第五話 -調査-

土で汚れたクマのぬいぐるみが落ちているのを見つけて、顔をしかめる。

 ソルブデン帝国の首都グリエット。


 アメリーがミュールに連れられて入った店は、彼がずいぶんと自慢気だったわりには、ワインは酸味が強すぎ、出された鶏肉はぱさついていた。これが良いという人間はいるのだろうが、少なくともアメリーは好きこのんで口にしたいとは思わなかった。


 目の前の近衛兵は、酒が回り始めるとしだいに饒舌じょうぜつになり、ソルブデン軍内部の情報をためらいなく垂れ流した。


 大抵の話は、前に聞いたことのある内容の延長である。

 上司の愚痴であり、部下への愚痴であり、さまざまな軍のシステムに対する批評――いや、批評めいているだけの、やはり愚痴だった。

 おおよそいつもどおりだ。やはりこいつは軍の上層部でも無能扱いであり、重要な情報は下ろされていない、ということなのか。


「そういえば、ミュールさん。最近新聞で見たのですけれど、魔族がいくつかの村を襲っているとか。わたくし、親族が地方にいるものですから、不安ですわ」

 イオニクの樹海に封じ込められているはずの魔族が、人里に現れ始めている。ルーンクトブルグと同様、ソルブデンでもそうした報道が出ていた。


「ああ、アメリー。たしかに新聞なんかでは『襲撃』なんて言葉を使って、ずいぶんと国民の不安を煽っているようだね」

 ミュールの返答に、アメリーは引っかかるものを感じた。近衛兵は赤い顔で、さらにワインを喉へ注ぎ込む。反対の手はしきりに襟をさわっている。

 この男、なにか言いたそうだ。


「ええ。もし家族が襲われて、怪我をしてしまったり、命を落としてしまうなんてことになったらと思うと」

「そんな心配には及ばないよ、アメリー」


 ミュールの鼻がどんどん高くなっていくのが見えるかのようだった。


「これまでの報道を改めて見てもらえばわかるけども、ソルブデンでは

 ワイングラスを掲げるようにして持ち、ミュールは言い切った。


「あら、そうなんですの?」

「そうだとも。僕が言うんだ」

「――でも、そんな偶然あるんですのね」


 彼は鼻の下を掻いた。「偶然じゃない。アメリー、これは言いふらさないでおくれよ。一応、軍の機密事項なんだ」


 長らく垂らし続けた釣り針に、ようやく大物がかかった。

 アメリーは慎重に糸をたぐり寄せた。


「ミュール、ただの一般市民であるわたくしには、むしろ言いふらす相手が欲しいくらいよ」

「そうかもしれないね」ミュールは笑った。「ソルブデン軍は、実際のところ、魔族がどこに現れるのかがわかっている」

 アメリーはきょとんした顔を作った。


「いいかい」ミュールが続ける。「旧イオニク公国。昔反乱軍が喚び出した魔族が原因で滅んだこの国で、何者かが主権を取り戻そうとしているらしい。軍人のあいだで流れている噂では、ソルブデンの要人がそれを手助けしているみたいんだ」


 アメリーは、一瞬表情を失ってしまった。

 ミュールは得意げに続ける。


「魔族をイオニクの結界の中から引っ張り出して、町や村を襲わせているのは、ソルブデンの召喚術師なんだ。これは事実だね。国内向けには、張られた結界が寿命を迎えている、ということになっているけど。当然、軍はどの村に魔族がくるのか把握していて、先に大隊規模の兵士を派兵しているってわけだ。だから、ソルブデン国民はひとりも命を落としていない。まあ、ルーンクトブルグのほうはどうだか知らないけどね」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 オシュトローの村は半壊状態だった。

 赤い屋根瓦やねがわらの家々が無残に砕かれ、小道には瓦礫がれきが散らばっている。レンガで組み上げられた壁は、もはや意味をなさないものになっていた。いくつかの家は壁が黒く変色し、土の焼けたにおいがした。

 道のところどころに、不気味な色をした羽が散らばっている。


「ひでえもんだな」バルテル少尉が低い声で呟いた。


 かろうじて残っている建物の隙間を風が通り抜けて、うなるような低い音が聞こえる。

 それは、村が泣いているようにも思えたし、怒りの声を上げているようにも思えた。この村には人間が住んでおり、また人間が住むために必要な建物や家畜や慣習があり、生活がある。それが突如、何の前触れもなく脅かされたことを、その風の音はありありと想起させた。


