第107話 帝都決戦⑦


 シュウの放った無限圧縮死魔力は、空間を殺した。

 この三次元空間はエネルギーによって支えられ、実在を許されている。つまり、三次元空間とは物理法則を閉じ込めるための結界なのだ。その結界内部において成立する法則が、世界のルールというわけである。三次元世界という結界に閉じ込められた存在は、そのルールに従わなくてはならない。

 『王』の魔物が扱う魔法を除けば。



(あれは……近寄ってはならない)



 秘奥剣聖ハイレインは類まれなる感知力により、その恐ろしさを理解していた。

 可能な限り離れなければならないと悟っていた。

 制限なく圧縮された死魔力は、この世界の結界すら破った。魔法とは世界とは異なる概念であり、ルールだ。三次元空間という結界を破壊することができても不思議ではない。

 閃く黒い雷が散る。

 世界の一部が死に至り、世界を支えるエネルギーの一部が消失した。

 そして三次元空間はエネルギーによって支えられ自律している。一部でもエネルギーが消失すれば、その周囲に存在するエネルギーを吸収して安定に至ろうとする。つまり、三次元空間を構成する境界の内側と外側から、安定するまでエネルギーを奪い続けるのだ。

 まるで小さなブラックホールのように、数メートルの漆黒球が生まれた。



「す、吸い込まれる!」

「黒い! 黒い穴が! 離れろ!」

「助けて! 助けっ……た、す……た―――」

「――――っ!」



 崩壊点から一定の距離では音すら吸い込まれる。絶叫も掻き消え、無情にも黒い穴に消えていった。直径数メートルほどの黒い穴は、光が吸い込まれていることで生じた錯覚だ。実際に殺された世界は小さな点として表せる程度でしかない。

 逆に言えば、三次元空間を支えるエネルギーはそれほど莫大なのだ。

 空間の境界は、現実世界たる内側と多次元世界たる外側から同時にエネルギーを奪い取っている。つまり、これだけのエネルギー吸収も本来の半分程度でしかないのだ。

 恐ろしいさまを見たアディルは、秘奥剣聖ハイレインに感謝する。



「まさかあれ程の……かたじけない」

「他の方には悪いですが、守るとすれば貴方。それだけのことです」



 こうしている間にも帝都の城壁と魔装士たちが吸い込まれている。瓦礫や人間が小さな漆黒球の中に吸い込まれているところを見ると、助かる望みは薄い。

 事実、吸い込まれた物質は全てエネルギーに変換され、空間の安定化に利用されていた。

 そして安定に近づくにつれて漆黒球は少しずつ小さくなっている。

 秘奥剣聖ハイレインも漆黒球の縮小には気付いていた。



「恐らく、吸引には限界があるのでしょう。吸い込むたびに小さくなっています。つまり、意図的に何かを吸収させることでアレを消せるハズです」

「何かを吸い込ませる、ですか? では城壁を?」

「いえ、それよりも効率的なものがあるでしょう? 獄炎魔法が」

「なるほど。そういうことか」



 そう呟いたアディルは、竜杖を握る手に力を込めた。

 崩壊点の吸収範囲から逃れた二人は、少し離れた位置の城壁に着地する。周囲のものを吸収し続ける崩壊点は、あっという間に周囲のものを吸い尽くした。人も、魔力も、瓦礫も、城壁も、地面も、全てが吸い込まれて崩壊点の周囲は球状に抉られた空間が生まれる。

 秘奥剣聖ハイレインの提案通り、獄炎を吸収させるのが最善手だろう。



「近くに通信兵はいないか!」

「はい! 自分です!」



 アディルは竜杖を有する将軍と大将軍にこの事実を通達するため、通信兵を呼ぶ。帝都の城壁には多くの魔装士が並んでおり、その中には通信の魔道具を任された通信兵もいた。



「近くの大将軍と将軍に通達せよ。革命軍リベリオンへの攻撃を中断し、黒い球体に獄炎を放てと!」

「か、かしこまりました!」



 通信兵からすれば、大将軍の命令は絶対だ。

 それが不可解な命令であっても、実行するのみである。彼は迅速に魔道具を起動し、付近にいる六人の将軍へと連絡した。偶然、近くにはアディル以外の大将軍はいなかった。

 将軍たちは不可解さを感じる。

 だが、アディルの言葉が正しいことは、すぐに証明されることになった。







 ◆◆◆







「成功だな」



 シュウは満足気に崩壊点を見つめる。死んだ空間は、自己再生のためにあらゆるエネルギーを吸収してしまう。勿論、霊体化したシュウも吸い込まれてしまうので注意が必要だ。

 再び死魔力を圧縮し、二発目を放つ。



「殺せ、《冥導》」



 空間の崩壊点はまさに冥府への道。

 死に導く。

 死魔力の応用冥導は殺すというより、『死』へと送る。コントロールの必要はない。一度調整してしまえば、限界点に達するまで周囲を死に巻き込み続ける。つまり、同時発動が可能なのだ。

