第6話 何だってまあいっかって言ってしまいそうなの


 振り向いた先にいたのは、男女の二人組だった。

 一人は私と同い年くらいの、ふわふわの柔らかそうなミルクティー色の髪の男性。

 もう一人は、二十代くらいの、長い黒髪を靡かせた長身の女性だけど、何故か、腰に大きな刀をぶら下げている。

 この辺りでは明らかに見た事のない人達だ。

 私はマーレの手をぱっと振り解いて、慌てて距離を取った。

 さっきまでのやり取りを見られていないか心配ではあったけれど、男性は私に会釈をすると、ふわりと笑顔を浮かべている。


「こんにちは。お話中にすみません」

「クオン!」


 男性の方に声をかけられ、マーレはぱっと顔を輝かせた。

 知り合い、なのだろうか。

 クオンと呼ばれた男性は側まで来ると、視線を合わせる為にしゃがみ込んでいて、私はそんな二人を交互に見つつ、様子を見守った。


「こんにちは。今回はいつもより来るのが早いね」

「はい。リドルラルド島の方へ行くついでに、備品の補充をしたくて。人魚さんの売ってくれる品物は、とても質が良いですから」

「ふふ、ありがと。けど、リドルラルド島か。あの辺りは花仙かせん族が多い場所だから、気をつけてね」

「はい」


 話が一通り済んだのか、二人は和やかな雰囲気でにこにこと笑い合っている。

 自分以外にもこんな親しげに話をしているマーレを見るのは初めてで、私は何だかもやもやした気持ちになってしまうけれど、何故かこんな時ばかりマーレは私の様子に気が付かなくて、更に男性に問いかけている。


「で、今日は何が欲しいの?」

棘巻貝とげまきがいのペン先を五つと、白絹海月しらぎぬくらげ絹紙けんしを一束、暗闇蛸くらやみだこの墨を一つお願いします」

「わかった、ちょっと待ってて」


 マーレが何も気にせず、さっさと海の中へと潜って行ってしまうので、私は心の中で、置いていかないでよ! と声を上げてしまった。

 いきなり初対面同士で、尚且つ地元民でもない人達を置いていかれては、気まずくてしょうがない。

 それに、何だかマーレと親しげな感じだったし……。


「え、っと……、は、初めまして」


 ふわふわの柔らかそうなミルクティー色の髪に、明るい青と緑を混ぜたような不思議な色合いをした瞳。見るからに優しそうな印象の青年は、私と同い年くらいだろうか。

 私が狼狽えながら挨拶をすると、にっこりと柔らかに笑いかけてくる。


「初めまして、僕はクオンといいます。記録者レコーダーをしています」


 記録者というのは、五つの島国から公式に依頼された、各地の遺跡や災害跡などの調査を行っている人達の事だ。

 五つの島国が定めた特別な資格を取得しなければいけなくて、それも、とてつもなく難しい試験に合格しなければなれない資格だと聞いた事があるから、若いのにとても凄い人なんじゃないかと、私は思わず緊張してまう。

 見た目はふわふわしていて優しそうな好青年、といった感じだけれど。

 機密情報を扱う性質上、悪い人達にも狙われやすいと言われているし、側にいる刀を持った女性は護衛なのかもしれない。

 マーレの所には調査に必要な道具を確保する為に来ているそうで、彼とはそれなりに長い付き合いがあるらしい。


「こちらの方は僕の護衛をしてくれている、ラズさんです」


 とっても強くて優しい人なんですよ、と言われて視線を向けた先にいる女性は、私よりずっと背が高くて、大きな刀と全身黒でまとめた服装のせいか、少し怖い印象だけれど、目が合うと会釈をしているので、それほど怖い人でもないのかもしれない。