「この付近の住民は騒ぎに気付いて避難できたそうです。ただ、ひとつ奥の区画では数名死傷者が出ています」

 スズは言う。土で汚れたクマのぬいぐるみが落ちているのを見つけて、顔をしかめる。


 スズ・ラングハイム、そしてバルテル少尉の一個小隊は追加の物資輸送に赴いていた。


 数日前、第2魔導銃大隊ザイフリート隊が物資輸送の護衛を行なっていた際に巨大なニワトリのような魔族「コカトリス」の襲撃にあった。部隊は九体のそれらを迎撃することに成功した。


 コカトリスの群れはちょうどこのオシュトローの村を過ぎたところで現れた。ザイフリート少佐はそれをその日中に首都へ報告を入れた。

 最速で召喚術部隊から一個小隊が村の状況調査に向かったが、オシュトローの村もまた、コカトリスたちの襲撃に遭っていたのである。


 人命救助及び住民の安否確認はすでにほかの歩兵部隊が遂行していた。救助された村民は、教会や損壊のなかった民家に身を寄せている。


「死傷者は三十九名。死者八名の、負傷者三十一名。ここ最近の魔族襲撃事件では、過去最悪の被害ですね」

 スズが報告書を確認する。


 九体のコカトリスはオシュトローを襲ったのち、なんらかの理由で標的を貨物列車に変更したようだった。そういった意味では、村は列車が通ったおかげで全壊をまぬがれた、とも言えるかもしれない。


 オシュトローは畜産や酪農の村だった。

 牧草地帯が広がっている高原で牛や豚を育て、いくつかの集落を作ったのが始まりだ。そのうち教会が建てられ、それを中心に集落が広がり、やがて村が出来上がっていった。


 今日は秋晴れが続いていており、高い青空が広がっている。小高い丘から見渡すと、遠くまで広がる草原が実に牧歌的だった。

 損壊した民家とは、いかにも不釣り合いに見える景色だった。


 スズとバルテル少尉は村の北側に建てられている畜舎まで歩いていく。風に乗って、牧草の香りと牛糞のにおいが鼻をつく。

 それと同時に、腐臭がした。近づくほどにそれは強くなる。


「鼻が曲がりそうだ」バルテル少尉が言う。


 畜舎は、村の建物の中でいちばん損壊が激しかった。

 屋根という屋根は全て壊されている。家畜を仕切っていたはずの柵もそこら中に散らばっている。畜舎の中には、逃げ遅れてしまった牛や豚、馬などの死体が転がっていた。コカトリスについばまれ、ほとんど原型をなしていないものが多い。肉は腐敗が進んでおり、おびただしい数のハエがたかっていた。


「衛生的にも、ここは早く処理したほうがよさそうですね――バルテル少尉、一度野営地に戻りましょう」


 オシュトローに派兵されている部隊のキャンプ地が、村の西側のはずれにある。バルテル少尉の小隊も、午前中に村に到着してすぐ、野営地にテントを設営していた。草原地帯と森林のちょうど境目になっている場所で、少し歩くと川もあり、野営には最適だった。


 オシュトローには、いくつかの部隊が順次派兵されていた。

 理由は明確だ。


 九体のコカトリスはされたわけではないのである。

 九体のうち七体は、動きを止めることを優先したため、脚を狙撃しただけに過ぎなかった。


 先遣隊が線路上の状況を確認したが、その七体は発見できなかった。

 目撃情報は今のところ入っていない。七体のコカトリスは、まだ生きている。

 オシュトローを始めとして、付近の集落が襲われる可能性は十分にあった。


 コカトリスなどの魔族は、まず間違いなく「イオニクの樹海」からやってきたはずだが、オシュトローは樹海から約三百キロも離れており、単にエサを求めてやってきたにしては不自然だった。

 魔族だけでなく、そこには人間の介入が考えられる。つまり、軍の上層部で掴んでいる「上級召喚術師による意図的な使役の可能性」があった。スズたちは情報を下ろされている部隊として、その線での調査も今回の任務に含まれていた。


 それに、オシュトローの東に五、六十キロも行けばもう、首都マルシュタットだ。過去最悪の魔族襲撃事件が、首都のすぐそこで発生したのである。本音では西部戦線リオベルグに戦力を割きたいであろう上層部も、動かざるを得なくなってきたのだ。


 キャンプ地が見えてきたところで、人の声がした。

 単なる話し声ではなかった。声を荒げて罵倒する、男の声だった。

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