 二発目、三発目、四発目。

 シュウは新しい《冥導》を何度も放つ。

 そして《冥導》は空間の小さな一点を殺し、三次元空間に穴を空ける。殺されて不安定になった三次元空間は再生のため周囲からエネルギーを吸収する。熱も魔力も電気も質量も、エネルギーとなるものは全て吸い込まれる。



(これぐらいでいいか。秘奥剣聖ハイレインを殺すつもりだったが……別の効果が得られそうだ)



 竜杖を保有する将軍の六人、そして大将軍アディルは獄炎魔法を使い続けている。シュウの放った魔法を打ち消すため、限界を超える勢いで竜杖を稼働させているのだ。

 それに、竜杖の保有を許された他の十人も獄炎を生成し続けている。

 一度でも魔法の力を知ってしまえば、自分の魔装など取るに足らないと感じてしまう。絶大な破壊力に高揚を抑えきれない。将軍と大将軍でさえ、力の誘惑には抗い難かった。

 自身の魔力を呼び水として竜杖を起動し、封印であるアルベインの杖から魔法を引き出す。だが、完璧な封印から魔法を取り出すには、リスクを伴う。

 封印は魔法を使うたびに揺らぎ、それに伴って魔法の威力が上がる。

 それを面白く感じた竜杖保有者は更に魔法を行使する。



「ほらほらほら。悠長にしていたら死ぬぞ?」



 《冥導》には革命軍リベリオンも近づけない。近寄れば吸い込まれるうえに、大量の獄炎魔法や魔装や魔術が撃ち込まれているのだ。

 帝都の城壁はすぐ内側から市民の街が広がっている。

 将軍や大将軍も帝都を守るのに必死だ。



「そろそろだ。来るぞ」



 シュウは感じていた。

 帝都の地下から湧き上がる、独特の魔力に。

 待ち望んだ『王』の復活である。

 かつて勇者アルベインが命を懸けて施した封印は外れ、同時に帝都が揺れた。










 ◆◆◆










 地下研究所に安置されていたアルベインの杖は震えていた。

 作戦『竜の目覚め』と同時に魔力が送られ続け、そして獄炎魔法を送り続けていた。完全に停止していたはずの魔力が双方向に動き出した。封印されていたはずの獄王ベルオルグが震える。



――恨むぞ。



 誰もいない空間で悍ましい声が木霊する。



―――憎悪するぞ人間。

――――この我を閉じ込め、辱めた年月。

――地獄の炎で贖わせてくれよう。



 杖が震える。

 蛇の意匠が施された杖は、かつて魔装だったものだ。本来、魔装は使用者が死ねば永久に失われる。だが死ぬ前に具現化した魔装に魔力が供給され続ければ、いつまでも魔装は維持される。遥か昔、勇者アルベインは自分の魔装を器として利用した。

 『王』の魔物ほどの存在を封印するためには、その魔力に耐えうるものでなければならない。

 覚醒魔装士だったアルベインの魔装なら、封印の器として使える。



――分かるぞ。我の力を奪っているな。



 力が吸い取られていることには気付いていた。



――分かるぞ。我の力が封印を燃やしていると。



 魔法が流れ出る際、獄炎魔力は封印の一部を焼いていた。呪いの獄炎魔力は封印を燃やし続け、力が引き出されるたびに規模は大きくなる。



――憎悪するぞ。

―――我は憎悪するぞ!



 アルベインの封印は厳重だった。

 何故なら、獄王ベルオルグ自身の魔力によって封印を維持していたのだ。本来なら、永久に封じ込め続けるだけのポテンシャルを秘めている。だが、その封印は人の手によって綻びた。

 杖から黒い炎が滲み出る。

 獄炎はアルベインの杖に接続された魔術機器を焼いた。

 緩まった封印はもう機能していない。

 獄王ベルオルグは杖の中で魔力を溜めた。これまでは封印に魔力を吸われ、魔法を使おうとしても自身の魔力に阻まれていた。しかし、もう阻む魔力は外に漏れだしている。相殺されることはない。



――我が魔力は満ちた!



 杖に無数の亀裂が生じる。

 その亀裂からは獄炎魔力が噴き出た。

 アルベインの杖は魔装であるため、砕けた部分が魔力となって消える。魔力は噴出し、渦を巻き、そして徐々に集まっていく。封じられていた魔力は際限なく膨れ上がり、研究室などあっという間に埋め尽くした。

 勿論、この魔力はただの魔力ではない。

 獄王ベルオルグの獄炎魔力だ。

 あらゆる物質を燃やし尽くして、それでも消えることなく燃焼を続ける呪いの黒き炎。

 一か所に封じ込められていた魔力は、爆発した。

 火山のように。




―――グオオオオオオオオオオオオオオッ!




 憎悪を抱く竜の咆哮。

 そして火山の噴火を思わせる大爆発。

 黒き魔力はかつての姿を取り戻し、地獄の炎と共に地下を突き破って帝都に現れた。








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