 ラズと呼ばれた女性の、腰に届く程に長く伸ばした黒髪は毛先の方が赤く染められていて、吊り上がった目元にも紅が引かれている。

 長い睫毛に縁取られた赤い瞳は何者をも恐れる事がないように真っ直ぐで、意志の強さを感じられた。

 そして、一際目を引く額にある大きな黒い角は、彼女が鬼人きじん族である証だ。

 鬼人族は人魚族と同じ長命種で、群れを成せない程に気性が荒く、長命種の中でも特に強靭な力を持つ種族と言われている。

 かつては人を襲うだとか人間を食べるとさえ囁かれていたけれど、元々の個体数が少なく、今ではその信憑性は薄いとされている。

 こうして見ている彼女も、見た目こそ怖そうには見えるが、クオンという青年を見る赤い瞳は、どこか優しい。

 人魚族であるマーレと一緒にいる事で、長命種に対する危機感がなくなってしまっているだけかもしれないけれど。


「私はルエラです。この近くの食堂で働いてます。マーレとは、その……友達、っていうか……」


 改めて関係性を問われると、一体何と言えばわからなくて、私は思わず口篭ってしまう。

 けれど、クオンさんはその事に対して追求する事はなく、他の事が気になっていたらしい。


「ルエラさんは、人魚さんのお名前をご存知なんですね」

「え?」


 突然そんな事を言われて、私はぱちぱちと瞬きを繰り返した。

 そういえば、クオンさんはマーレを「人魚さん」と言っていて、名前では呼んでいない。

 あんなに親しそうだったのに何でだろう、と私は不思議に思って首を傾げてしまう。

 というより、マーレの名前って、そういえば誰も呼んでいないような……?


「長命種は大抵プライドが高い。そう簡単に自分の名前を教えないし、呼ばせたりしない」


 私の疑問に答えるように、ラズと呼ばれていた女性はそう言った。


「えっ? でも、マーレは初めて会った時に教えてくれましたよ?」


 酔っ払いのおじさんが海で溺れそうになったのを助けた後、マーレは名前を教えてくれて、私の名前もその時に教えてあげたのだ。

 そんな大層な事をしていないのに、あの数分でマーレの中で何があったのかは、やっぱりよくわからないけれど……。

 私が不思議に思って首を傾げていると、二人は驚いた表情を浮かべて、顔を見合わせている。


「それなら、人魚さんにとって、それだけルエラさんが大切な存在なんでしょうね」


 クオンさんの言葉に、私は何故だか、ぼわっと顔が熱くなってしまう。

 二人とは初対面だからきっぱり否定しにくいし、かといってこのままあらぬ誤解をされても困ると思って両手を振って慌てていると、マーレが「ただいま」と笑いながら戻ってきていた。

 先程のやり取りを思い出すと何だかそわそわするけれど、悟られたくない一心で、私は頰の内側を緩く噛んだ。


「こっちが棘巻貝のペン先で、白絹海月の絹紙が一束。それから、暗闇蛸の墨はこれで在庫切れ。少し前にこの先で嵐があったから、暫くは用意出来そうにないかも」

「分かりました。予備があるので大丈夫だと思いますが、もし足りなくなるようなら代用のものを探してみます」

「うん。あとは少し遠いけれど、シュラシャナク島の北西の方にも品物を売っている人魚がいるから、そっちを探してみて。僕の方からも連絡しておくから」

「はい、ありがとうございます」


 マーレの持ってきたものは、どれも地上では見た事もないような、きらきらした海面をそのまま閉じ込めたような、透明なピンク色のケースに入れられている。

 さぞかし高いんだろうな、と二人のやりとりを見ながら密かに慄いていると、どうやら代金は人間の作った詩や歌だと聞いて、私はびっくりしてマーレとクオンさんを交互に見てしまった。


「今回のお代は詩がいいな。クオンが書いた詩がいい」


 にこーっと笑っているマーレを見るに、品物の代金が詩や歌というのは本当の事らしい。

 マーレ曰く、人魚族とは全く違う人間の文化、それも、人魚族に馴染みのある詩歌は、彼らにとって、とても興味深いものなのだそうだ。

 以前くれた櫛や鏡の対価に恋の歌を求めたのも、その為だったのだろう。

 クオンさんは記録者という職業柄か、文章を書く事に長けているらしく、詩を求められているという事だそうだけど、照れくさそうに頭の後ろを掻いている。

 私も恋歌を歌った時は恥ずかしかったので、気持ちは痛いくらいよくわかった。


「えっと……、今日は皆さんがいらっしゃるので、また今度でお願いします」

「ええー? そんなの気にしなくていいのに」


 マーレは子供みたいに頰を膨らませ、あからさまに不満げな声を上げていて、その様子を見ていたラズさんは、腰から下げている刀に手をかけて、すっと赤眼を細めている。


「クオンを困らせるのはやめて貰える?」


 ぴり、と空気が震えるような感覚がして、私は思わず肩を跳ねさせた。

 マーレはあからさまに嫌そうな顔をして、ラズさんを睨みつけている。

 いつもならこんなふうに人を嫌う事はないのに、一体どうしたのだろう、と思いながら全員の顔をちらちらと見遣っていると、唯一目が合ったクオンさんが苦笑いを浮かべていた。


