アイントプフぐらい、私にだって作れますよ!

 その白髪はくはつの男は、たしかにユージーン・エイヴリングだった。


 もっとも彼は、テオの問いかけにはろくすっぽまともに反応しないので、会話を進める役目はほとんどマルタに任せてしまうことにした。


「ふむふむ。話はよくわかったよ。つまり二人は天使というだけでなく、姉妹というわけだね。そして今は、軍人にふんして国民を安寧あんねいを守っているワルキューレ。なんて殊勝しゅしょうな――」


 ある程度マルタが要件を話し終えると、ユージーンは眉間を指でつまんで首を揺らした。いちいち身振りが大袈裟おおげさで、本当のところこの男がなにを考えているのか、さっぱり読みとれない。


「あの! もっと大事なところありましたよね? ここまで五分くらいまるまる使って説明した話の主題、そこじゃなかったですよね?」

 マルタが香辛料の効いたチョリソーを飲み込んでから言う。


「おっと失敬しっけい。そうかっかしないでくれ、僕のマドモアゼル」ユージーンは両手を上げて笑う。「いいとも。きみたちの頼みなら、いくらだって僕は聞き入れる。全力で、願いを叶えるつもりさ」


「本当ですか?!」

 マルタが目を丸くする。嬉々とした瞳で、テオに目配せをする。


「ああもちろん。ただ、こう言ってはなんだが、ひとつ、こちらからも条件が――」

 ユージーンがそう言いかけたとき、店のベルがからからと音を立てた。


 ドアが開き、現れたのは男の子だった。

 短く刈り上げた茶色の髪。年齢はたぶん十歳くらいだろうか。先ほど広場で遊んでいた子供たちと同じように、薄い布切れのような服を着ている。


「エイヴリングさん、昼飯まだー?! みんな腹ぺこだってうるさいんだよ」

 男の子はユージーンに向かって言う。そしてテオたちに気がつき、ちょっと頭を引っ込める。


「おっと、もうこんな時間か」ユージーンは壁掛け時計を見た。「エルマー、すまんがみんなにもう少しだと言っておいてくれ。教会まで届けるよ」


「おれ、今日肉が食いたいな」エルマーと呼ばれた男の子はぼそりと言う。

「おおいいぞ。とっておきのヴルストを焼いてやる」


 男の子はぱっと笑顔になり、勢いよく走り去っていった。

 テオはマルタと目を見合わせる。


「すまないね、マドモアゼル」ユージーンは恐縮したように言う。「子供たちの食事を作る時間なんだ。話の続きは後でいいかな?」

「ええ、それはもちろん」マルタは少し戸惑いながらも頷く。


 彼は礼を言って、また厨房ちゅうぼうに戻っていった。さっきまでの軟派な態度が少し下火になったように感じる。


「教会と言っていましたね」

 マルタはそう言って、ポテトフライを口に放り込む。


「田舎の飲食店が教会で炊き出しをするのは、珍しいことじゃない」テオは言う。「教会では身寄りのない子供たちを集めて、共同生活を送っているところも多い。この村も、そうなんだろう」


「じゃあ、今の男の子は孤児なんですね」

「たぶん」


 厨房の奥では、なにか大きめの野菜を切る音が聞こえる。


「少佐」マルタが言う。

「なんだ?」


「ひと口いります? とっても美味しいですよ、おいも」マルタはじゃがいもを頬張っている。「ね? ジル」

 ジルも口をもぐもぐさせながら頷く。


「あの男が料理を出す気になるまで、我慢するよ」

 そう言ってテオは、ユージーンがテオのために唯一用意したグラスの水を飲んだ。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「そうだ! せっかくですので、私たちも手伝いましょう!」

 マルタはにわかに威勢がよくなり、あれだけ嫌悪感を示していたユージーンに作業の分担を申し出た。「天使」に手伝わせるわけには行かない彼は断り続けたが、結局根負けして、マルタは包丁をひとつ奪いとった。


「アイントプフぐらい、私にだって作れますよ! ほら、ジルはにんじん切って! 少佐、レンズ豆洗ってください!」


 マルタに追い立てられ、テオは厨房でレンズ豆を大きな鍋で水洗いした。

 となりではジルがにんじんをさいの目に切っている。


 アイントプフは、トマトやコンソメをベースにしたスープに、ソーセージと野菜、それにレンズ豆を入れた家庭料理だ。ルーンクトブルグではあらゆる地方で、日常的に食されている。


「急にどうしたんだ、マルタは」

 テオは洗ったレンズ豆を、たっぷりの水で、そのまま火にかける。


 厨房はずいぶん使い込まれた調理器具がたくさんぶら下がっている。大小さまざまな大きさのフライパンや鍋、バケツのような食缶、クリケットのバットみたいに大きなスパチュラ。大きな麻の袋にはたまねぎやじゃがいもが大量に詰め込まれていた。


