ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ

一章 ナイナイづくしの異世界転生

第1話 お金がナイ 母がいナイ 食事もナイ 税収もナイ

1. お金がナイ 母がいナイ 食事もナイ 税収もナイ



 もうダメだと思った。



「リーナお嬢様、意識が戻られたのですね!」


 現代の日本では一般的とはいえない平織りのタオルと、蝋燭一本灯した燭台を持った、老齢の女性が部屋に入ってくる。


「マハラ…」


 自然と彼女の名前が、唇からこぼれた。

 目の前の優しげな老女は、私が知らない人なのに、私の知っている人だと確信があった。不思議な感覚……


「よろしゅうございました。お身体を拭かせていただきますね」


 汗を拭ってくれる老女の、どこか古めかしい、雰囲気のある洋服に前掛け。

 自分の肩から緑がかった水色が流れておちる。


 それは不思議な薄荷色。

 ミント……色……?


(これなに? え? 髪?! 私の髪????!)


 不思議な薄荷色を認識した途端に、頭に流れ込む、別の人生の記憶。

 そして今まで生きてきた記憶。


 それらが、珈琲にミルクを注いでカフェ・オ・レになるように混ざり合ってゆく。


 日本の地方で平凡な事務職員をしていた三十二歳。女性。名前は松田理奈。独身。

 その日は歩いていける距離にあるスーパーで買い物をし、両手に重い買い物袋を持って歩いていた。

 途中から雨が降り出し、慌てて横断歩道橋を渡る。濡れた階段でずるりと足を滑らせ「これはやばい」と確信。


 頭の奥がじぃんと痛む。

 ぶつけたわ、頭。目の前に無数の銀の星がしゅわしゅわ走って、それから――


 それから――


 この身体の少女に転生していた。


 漫画や小説でよく読んだ異世界転生というやつなのだろう。


 いや、ひょっとすると転移とか憑依とかなのかもしれない。

 どう違うのか正直わからない。

 転生と違って、転移や憑依とかは元の身体の持ち主の魂が死んで、代わりにその身体に入っている状態であるパターンが多かった気がする。


 申し訳なさが半端ないので、是非転生であってほしい。


 この身体に自分以外の意識……というものは感じられない。何することもできないこの状態では、どちらにせよこの身体で生きていくしかないのだった。



 不思議な薄荷色の髪をした、この身体の少女の名前は、マグダリーナ・ショウネシー。

 落ち葉が舞い散るこの秋に、十歳になったばかり。


 この世界のディメル大陸にある国家の一つ、リーン王国の貴族……ショウネシー子爵家の……なるほど、長女らしい。


 父はダーモット・ショウネシー。

 二歳下の弟がいて、名前はアンソニー。

 母はクレメンティーン、故人だ。マグダリーナの髪の色は母親譲りだった。すごく美人のお母さん……いや美女の前に『絶世の』と付けていいレベルだわ。


 どうせなら顔も似て欲しかったけど、マグダリーナも弟のアンソニーも父親似のよう。残念。


 待って、待って、貴族の家なのここ?

 貴族令嬢なの? 私。

 本当に?


 マハラさんに介抱されながら、私はさっきから気になっている所をじっと見た。


 あれ……蜘蛛の巣よね?


 この部屋の隅……薄暗い天井の隅には蜘蛛の巣からホコリを吸いつけた糸が垂れていてた。



 違いはあれど、ここの環境は古いヨーロッパ辺りに似た文化じゃないかな?


 大きく違うのは、魔獣という魔力を持ったモンスターや魔法、エルフやドワーフという他種族が存在することだろう。


 だけど今直面している問題はそこじゃない。

 

 この子爵家、お金が無いのだ。

 貴族の家なのに。


 マグダリーナの母、クレメンティーンは三年前に流行病に罹り、辛うじて医者に診てもらうことはできたが回復薬に手が出ず、亡くなった。


 マグダリーナも四日前から高熱を出し苦しんでいたが、医者も回復薬も用意されなかったのだ。


(せめて毛布があれば、いいのに――)


 マグダリーナが体調を崩した日は急に気温が下がり、空気が肌を刺すような冷え込みを感じた。今年は冬がはやく訪れそうだと、父のダーモットが話していたのを思い出す。


 くたくたの布地を二、三枚重ねて縫い付けてあるだけの薄い掛け布団の中で、理奈ことマグダリーナは、きゅうっと身を縮こませた。


 いったいなんの罪があって、なんでこんな劣悪な環境の少女に、転生してしまったというのか……

 理奈は地道に真面目に働いて生活していたというのに、あんまりだ。



◇◇◇



 熱は奇跡的に、翌朝には下がっていた。


 その頃には理奈自身にも、自分はマグダリーナでもあるという事を、自然と受け止められるようになっていた。


 何かの作用なのか、元の世界の家族のことは懐かしさはあっても、不思議と執心はなく、完全に過去の認識になっている。


 起きても現実は変わらなかったし、一晩寝れば、大概心はなんとか落ち着くものだ。睡眠って素晴らしい。


 普段のマグダリーナがそうしていたように、一人で身支度を整え、食堂へ向かう。


 貧乏子爵家では、使用人の手も足りない。マグダリーナはとりあえず、最低限の自分の世話は、自分で出来るようにはなっていた。


 偉いぞマグダリーナ!

