そのうち、ランクが『S』になっている人間がいるだろ?

 テオ・ザイフリート少佐は、ほとほと困り果てて、げんなりしていた。


 首都に戻ってきて中央本部に顔を出してから、まだ三十分と経っていない。

 そのあいだに、膨大な情報がテオの頭の中を埋め尽くした。


 到着したころにはもう日が暮れてしまっていた。士官室へ足を踏み入れ早々、まさかのクンツェンドルフ中将から呼び出しをくらい、急いで総司令官室へとおもむく。


「ザイフリート君か、まあまずは座りたまえ」


 入室すると、奥の大きなデスクに腰をかけて葉巻をふかしていたクンツェンドルフ中将がソファを勧めた。中央に広々としたローテーブルが置かれ、茶色の革張りされたシングルソファが四つ並べられている。


 そこにはもうひとり、先客がいた。


「――やあ」

 小さな丸フレームの眼鏡をかけた中年の男は、テオを見てぼそりと挨拶をする。


「ドフェール卿」テオは言う。


 先客はレオン・グラニエ=ドフェール卿。

 テオを召喚した、大召喚術師だ。


 正直、面食らった。

 彼は軍属の召喚術師であり、普段は首都内にある第1召喚術研究所に、ほぼ缶詰になっているような男だったからだ。中央本部の、しかも総司令官室で見ることになるなんて、初めてだった。


 テオはこの世界に召喚された当初こそ彼と顔を合わせていたが、士官学校へ通い始めたころからは年に一、二回言葉を交わすかどうかだった。


 鼻の上にひっかけるようにかけられた丸眼鏡の奥には、深みのある紺色の瞳が光っていた。黒い髪は伸ばしっぱなしで、ほとんど無関心という印象だ。白い肌をより際立たせており、余計に不健康そうに見える。目にかかるくらいまで伸びた前髪を、邪魔くさそうにかき上げていた。

 細身で長身の身体には、装飾のほとんどついていない黒いローブがまとわれていた。すそが擦り切れている。それが彼の普段着であるらしかった。


 大召喚術師といえば軍の学術部門のトップであり、国中の著名な研究者があこがれ、その研究内容が注視されるような立場にある。

 しかしレオン自身は、そういうことにてんで関心を持っていないらしい。

 今の彼だって、およそ総司令官室に出向くような格好ではなかった。


「なにを突っ立ってる。早くかけたまえ」クンツェンドルフ中将が言う。


 テオはレオンの対角線上になるソファに腰をかけた。

 近くで見るレオンは想像以上にげっそりと頬がこけている。目の下にはくっきりとくまが刻まれていた。


「すまんな、帰還早々に」中将がテオに向かって切り出した。「まずは巨人型魔族の討伐。貴公きこうのその功績を私からもたたえたい。ザイフリート君。見事な活躍であった」


 テオは恐縮した。

「お褒めのお言葉、誠に光栄であります。しかし中将。私は討伐したのはヴォルケンシュタインに現れたオーガー一体のみですし、そのうえ、私は自身の精神を制御できず、このありさまです」


 テオはてのひらに巻かれた両手を掲げる。「中将から直々じきじきにお褒めの言葉をいただけるような働きは出来なかったという認識です」


 クンツェンドルフ中将は葉巻の煙を天井に向かって大きく吐いたあと、豪快に笑った。


謙遜けんそんする必要はない。貴公の働きに加えて、その部下たちに向けての賛辞さんじだと思ってもらいたい。つまり、指揮官としての貴公の手腕しゅわんも、評価しているということだ」


 中将はバルテル隊の働きを例に出した。

「聞けば、近くで召喚術部隊が苦戦を強いられている中、彼の部隊は魔導砲をうまく用いて、最小限の損耗そんもうでオーガーを撃破したそうじゃないか」


 テオもその件については、フィルツ大尉から聞き及んでいた。

「はい。普段は軽口ばかりでひょうきんな男ですが、彼の魔導兵器まどうへいきの扱い、状況に応じた選択は、評価に値すると思っています」


 中将は満足したように笑みを浮かべる。「ザイフリート少佐の部下に対する育成がよかったのだろう」


 テオは嫌でも、この状況を勘ぐってしまう。

 クンツェンドルフ中将からこんなふうに直接褒められることなど今までになかった。今回の巨人の掃討作戦がそれだけ重要であったということか。

 もしくはこのあと切り出される「本題」の前口上まえこうじょうか。


 大召喚術師が呼ばれていることを踏まえると、明らかに後者だ。


「さて、ドフェール卿にもお越しいただいたのには、少し訳があってな」

 案の定、クンツェンドルフ中将は話し始める。


「魔導連合大隊構想に関して、方針を改めることとなった。今回の巨人型魔族に対して、実際に有用だった戦力は限られていた。それは、ザイフリート君も知るところだろう」


 