「クオンはよくこんな怖い鬼人族と一緒にいられるね。毎日怯えて生活しているんじゃないの?」

「あ、この間手に入れた詩集の写しを用意してあるので、お代はそれでお願いします」


 ね、喧嘩しないで、と間に入ったクオンさんは焦ったように言うけれど、二人は険悪な空気を更に悪化させている。


「流石は性悪人魚。気に入らないとすぐに海を荒らして嫌がらせをしてくると聞くけれど、本当のようね?」

「ラ、ラズさん……」

「鬼人族こそ大昔は人喰いをしていたって言うじゃないか。同じ長命種でも、僕達人魚族はそんな野蛮な真似はしないけど?」

「人魚さんも、少し落ち着きましょう? ね?」


 クオンさんが一生懸命二人を止めているのを見るに、元々二人は相当仲が悪いんだろう。

 雰囲気が怖くて仕方がない。

 でも、このままじゃ絶対よくない! と、私は思い切って両手を合わせてパチンと叩いた。

 皆の視線が一斉に集まって一瞬怯んでしまいそうになったけれど、私は気にせず、クオンさん達を遮るように、マーレの目の前に身を乗り出した。


「マーレ、そんな事言っちゃ駄目だよ」


 マーレは珍しくムッとした表情をして、私の顔を見る。

 少し拗ねたように口を引き結んでいるから、良くない事をしているとは思っているのだろう。


「別に、僕は悪くないし。本当の事しか言ってないもの」

「じゃあ、このお姉さんが本当にそんな事をしたか見た事があるの?」


 私が言うと、痛い所を突かれたのか、マーレは途端に視線を背けてしまう。


「それは、ない、けど……」

「なら、勝手に人のことを決めつけてそんなこと言うのはよくないよ」


 マーレは私の方こそ見ないけれど、口先を尖らせていて、まるで子供みたいな態度だ。

 私はそれを見て、本当に仕様がないなあ、と吐息混じりに笑って、言葉を続けた。


「マーレは私の事をたくさん誉めてくれるじゃない。いつだって、いっぱい私のいい所を見つけようとしてくれる。私は、そういうマーレの方がいいと思うな」


 私の言葉に、すっかり口を噤んでしまったマーレは、何とも言えない表情をして、ちゃぽん、と水面に沈んでしまって、見えなくなってしまう。

 え、なに、怒っちゃったの、と心配になって海の中を覗き込んでいると、後ろからクオンさんが「大丈夫ですよ」と優しく声をかけてくれた。


「人魚さん、きっと照れてるんだと思います」

「え? そ、そうなの? あれで?」


 マーレが照れている姿は、そういえば見た事がなかった。

 恥ずかしくて隠れちゃったのか、と思うと、何だか微笑ましいような、擽ったいような、複雑な気持ちになってしまう。


「なるほど、あの人魚が気に入る筈ね」


 刀から手を離したラズさんは、潮風に遊ばれた髪を後ろに払いながら、私を見つめていた。

 長い睫毛に縁取られた赤い瞳は、クオンさんを見ている時のように、優しそうに細められている。


「ごめんなさい。長命種の中でも、人間に好意を持ちやすい人魚族と、人間と敵対しやすいと言われる鬼人族は、元々とても相性が悪いの」

「そうなんですか? お姉さん、怖い人には見えないのに」

「私は、半分人間が混ざっているから」

「す、すみません、デリケートな事を……」


 気をつかわせて、辛い事を言わせてしまったかもしれない、と慌てて謝ると、彼女は可笑しそうにくすくすと笑って首を横に振った。

 美人、と言う方が似合う見た目だけれど、笑うと少女のようなあどけなさが垣間見えて、少し可愛らしい印象に見える。


「あなたのそういう飾らない所が好きなんでしょう。人魚は素直で優しい心根の人間を好むようだから」

「そう、なんでしょうか……」


 クオンさんなら素直で優しそうに見えるから、確かにそうなのかもしれないけど、と思って視線を向けると、クオンさんはにこにこと笑って頷いている。

 きっとラズさんはクオンさんの事を含めて言ってるんだと思うけど、クオンさんは気付いていなさそうだ。