 自画自賛して、心を慰める。


 魔法や魔導具なんかがあるファンタジーな世界ならば、金銭面以外は然程不自由はないのでは? そう思ってみたが、そこにも貧困の影響はあった。


 魔導具の動力源である魔石を買えない。


 つまり全ての家事は完全に手作業で、この邸宅を維持するのに明らかに人手が足りていない。


 特に日本で暮らした記憶がある分、衛生面には辛いものがある。


(まさか、魔石が買えなくて、水洗トイレが使用禁止……お……おまるだなんて……)


 当然、お風呂を沸かすなど、夢のまた夢よ……


 そしてお金のないショウネシー子爵家の食事は、数年前から昼食を兼ねた遅い朝食と夕食の、一日二食!


 一応マグダリーナの記憶と知識にある、この国の貴族の生活習慣は、食事は朝昼晩の三食に、午前と午後のティータイム付き。しかし食事回数が減っている現状、もちろんティータイムなど無い。


 長い廊下を歩き、彫刻で装飾された、重い食堂の扉を開ける。


 息切れがすごい。

 ――この身体の体力の無さは、なんとかしないといけないわ……


 久しぶりに家族揃った朝食の席につく。

 マグダリーナの記憶で食事の粗末さはわかっていたつもりだったが、実際目の当たりにすると、しおしおと悲しい気持ちになった。


 これでもかと細かく刻まれた野菜が申し訳程度入った、限りなく薄味のスープと、薄く切った芋が二切れ。


 芋二切れの衝撃がひどい。


(パンは? パンとタンパク質は無いの?! しかもこの二切れって、芋半分を私と弟と父で分けた感じだよね!)


 芋はじゃがいものように見えた。異世界と言っても、スープの中のくず野菜を見る限り、際立って異様な色合いの物など無いので一応ほっとする。


 ここでまた、マグダリーナの記憶が、貴族は土に近い野菜は食べず、主にパンと肉、川魚、果物、砂糖菓子を食べることを教えてくれる。


 つまり今食卓に並んでいるのは、平民より質素な食事なのだ。


 向かいの席に座っている、弟のアンソニーを見ると、嫌な顔もせず、お行儀よくスプーンで掬ってゆっくりゆっくりスープを飲んでいる。


 折れそうな手首の細さが、とても痛々しい。


 育ち盛りなのに、文句もわがままも言わずに、この食事を受け入れている。


 じっと見てたので目が合うと、アンソニーはニコッと無垢な笑顔を見せた。


「お姉さまの体調が良くなって、良かったです。お姉さまが伏せっていた間は、とても寂しかったので…」

「まあ……心配かけてごめんなさい」


 理奈としては初対面の少年だが、自然と胸にあたたかい愛しさを感じる。


 思わずぎゅーっと抱きしめて、アンソニーの金髪頭を撫でたい衝動に駆られたが、食事中なので我慢した。


 幸いマグダリーナが受けた淑女の礼儀作法は、身体に染みついているようで、普段の彼女の言動にそった振る舞いができる。今のところ。


「そういえばリーナは来年の春には、王立学園に入学か……そろそろ色々準備していかないといけないのかな」


 父のダーモットが、紅茶という名の薄く茶色っぽいだけのお湯が入ったカップを置いて、目を瞑り、眉間に皺を寄せた。


 何の因果か、ダーモットは前世の理奈と同じ年齢。それだけでこの世界の結婚適齢期が早めなのが伺えた。


「姉上にこれ以上の援助はお願いできないだろうが、せめて制服が入手できないか頼んでみるか……」


 マグダリーナの祖母はダーモットが幼い頃に亡くなり、祖父もマグダリーナが二歳の時に亡くなった。ダーモットにとって頼れるのは、嫁に行った二歳上の姉ドーラだけだった。


「え……!? うちはドーラ伯母様から援助していただいていたの? なのに何故こんなにお金がないのですか?」


 聞き捨てならないダーモットの言葉に、思わず問いただすと、ダーモットの後ろに控えていた執事のカルバンがやんわりと嗜める。


「お嬢様、淑女はそのようなことに関心を持たないものです」


 マグダリーナはカルバンを見た。痩せたカルバンの頭髪は、また少し薄くなっている。このままだと丸坊主になっちゃうかも知れない。


 それに父も弟もマグダリーナ自身も、今にも衰弱死しそうな様相だった。なり振り構っている余裕などないのではないか。


「いいえ、命と生活がかかっているのに、無関心ではいられません」


 キッパリと言い返すと、全員驚いたようにマグダリーナを見た。

 普段のマグダリーナなら、カルバンの注意で黙りこんでいたからだ。


 さっそくやらかしたと思わなくもないが、ここは開き直ってしまおう。


「伯母様からの援助金は、いまどうなっているの?」


 父を見上げると、彼は視線でカルバンに説明を求めた。

 カルバンは頷いて。


「国へ納める税金に使用させていただきました」

(あ――――――っ)


「それでは、領地からの税収は……」


 カルバンは深々と頭を下げる。


「力不足で申し訳ございません」

(う――――――っ)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る