逃げ出したい衝動

「今度の金曜日さ、会社の皆で飲み会に行くことになったんだけど言ってきても大丈夫?」少し緊張気味に僕は彼女のごきげんなタイミングを見計らってそう言った。彼女はすぐにヤキモチを焼いてしまうからだ。月に一回会社の同僚とのLINEや通話履歴を確認される。もう別に慣れてどうとも思わないが前までは少し抵抗があった。

「いいよ。何時に帰ってくる予定なの?」すんなり了承してくれると思っていなかったので少し彼女の成長を感じて嬉しくなった。

「日はまたがないように帰って来る予定だけどその場の雰囲気にもよるから保証はできないな。」下手に取り繕って早い時間で伝えると後々後悔してしまうだろうと僕はあえて正直に言った。

「できれば12時には帰ってきてほしいけどな。」控えめな表現だが声圧は控えられていなかった。少し背筋が伸び、僕はできるだけ努力はしてみるよと口を濁した。

飲み会当日の朝。彼女は僕に向かって釘を差した。

「今日帰ってくるの待ってるからね。」口角は上がっているのにあまり目が笑っていない。快くは思っていないことがひしひしと伝わってきた。

仕事終わり。会社の人10数名で居酒屋に入る。僕は同僚の長谷川の隣りに座った。

長谷川椿(はせがわつばき)僕と同じタイミングで入社した唯一の男の同僚だ。ゲームの趣味があい今では休日にオンラインで一緒にプレイするほど仲良くなっている。長谷川には奥さんと娘が2人いるみたいで愚痴のような惚気をたまにデスクで聞かせれる。僕も水樹と結婚したら長谷川のような夫婦になれるのかな。僕たちと長谷川夫婦とでは違うところがいくつかある。1つは奥さんが放任主義なこと。もう1つは長谷川自身がすごくマメな男であること。奥さんが放任で居心地がいいから長谷川はマメなのか、長谷川がマメだから奥さんが放任してくれるのか。その因果関係はわからないが僕にとって理想の関係性だ。

「それじゃ乾杯するよー」部長の掛け声に合わせて乾杯をした。

「いやあ、それでさ。また長女が妹を泣かせたんだよ。困ったもんだ。」困り顔で嬉しそうに長谷川が話している。それを聞き周りの同僚たちが

「贅沢な悩みだね。」と顔を見合わせながら話していた。すると

「お前んとこはどうなんだ?彼女いただろ。」聞かれてしまった。つい最近別れ話まで発展仕掛けた彼女とはまたそれなりに上手く入っていたが今日でまた空気が戻ってしまうかもと心配していた。

「僕のところはまだ結婚っていう雰囲気じゃないかな。」苦笑しながら言うと少し気まずい空気が流れてしまった。それを察してか長谷川が別の話題に切り替える。そんなこんなで話をしているうちにもう時刻は11時を回っていた。今から帰ってぎりぎり間に合うかどうかだな。とりあえず一報いれておこう。彼女とのトーク画面を開く。飲みの場の空気を崩さないため通知をきっていたため気づかなかったが彼女から帰りの催促のメッセージがおびただしく並んでいた。急いで連絡する。

「ごめん。今見たよ。今1次会終わったとこだよ。」2次会について話し合われていたため帰るとは言い切れなかった。

「2次会もあるの?行くの?いつ帰って来るの?」彼女からのクエスチョンマークの量に僕は辟易した。酒が回った状態でこんな量の疑問と不安に耐えきれなかった。

「わからない」とだけ返して僕はスマホの電源を切った。結局2次会は開かれることになり、また移動する。何人か帰ってしまったがそれでもまだ10人近くの人が参加していた。もちろん長谷川もだ。長谷川は奥さんに電話をすると言って一度店から出ていったがすぐに笑顔で帰ってきた。そこからは上層部の愚痴だの恋人の愚痴だの普段大きく口にはできないことで盛り上がった。居酒屋の閉店と同時にお開きとなりそれぞれ解散となった。すでに2時過ぎで終電の時刻をとっくに過ぎているためタクシーを拾って家まで帰った。流石に寝ているだろう。そう思いドアを開けると電気がつき彼女のすすり泣く声が聞こえてきた。

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