刃物を突き立てるように。
メデューサが両国へと行った声明の時が訪れた。
〈両国へ告ぐ。年が開けるとともに、リオベルグを殲滅しろ〉
〈派兵が遅れた側の国は、出遅れたことを後悔するがいい。結界を破壊し、国境を超えて、おびただしい数の魔族を送り込む〉
街はひっそりとした夜の闇の中にあった。
リオベルグの街の住人たちは、この地に強い愛着のある一部の老齢者をべつにすれば、ほとんどがすでに避難を終えていた。皆東のルーンクトブルグ、あるいは西のソルブデンへと入国し、難民キャンプをこしらえている。両国は協議の末、特例法で彼らを一時的に難民認定することとし、簡易的な審査による受け入れを行うことで合意していた。
わずかに残った住民たちは、街の中心部の集会場で身を寄せ合っていた。二十人強の、この街と共に死ぬことを覚悟した者たちだ。
そして彼らは爆発を聞いた。
空気を震わせるほどの、大きな音。何人かが思わず耳を塞いだ。
「始まったか」
「だが、まだかなり遠くのようだ」
「西の第三坑道のあたりか……ということは、攻めてきやがったのは――」
そのとき、集会場の勝手口を蹴破り、魔導銃を構えた兵士たちがなだれ込んできた。数は十人以上。銃を住民たちに向けながら、あっという間に彼らを取り囲む。
「抵抗する者は容赦なく撃ち殺す! 全員両手を上げて、床に伏せろ!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ソルブデン帝国軍だ」
エウリュアレが告げる。つぶやくような小さな声だったが、静かでただっ広い屋敷の一室に、その声ははっきりと響き渡った。
「つまらないわねまったく。人間は予想したどおりに動いてくれる」
メデューサは不機嫌そうに目を細めて、ため息をついた。そのしぐさとはうらはらに、声色には艶があった。
リオベルグに侵攻したのは、ソルブデン帝国の軍隊。
「共和国側はずいぶん時間をかけて交渉していたようだが、結局のところ決裂したのだろう。さてメデューサ、きみが宣言したとおりに動くなら、我々の戦場は――」
「オルフ台地」メデューサは、エウリュアレの言葉の先を引き取った。「六十年ぶりのホームグラウンドってところかしら? また『狩り』をするならあそこだっていう
ルーンクトブルグ領、オルフ台地。
六十年前、「オルフの大戦」の主戦地となった。
メデューサは立ち上がり、まるで窓についた曇りを拭きとるような動きで
夜の闇の中、高くそびえ立つ崖が見える。
そこはイオニクとルーンクトブルグの国境を隔てている壁――過去、何人もの結界師たちが建造した「築城式結界」である。六十年経ってもなお、それは自らの役目を遂行し続け、イオニクの魔族たちの
「このあたりがいいかしら」
メデューサは上機嫌で、まるで愛玩動物を撫でるみたいに、映し出された壁に指を滑らせた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ヨーゼフ・クンツェンドルフは
空にはちぎれた雲が数個あるだけで、無数の星が煌めいているが見えた。それは新しい年が来るのを祝っているようにも見えたし、不吉な運命を予言する光のようにも見える。彼は天文学についてあまり詳しくはなかったが、星を見るのは嫌いではなかった。
城郭都市パシュケブルグ。
今回の作戦用に、臨時で司令部が置かれている。隣接するイオニクにほど近く、外壁が備わっており、常駐している兵士たちもよく鍛えられた優秀な者ばかりだ。本部を設置する場所として、パシュケブルグ意外にはなかった。そして今や国の戦力のほとんどがこの街に集約され、
レーマンによるクーデターが失敗に終わったあと、クンツェンドルフは総司令官の任に戻った。組織のデトックスはかなり念入りに行われ、軍内部の「レーマン派」はすべて追放された。
その後クンツェンドルフが主導して来た隣国との交渉は、皆が予想したとおり難航した。落としどころはない。ある選択肢を選びとれば、また新たな問題が生まれ、話し合いはこじれ、交渉のテーブルには結論の出ない議事が積み上がった。
しかし、その交渉を彼は着地させた。
「なんだ、ずいぶん不安そうじゃないか。クンツェンドルフ」
望楼まで上って来たのは、陸軍司令官のアイスナー少将だった。夜風に吹かれているはずなのに、彼女の整えられたその白髪は毛先一本も動かない。近くに設置されている
「そう見えるか?」
