第87話.アレスティアからの警告
「なあ、ちょっと」
戸口に現れたウィルが、気を引くように、壁をこつこつ叩く。後ろからの明かりを背負い、逆光で彼の顔は陰影が深い。
「未成年はもう寝る時間。ティアナ、ベッドに入りな」
ウィルはずかずかやってきて、カーシュとの間に入り込みティアナを支えて立たせる。月の位置からは、まだ七時くらいだけど。
「まだ俺は――」
「カーシュ、もうお前との時間は終わり。話はあとで」
ウィルがちゃんとカーシュとの仲を調整してくれている。それに甘えてティアナは「ありがとう」と言った。
「何か食べろよ。シチューとか?」
ティアナは首を振る。ずっと食べていないけど、食欲がない。胃に入れたくない。
「消耗してるし、俺達のとこだと訓練の後は吐いてでも食べろっていうけど」
そりゃ軍隊ではそうでしょうとも。
「ジュースをもう一杯貰うわ」
ウィルが頷くのをしり目に、ティアナは銅製の鍋とスプーンのモチーフが下げられたドア下の明るい食堂の入口に立つ。
「色々ありがとう。助けてくれて、服もリボンも」
***
ティアナを見送った後、ウィルはそのままカーシュに目を向ける。闇の中に佇むカーシュの目は暗い。
昔も、ほぼ感情は顔には出さず、何を考えているのかわからなかった。いや淡々としていて、すべてが任務のために生きているような男だった。
だが今はティアナのことを考えて、彼女の言葉にどうしたらいいのかわからない、そんな困惑も垣間見える気がした。
(まさか、な)
師団では百戦錬磨の鬼教官だった。そんな奴が立ち尽くして、十代の女の子の守り方がわからなくて嫌われないかと途方にくれている、面白いとからかうよりも自分も困る。
奴は宿に入って来ようとしない。おそらく外で夜を明かすつもりだろう。ウィルにしてみれば、勝手にすれば、というところだけど。
「なあ。ティアナのこと、本当か?」
それだけで、カーシュは悟ったのだろう。彼女は死ぬのか、という言葉にカーシュは険しい目を向けるだけだった。
「お前に――」
恐らくまた、関係ない、話す必要はない、そんな言葉を続けるだろうと思っていたら、口を開く。正直驚く。
「俺は、それを防ぐためだけに生きている。団長はある程度その未来を知っているだろうが――そこまで俺は報告していない」
「伝えていないことは何だ?」
ウィルに対して黙り込むのは、団長に言えていないことは当然、俺にも言えないという事だろう。ま、当然か。
自分が本隊から
ただ、団長ではなく仲間から連れ帰るように託されてきたから、団長の本意がわからないというのもある。
「団長が知っていることはなんだ?」
「――もとはアレスティアは滅びる未来だった。だがティアナが産まれ、かの国は蘇れることを知った。多世界のアレスティアは彼女を取り込み、”蘇る”方向に変わっている」
「なんだ、それ。つまり、死ぬってのはアレスティアに取り込まれるという意味か?」
そうなら少しわかる。あのジャスとかいう奴が『お帰り』だのなんだの自分のモノのように言っていたから。
ただ、ますます団長のこともわからなくなる。
「なんでいつからそうなるって、団長は知ったんだ」
本気でわからない。宿屋の灯りが落とされ、暗くなる。闇夜の中で向かい合う男二人という構図は全然楽しくない。でも、夜目が自分たちは利く。暗闇の方が気配に敏感になるしこの方が話しやすい。
ティアナの睡眠の邪魔をしたくないからここで話すのが丁度いい。
上を見上げなくても微かな明かりを頭上で感じる。ティアナの部屋では燭台に火が灯されているのだろう。早く眠ればいいのに、と思う。
「ティアナが生まれて警告をもらっていたらしい」
「は? 誰から」
娘であるティアナを誘拐する、という警告は飽きるほどもらっているだろう。それは師団の団長なら誰でも同じ。
けれど団長は守れると信じたからこそ、リディアと結婚して子供を作った。
自分の急かす目というより、言うかどうか迷い結局カーシュは口を開いた。それも珍しい。行動に迷う奴ではないのに。
「……アレスティアからだ」
――よくわからない。別世界から娘が攫われるから気をつけろ、とか。教えてもらうとか、そんなのありなのか。
「一般的な誘拐予告じゃねーのかよ。ってそうだろうな……」
それにしても、アレスティアに取り込まれる、攫うぞということはこの国の住民にするぞ、ということ。
「もしかして、あの皇子様か」
「――ジャディス皇子だ」
「アイツ!」
驚き大声を上げかけて、ウィルは口を押さえた。あのいけ好かない炎の王。なんツー出たがり。というか、そんな昔に既に団長はアレスティアと接触していたのか。
