行く世界を受け入れるだけである。

 もうシュウが単騎で神聖グリニアを滅ぼしていいのではないかと思うほどだ。

 しかし、それは『鷹目』の思惑ではない。

 『鷹目』は、神聖グリニアが……魔神教が自らの愚かさによって滅びることを望んでいる。シュウが一思いに滅ぼすのが望みではない。



「そう言えばアイリス」

「どうしたのです?」

「大帝国を滅ぼした時、何でも言うこと聞いてやるって言ったよな。決まったか?」

「あ、それなら決まったのですよ!」



 アイリスは振り返り、眩しいほどの笑顔で続ける。



「私、シュウさんと暮らす家が欲しいのです!」

「家か……」



 現在、シュウとアイリスが安住できる場所を『鷹目』に探させている。それが見つかれば、魔術を利用して建築も可能だ。アイリスの願いを叶えることはできる。

 問題は場所である。

 便利な暮らしをするには街の中でなければならない。だが、指名手配されているアイリスが安全に暮らせる街を探すのは難しい。そして辺境へと行けば、安全かもしれないが暮らしは不便だ。



(転移魔術でもあればいいんだが……)



 残念ながら、空間に干渉する魔術はない。

 作ればあるのかもしれないが、シュウの持つ知識では再現不可能だ。今のところ、魔装の力によって転移するしかない状況である。



(何でも揃う辺境地があればいいんだけど、そんな都合の良い場所なんて……なぁ)



 それでも探さなければならない。

 アイリスの願いを叶えるために。



「分かった。任せろ」

「私も微力ながらお手伝いしますよ」



 『鷹目』も元から依頼を受けている。シュウとアイリスが住みやすい場所を探す依頼だ。情報屋の彼なら難しいこの依頼も達成できるだろう。

 すぐには無理かもしれないが、待っていれば見つかるはずだ。

 シュウもアイリスも寿命がない。

 気長に待てるのだ。



「それにしても浮かれている奴ばかりだな」

「ですねー」

「仕方ありませんよ。彼らにとっては喜ばしいことですからね。彼らの信じる神が大陸に広がりますから、平和が訪れると思っているのですよ。まぁ、それは事実ですがね」



 魔神教は人間にとっては実に平和な教えだ。絶対魔物殺す教義であるためシュウにとっては最大の敵だが、人々にとってはそうではない。大陸が平和になり、戦争も無くなる。そうすれば教会は魔物を集中して狩ることができる。

 新しい時代が来た。

 怯えずに過ごせる時代が来る。

 そう思い、そう願い、喜ぶと同時に犠牲者たちを悼む。特に緋王を封印したアロマを。



「これからは黒猫の活動しにくい時代が始まりますが……私のような情報屋や『死神』さんのような暗殺者は廃業せずとも済みそうですね。『暴竜』さんあたりが仕事に困りそうです」

「いや、暗殺もそんなに依頼ないだろ……」

「いえいえ。暗殺者など世界中で必要とされていますよ。世界の闇は思った以上に深いということです」

「そういうもんかね」

「そういうものです」



 一見すると平和。

 パッと見れば平和。

 表向きは平和。

 だが、少し中身を見れば悪意など溢れている。欲望は溢れている。黒猫の活動するべき隙間など、幾らでもあるのだ。

 上澄みの平和の底で、淀みを作る。

 それが『鷹目』の計画である。そのためにはシュウの活躍するべき場所が多くあるべきだ。



「私に任せてください。時間はかかりますがね」

「時間がかかるって、どれぐらいなのです?」

「十年前後、といったところでしょうか」

「長いのですよ!?」

「不老不死の癖に何言ってんだお前……」



 シュウ、アイリス、『鷹目』は不老の存在だ。

 長い時をかけて計画を成すことができる。無事に大帝国を消滅させた三人は、次の目的のために水面下へと潜る。

 スバロキア大帝国の崩壊から十二年間、冥王の噂は消えることになる。




 そして数か月を経てスバロキア大帝国とその属国は魔神教に飲み込まれ、神聖グリニアが実効支配することになった。大陸の完全統一を称え、この年はこう呼ばれた。

 

 ――神聖暦元年と。






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