 一定以上の攻撃力を持った魔法や召喚獣でなければ、巨人にダメージを通すことはできなかった。今回で言えば、ラングハイム中尉の召喚した「大地を泳ぐ魚」や、テオの魔導銃「ノヴァ」が、魔族に対して有用であった。

 逆に言えば、通常のアサルトライフルや、下級の召喚獣ではまったく太刀打ちができないのが、魔族だ。


「数で押しても負ける。そういう戦争が、近いうちに勃発ぼっぱつすると、私は見ている」中将が続ける。「部隊は機動性きどうせい隠密性おんみつせいに重きをおく。当初大隊規模で構想していたが、これを小隊規模に圧縮。十名から、多くて二十名程度といったところか。一個小隊で作戦の遂行が完結するよう、個々の能力はそれぞれに役割があったほうがいい。ここまではよいかね? 少佐」


「はい。大まかな趣旨については、すでにキューパー大佐から聞き及んでおります」


「よろしい。さて、この部隊について、肝心の指揮官だが」中将は両手を組み、机の上に置いた。「テオ・ザイフリート少佐。貴公に一任したい」


 テオは息を飲む。

「――しかし、第2魔導銃大隊については」

 口をついて言葉を発したが、中将に言い渡された以上、辞退する権限などないことはわかっていた。


「もちろん、慣れ親しんだ部隊を離れることに不安もあろう」中将は言う。「必要とあれば、数名引き抜いても構わん。貴公の後釜あとがまとなる指揮官については心配するな。こちらでなんとかしておく。もっとも当分は、キューパーの元に合流してもらうことになるだろうが」


 キューパー大佐は連隊を率いて、すでに西部戦線リオベルグへむかっている。


「ご高配こうはい、誠に感謝致します。そうすれば、いわゆる魔導連合大隊は単に魔道連合『部隊』と呼称したほうがよいでしょうか?」


「特にこだわらんよ。なにせ各連隊とは完全に独立した部隊だ。ラングハイムなどは『ブリッツ』と呼んでいたが、こういう特殊部隊は自然と通り名がついてくるものだ」


「――承知致しました」


 テオは頭の中で、今後降りかかってくる仕事の数を計算していた。

 大量の書類を書き、各方面へ回すことになる。部下やほかの魔導銃大隊への通知、場合によっては説明を行わなければならない。あの士官室のデスクは引っ越しだろうか? ものに埋もれたあの島を移動させるのは、苦労しそうだ。

 そして一番の仕事は、その編成となる。


「もちろん、編成に関しては助力する」クンツェンドルフ中将が先回りした。「特に人選は、この部隊のきもだ。中途半端な人材はいらん。誤解を恐れずに言えば――そうだな、少々やからがよかろう」


 中将はにやりと笑う。

「実はそのために、ドフェール卿にも来てもらった――リストを、ザイフリート少佐へ」


 中将に促されたレオンは、五枚ほどの束になった書類をテーブルの上に置いた。


「説明を頼めるかね?」中将は言う。

「――ええ」レオンはぼそりとした声で応じる。

 

「ザイフリート君。そのリストは、軍の最高機密なんだ。厳重に保管を」

 陰気な声で、レオンを言う。


 テオは頷いて、その「リスト」を手にとる。


 そこには人名とその人物の情報が記載されていた。

 住所や年齢、性別、支持政党、人物によっては犯罪歴や思想、性癖までが載っている。そして人物ごとにアルファベットでランクづけのようなものがされていた。

 顔写真もついていた。人相の悪い中年やひげを蓄えた薄汚い男もいれば、まだほんの十歳くらいではないかという少女まで、その顔ぶれは様々だった。


 多くは、魔法を扱うことができる人間たちのようだ。人物の情報欄にはその魔力の属性や威力、どういったかたちでその力が顕出けんしゅつするのかが詳細に記されている。


「なにも、能力が備わっていれば皆軍人になるのかといえば、そうではない」レオンは静かに話し始めた。「軍事的に極めて有用であるけれども、本人の意思でその力を軍に提供していない。そのリストは、そういう者たちなんだ」


「――なるほど」テオもう一度頷く。


「そのうち、ランクが『S』になっている人間がいるだろ?」

「数は少ないようだけど」


 レオンは少し目を伏せて言う。

「それ、きみと同じ転生者だよ」


 彼の目の奥に、なにか暗いものを感じた。

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