 私は、そんな風に言われる程ではないと思うけど、と申し訳ないような照れ臭いような気持ちでいると、ようやくマーレが水面から顔を出していた。


「……ねえ、僕のいない所で勝手にルエラと仲良くしないで。さっさと対価を用意して」


 素っ気ない言い方をしているのは、気まずいからに違いない。

 クオンさんに視線を向ければ、きっとそれを気付いているんだろう、苦笑いを浮かべて頷いている。

 クオンさんは肩に掛けていた鞄から紙束を取り出すと、マーレに手渡していた。きっと、それが対価になる詩なのだろう。

 手渡した紙もインクも人魚族が作ったという特別製で、水の中どころか海底でさえ滲まないという特殊なものらしい。

 どういう仕組みなのかはよくわからないけれど、相変わらず、人魚族の道具は不思議なものばかりだ。


「クオン」

「はい、ラズさん」


 対価を払い終わると、ラズさんに手を差し出されて、クオンさんは当たり前のようにその手を取って立ち上がった。

 その一連の動作が様になっている上に、どちらもお互いを信頼しているのが見ただけで伝わってくる。


「人魚さん、ルエラさん、ありがとうございました。よかったらまたお話してもらえたら嬉しいです」

「はい、また!」


 会釈をしたクオンさん達が町の方へと歩いていくのを、手を振って見送る。

 二人が見えなくなってからそろりと後ろを振り返ると、マーレが岩場に腰をかけているのが見えた。

 そっとその隣に座ると、まだ拗ねているのかと思いきや、マーレは甘えるように肩に額を押し付けてきて、それがまるで叱られた犬みたいに見えてしまって、私は思わず苦笑いを浮かべてしまう。


「ルエラ、さっきはごめん」

「急に、どうしたの?」


 不思議に思って首を傾げると、マーレは私の手を掴んで、手の甲に額を押し当てた。


「ルエラに、嫌われたくない」

「……嫌いになったりしないよ」


 きっとこの先ずっと、マーレを嫌いになる事はないだろう、と私は思うけれど、口にはしない。

 口にしてしまったら、何かが変わってしまう気がして、何故だか言葉には出来なかったのだ。


「本当?」

「うん」


 普段、あれだけ無遠慮に脅かしてまでして会いにこさせようとしているのに、今更何をそんなに弱気になっているのだろう、と苦笑いを浮かべると、マーレは顔を上げて、真っ直ぐに私を見た。


「じゃあ、さっき言ってた事も本当?」


 そう言って、マーレの額が私の額にこつんと当てられる。

 突然の事でぱちぱちと瞬きをしていた私は、息がかかりそうな程の距離にピーコックグリーンの瞳がある事に気が付いて、ぱっと身を引いた。だけど。


「ねえ、教えて?」


 マーレの手がしっかりと腕を掴んでいて、私は逃げる事が出来ずに、こくりと喉を鳴らしてしまう。

 マーレはじっと答えを待っていて、ピーコックグリーンの瞳が、不安そうに揺れているから、私はしどろもどろになってしまって、唇をきゅと引き結んだ。

 そんな顔をするから、いつもマーレを拒む事ができないんだって、分かってやっているのなら、本当に質が悪い、と思う。


「う、嘘じゃあ、ないけど……」


 そう、嘘ではない。

 何だか告白みたいになってしまったから、つい、恥ずかしくて認めたくはなかったけれど。

 マーレは私の事をたくさん誉めてくれて、いつだって、いっぱい私のいい所を見つけようとしてくれる。

 私は、そういうマーレの方がいいし、好ましくも思ってる。

 そう思っているのは、間違いない。

 私がそう言うと、マーレは嬉しそうに満面の笑みを浮かべて、耳に唇を寄せている。


「ルエラ、大好きだよ」


 耳元で囁かれて思わず声を上げそうになるけれど、マーレは子供みたいに無邪気な笑顔で私の頰に自分のほっぺたをくっつけてくるので、私は恥ずかしさを感じつつも、仕方ないなあ、と眉を下げて笑ってしまっていた。

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