赤い屋根の家

青空 冬

第1話 深淵の森

薄暗い森の中。

上を見上げても、青空なんて見えない。

一人の男が、息を切らしながら森の深くへ潜る。

明るい茶色の髪は、枝や葉がついて痛んでおり、服も傷だらけでボロボロだ。

 (何日、この森に潜っただろうか)

喉が渇いた。腹が減った。足が痛い。

すでに無くなってきた感覚を、頭の中で復唱して思い出させる。

ああ、せめて何か食べれたのなら。

あわよくば、そのまま村に帰ることが出来たのなら———。

それが夢のまた夢であることを、男はよく知っていた。

 ここは王国最大級の森、深淵の森。

中央には、神話の時代に存在していたと言われている精霊が住む集落があると言われている。

男は、とある事情でそこまで行かなければならなかった。

(存在するかも分からない集落を目指して、深淵の森で野垂れ死に…か。

こんな死に方、したくなかったな)

意識が朦朧として、視界が何度も揺れる。

その時、男の視界の端に、赤色の屋根が映った。


 (…なんだ、ここは)

上を見上げても青空なんて見えなかったのに。

そこだけは空から光が差し込んで、鮮やかな赤色の屋根が美しく輝いている。

近くの看板には、「赤い屋根の家」と書かれていた。

力を振り絞って扉まで歩き、ノックをする。

中から「はーい!」と少女の声が聞こえてきたかと思えば

パタパタと足音が聞こえ、ガチャリと扉が開く。扉が開くと同時に、チリン、と軽やかな鈴の音が鳴る。

中から出てきたのは、栗色の髪を三つ編みにし、丸眼鏡をかけた12歳程度の少女だった。

「いらっしゃいませ…って、ボロボロ!?ちょっと、大丈夫ですか!?

中、入ってください!」

「…」

少女は慌てて中に戻っていく。

 しばらくして少女は、真っ白なタオルと水、そして男物の服を持って、男の下に帰ってきた。

「とりあえず、席に座って、これに着替えてください!それとタオルで体も拭いて…

あ、水も飲んでくださいね!見た感じ、脱水症みたいなので!私は簡単なものを作ってきます!」

男は言われるがままに着替え、体を拭き、水を飲んだ。

 (…ここは、どこなんだ)

右側の壁一面に置かれた本棚。机の上にはメニューの書かれた本(恐らくメニュー表だろう)。入口の近くにはカウンター付きの台所がついている。

(…喫茶店?)

 「お待たせしました」

少女はトレーを持って、ゆっくりこちらに歩いてくる。

コトリ、とトレーの上の料理を男の前に置いた。

「カツサンドです」

「カツサンド…」

聞いたことが無い名前だ。

食欲をくすぐるいい匂いが、男の鼻をくすぐる。

三日三晩飲まず食わずで歩いていた男は、思わずカツサンドに手を伸ばし、かぶりついた。

「…おいしい」

勢いよくカツサンドをすべて平らげた男は、ハッと我に返る。

「俺、今お金とか持ってなくて…」

「大丈夫ですよ。今回のはサービスです」

「でも…」

ためらう男に、少女はにっこりと笑って「じゃあ…」と呟く。

「お店のお掃除、手伝ってもらえませんか?」

「…!わかりました!」

 男は立ち上がり、ふと思い返したように少女の方を見る。

「ところで…あなたのお名前は?」

「私ですか?私はアヤです。あなたは?」

「俺はエクスです!」

アヤはエクスに、よろしくお願いします!とほほ笑みかけた。



 それからエクスは、アヤと共に本棚の埃をはらい、床を掃除し、窓をピカピカに磨き上げ、食事に見合う仕事ぶりを発揮した。

 「エクスさん、掃除上手なんですねえ」

「はい!俺、村で村長の家の掃除を担当しているので、掃除には自信があります」

掃除が終わり、アヤがお礼にと出した冷たくて甘い氷菓子(アイスクリームと言うらしい)を頬張りながら、エクスは今まで気になっていたことをアヤに尋ねた。

「ところで…ここってどういう建物なんですか?」

「ここは読書喫茶ですよ。本を読みながらご飯を食べるんです」

「本を?」

エクスは顔をしかめる。

試しに本を一冊手に取ってみた。

「…紙だ」

「え?」

「この本、紙が使われているんですか?」

「まあ、本ですから…」

エクスは震えながら丁寧に本を棚に戻し、ゆっくりと振り返る。

「紙ってすごく貴重なんですよ!?それを、こんなに!?」

「あー…よく他のお客様にも言われます。たまたま伝手があったもので」

アヤは目を逸らしながら早口で理由を答える。

 「それにしても、どうしてこんな辺境で?」

「あー…。隠れた名店、っていうのに憧れてたんですよ」

隠れた名店…。それにしては隠れすぎな気がする。

「アイスクリーム、ごちそうさまでした。

またここに来たいのですが…さすがにもう一度三日三晩彷徨うのはごめんですね」

「三日三晩彷徨ってたんですか!?」

 ちょっと待っててください、と、アヤは速足で店の奥に入っていく。

暫くすると、アヤは小走りでこちらに戻ってきた。

「これ、あげます」

「これは…?」

店の外観にそっくりな赤い屋根のイラストが描かれた、金属製のプレートだ。

裏には「赤い屋根の家」と彫られている。

「これ、常連さんにあげる特別なプレートなんです!

これを持っていたら、迷わずにこのお店まで来れますから」

「え…?それって、どういう…」

どういうことなんですか?

そう言い終わる前に、アヤはエクスの背中を押しながら

「出口はこっちです!」と裏口まで案内する。

 「それでは、またのご来店をお待ちしております。

人里まで戻るには、そちらの裏道をまっすぐ歩いていただければ大丈夫です」

そんな簡単に戻れるわけがない。

エクスは頭の中でそう分かっていたが、見送るアヤの笑顔があまりにも眩しかったので、まあいざとなったら来た道を戻ろうと思いながらまっすぐ裏道を進んでいった。

 一時間ほど歩くと、本当に人里の明かりが見えてきた。

そのころにはすっかり日は沈んでおり、赤い屋根の家のプレートが月明りを反射して

静かに光っていた。


(本当に、帰ってこれた…)

赤い屋根の家、本当に変な喫茶店だった。

どうして深淵の森から帰ってこれたのか。あの聞いたことのない料理は何なのか。

どうして貴重な本があんなにあったのか…。

聞きたいことはまだまだ沢山あった。

 またあのお店に行こう。そうすれば、きっと何か分かる。

まだ目的も達成できていない。

エクスはそう決意して、布団に潜り、気絶するように眠った。

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