「そうとしか見えないね、星なんて眺めて。私の母親が生前星占いにハマっちまってね、ろくに働かずに空ばっかり見ていたよ。くたばる直前には『これも星の意思だ』とか抜かす始末さ。以来、あのちまちました光には虫唾が走るね」
クンツェンドルフは苦笑した。
「お母上は、いったいなにを見ていたのだと思う?」
「自分の望む、都合のいい未来さ」アイスナー少将は即答する。「私らは違う。実際に来る、不都合極まりない、現実の未来を見ようじゃないか。お前さんときたら、私ら歩兵を全部
「そうかっかするな、アイスナー。わかっているだろう? 今回はもっと優先的に接待しなければならない連中がいたのだよ。さて、下に戻って陣営を再確認するとしよう。指揮官を集めてくれ」
ひとつ下の階には、すでに各部隊の指揮官が集まっていた。部屋の中央に据えられた長いテーブルに、皆押し黙って座っている。松明の揺らめく薄暗い会議室で、まるで嵐に見舞われた帆船の航海士が、最後の日誌をつづり終わったみたいに、無言で座っている。
ルーンクトブルグ軍魔導銃連隊長、ヴァルター・キューパー大佐。
同隊副官、ツェツィーリエ・ハス中佐。
同軍魔導連隊長、イレーネ・シャルクホルツ大佐。
同隊副官、ホルガー・ランセル中佐。
同軍召喚術連隊長、フーゴ・アーベントロート大佐。
同隊副官、ヴァネッサ・レヒナー中佐。
ソルブデン軍魔導軍総司令官、ジョエル・バラデュール中将。
同軍副官、エンゾ・シモン大佐。
そのほか陸軍の指揮官や帝国軍の参謀たちが並んでいた。皆居心地が悪そうに、もっと言えば息苦しそうに、座っている。
「中将」アーベントロート大佐が、降りてきたクンツェンドルフに向かって言う。「例の特殊部隊は同席しないんですか? ザイフリート少佐の」
中将は長テーブルのいちばん奥に腰掛ける。
「彼らはすでに現地に赴いている。先遣隊として適した規模だし、そもそも『対魔族』として創隊した部隊だ。我々は、彼らが寄越す情報をもとに動く」
アーベントロート大佐は口元で笑顔を作ってうなずいた。
クンツェンドルフ中将はひとつ咳払いをしてから言う。
「知ってのとおり、我々ルーンクトブルグ連邦共和国とソルブデン帝国は、魔族たちに打ち勝つために共闘する。これは歴史的なことだ」
指揮官たちはじっと、中将の話を聞いている。キューパー大佐がコキリと首を鳴らす。レヒナー中佐が脚を組み替える。
率直に言って、空気は重たかった。共和国の人間は帝国の人間を、帝国の人間は共和国の人間を、一瞬の隙もなく監視し合っていた。
「歴史的。それは結構なことですが、いかがいたしましょうか? この空気」
口を開いたのはイレーネ・シャルクホルツ大佐だ。
およそ軍人らしくはない、透き通った声色だった。細身で小柄な体格にゆったりとしたローブを羽織っている。さらりとした黒い髪は、肩のあたりで切りそろえられている。ひたいのあたりには青い宝石の髪飾りが光っていた。
クンツェンドルフ中将は知っている。
彼女は穏やかな口調で、なにごとにも協力的なように見える。しかし実際には違う。そのように見えるというだけなのだ。
「ワシは、共闘などする気はない」
しゃがれた声でそう言うのは、ジョエル・バラデュール中将だった。地属性の魔法の第一人者であり「地神」として名高い。共和国は彼の部隊を相手に、多くの損害を出した。
「そこのお嬢さん、あんたとは数年にわたってリオベルグでやりあってきた仲だ。もうここまでくると、不思議な親近感さえ湧いてくる。だがな、一緒にはやれない。あんただって腹のうちはそうだろう?」
シャルクホルツ大佐は、にこやかな微笑みを返す。
「ええ。不可能ですわね、バラデュール。さて、クンツェンドルフ総司令官。ここはひとつ、担当区域をうんと離してもらえると助かるのですが」
シャルクホルツは、自分自身と一部の部下しか信じない。いや、もしかしたら部下など誰ひとりとして信じていないかもしれない。立場上、信じているフリをしているだけかもしれない。
ひと言で言えば、イレーネ・シャルクホルツは「戦闘狂」だ。軍人でなければ、今ごろ殺人鬼にでもなっていたのではないかと、クンツェンドルフは本気で思っていた。
そしてジョエル・バラデュールも同じ人種だと、中将は思った。
「好きにしろ」中将はため息混じりに言う。「わかった、綺麗ごとは抜きだ。共闘とはあくまで国同士の、
クンツェンドルフ中将は一呼吸置いてから、その場にいる全員に、刃物を突き立てるように、宣言した。
「だが、勝て。魔族を討ち滅ぼすのだ」
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