「じゃあ、団長はジャディスにティアナが攫われるのは知ってたということか」
「具体的な内容は俺も聞かされていない。が、そこまで大それた犯罪めいた予告ではなかったと思っている」
「でも、あの人は全てのことに万全の備えをするだろ」
少しでも障害になることは、事前に芽を摘んでおく。だからこそグレイスランドも魔法師師団も健在。闘いより情報を得て、それを防ぐことがこの組織の目的だ。
「いや、その犯罪めいた予告があったからアレスティアを堕とせって言ったのか?」
過去に存在した伝説の天空の魔法都市。そこから娘を攫うと予告が来た。それをおめおめと待つ人じゃない。だったら逆に滅ぼしてやる。それぐらい思う
「けど過去の都市だ。接触できるわけがない。防いでいたが、実際に攫われた。――ようやくここまで来ました、というわけか……」
ウィルは嘆息とともに、頭を掻いた。
確かにボスの能力は尋常じゃない。
魔法師の域を超えているのは確かだ。魔法なのかわからない謎の技を、指ひとつでするのを見たことがある。
また魔族を配下に従えている。直接的には見たことがないが、たまにそれに用を足させているらしい。
魔法師なのに魔法じゃないものを使う存在。
だからなんでもありかと思ってしまっていた。いや、前はそこまでじゃなかった。
なんつーか、偉そうだけど人間、だった。
――妻であるリディアがいなくなってから、人間離れした能力のほうを磨くようになっていった。精神が壊れて世界を崩壊させるのじゃないか、そんな風に感じたこともある。
虚無を抱えて、この世界を壊してしまうのではないかと。
だが、団長は持ち直した。どうして、それができたのかはわからない。
――そしてティアナが生きている、それがわかった。リディアたちが失踪してから半年後のことだった。
団長は一度抜けていた師団に戻ってきたが、その時は会ってない。自分はディックという団長の片腕の直属のチームの命を受け飛んだ。
「異世界というのは多世界――多次元にある一つの世界のこと。砂漠の一粒一粒の砂のようなものだ。風に流れていき、他の一粒の世界とは一瞬ふれあっても次の瞬間には、もう触れあえない」
「ああ」
カーシュの説明は履修済みだからわかっている。
自分たちはほんのわずかなティアの気配を捉えても、次の瞬間には消えてしまっていた。もしかしたら、もう遠くにいってしまったのかと何度も思ったが、生きている。
それだけを頼りに絶対にあきらめなかった。
砂漠の中の砂を掬って、その中のティアを探し続けた。その気配をちゃんと捉えられたのは、確かな魔力を感じたからだ。
魔力がなかったティアナだが、リディアと似た魔力の波動があって、そこでようやく捉まえてゴムのような縄をかけた。けれど東京に行ってしまったから、また追いつくのが難しかったのだ。
「今回、五歳のはずのティアナが十八歳になっていたのは、その砂が遠くに流れてしまっていたからだろう。そして、俺はいくつかを砂の粒を飛んでいる、その中の一粒の未来から戻ってきた、そう言えばわかるか?」
「アンタが、バケモンだってことは。だから歳を取らないんだな」
皮肉交じりに言ったって堪えやしない。事実、カーシュは表情一つ変えず、頷きさえもしない。ウィルがこの会話を理解して当然と思っているだけ。ついてこれないならいいと。
「あれ? でもティアの魔力を捉えることができたのはアレスティアの墜落の時だろ」
あの子は
「アンタはその時には既に潜伏してただろ? 何でその時にティアを連れ帰ってこなかったんだ」
「邪魔が入った」
「あの聖女ってティアが言ってた奴?」
顔をしかめる。どうにもティアを苦しめている感が好きになれない。それにここの宗教はうさん臭さを感じる。
けれどカーシュは首を振る。へえと思う、ウィルの質問に動作で答えるのは珍しい。昔は、面倒がっているのかと思ったが、だいぶ前に気づいた。
顔を動かせば視線がブレる。手足を動かせば、その分、何かの時に対応が遅れる。そんなことを思って、雑談では最低限の動きしかしない。
その徹底ぶりが正直、気持ち悪いというか――恐ろしい。けどリディアや団長に対しては違う、というのが、これまた恐ろしい。
単に対象者をえり好みしてるんじゃないのか、と思うけど。
「そうじゃない。アレスティアの司を狙って来た――フェッダ国、ザイファンという奴が予想以上に強かった」
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