「――お姉ちゃんは」


 細い声が聞こえた。

 テオは一瞬だれがしゃべったのかわからずにくるくると見まわしてしまった。

 となりで包丁を持っていたジルが、前髪の隙間からグレーの瞳をこちらに向けている。


「す、すまん。ジル、きみはもしかして話せないのかと思っていたよ」

「――ごめんなさい」

「いや、いいんだ。むしろすまん――それで、マルタは」


 ジルがこくりと頷く。

「お姉ちゃんは、子供の世話をする仕事をしてたから。私も、だけど」

 彼女はにんじんに目線を戻し、ゆっくりと包丁を入れてゆく。


 テオも鍋の中の豆を見る。煮立つまではまだ時間がかかりそうだ。

「それはつまり、保育士みたいな仕事かな?」


「ほいくし? ごめんなさい。私、よくわからない」

「両親が忙しいときなんかに、替わりに面倒を見る人のことだよ。寝かしつけたり、一緒に遊んだり、こうやって食事を用意したり」

「――うん。それに近いです」

「そうか。じゃあマルタもジルも、こういうことには慣れてるんだね」


 ジルはさいの目になったにんじんをひとまとまり、ざるに移す。

「でも、私たちは役目を最後まで果たせずに、死んじゃったから」


 数秒間の沈黙が訪れる。

 ジルの目は、前髪がかぶさってよく見えない。


「それは――」


「はいそこ! しゃべりながら作業しない!」

 テオの言葉をさえぎり、マルタが後ろから肩を小突く。その手にはローリエの葉が二枚、握られている。

「ちょっとジル! のんびりしすぎ! ちゃっちゃと切って。少佐も、見つめる鍋は煮えませんよ? 包丁はもう一本あるので、切るの手伝ってくださいね」


 それっきり、ジルは無言で野菜を刻み続けるだけだった。


 テオたちは大きな食缶を二つと食器を入れたかごを持ち、ユージーンについて教会の食堂までおもむく。

 店を出て、なだらかな丘を五分ほど歩く。教会の敷地内で遊んでいた子供たちがユージーンに気がつくと、それまで興じていたことを全部放っぽりだして彼に群がってくる。そして皆口々に、今日のこんだてがなにかを尋ねる。


「温かいアイントプフだ」ユージーンが答える。

「えーっ! またかよ?!」ひとりの男の子が唇を尖らせる。

「前のとは違う。ヴルスト二十パーセント増量。しかも今日はマルタさんとジルさんが来てくれたおかげで余裕があったからな。こんがり焼いてからスープに入れたぞ」


「おれも手伝ったんだけどね」

 テオは食缶を少し持ち上げて苦笑いを浮かべる。

「まあまあ」

 マルタがテオの肩を叩く。


「姉ちゃんたちだれ?」

 先ほど店へ来た少年、エルマーが鼻水を垂らしながらマルタに聞く。


 マルタがそれに答えるまえに「姉ちゃん首都からきたの?」「髪すげえ!」「エイヴリングさんのカノジョじゃねえ?」「二人も?!」「エイヴリングさんにはユッテ姉ちゃんがいるからだめ!」「じゃあ浮気?」「浮気とかサイテー!」「男もいるじゃん!」と、子供たちは思いおもいの方向に話を広げていった。マルタはにこやかに笑いながら、彼らの小さな頭をぽんぽんと撫でる。


 食堂には二十人ほどの子供たちが集まった。ずいぶん年季の入ったパイン材の長テーブルが三つ並び、そこに押し込められるようにして、二十人分の顔が並んでいる。マルタとジルが配膳はいぜんを終えると、食前のお祈りもそこそこに、皆ものの数秒でスープを平らげていく。


 空になった食器を、子供たちはすぐに食缶のところへ持ってきておかわりをせがむが、あいにく二杯目が全員に行き渡るまでの量はなさそうだった。マルタとジルはほんの少しずつ、追加で皿によそっていく。男の子たちは量が少ないことにぶうぶうと文句を垂れ、それを女の子たちがたしなめている。ユージーンによると、これがいつもの光景らしかった。


 ついに食缶が空になると、子供たちはすぐに頭を遊びに切り替える。彼らはシャントルイユ姉妹にずいぶん興味を持ったようで、我先われさきにとその手を奪い合っていた。


「こらガキども! 天使の身体に傷をつけようものなら、明日から昼飯抜きだ! わかったか?!」


 ユージーンが子供たちに向かって大きな声を出すが、あまり効果はなさそうだった。マルタは少し困った顔をしながらも、子供たちと触れ合うのはやはり好きなのか、すでに女の子をひとり抱きかかえてはしゃいでいる。ジルも、こぼれれるような笑顔を見せていた。


「こっちで片付けておくよ。少し遊んでやってこい」

 テオは食器をまとめながら、ジルに声をかける。


「――ごめんなさい」ジルは小さく口を開けて言う。

「ジル」

「はい」

「こういうときは『ありがとう』だよ」


 彼女はグレーの瞳を見開く。テオは自分でそう言ってしまってから、説教くさく響いたかもしれないと思い、少し薄ら寒くなる。


 でも、ジルは照れくさそうに笑った。

「――ありがとう、ございます」


 ジルは小さな栗色の髪の女の子に手を引かれ、食堂を出て、広場のほうまで下っていった。

 あっという間に食堂はがらんとなり、テオとユージーンだけが残る。


「すまないね。ええと――」

 ユージーンは言い淀む。彼は食缶を重ねて、持ち運ぶ準備をしていた。


「ザイフリートだ。テオで構わないよ。きみとさして年齢は変わらない」

「軍人だそうだね。階級は?」

「一応少佐だ。いろいろあってな」

「なら、少佐と呼ばせてもらおう。これでもでは、くらいを重んじる人種だったんだ。時間が経っても、案外そういうのは抜けなくてね」


 彼はこの世界に来る前、貴族だったのだという。

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