第77話.ユーナとユナ
午後からのお決まりの祝福の儀だった。
彼は、聖塔を訪れる巡礼者の列に混じっていた。そして祭壇に立つユーナの目前に立った。
二人は、互いに何も反応をみせず見知らぬ他人のようだった。
彼は何の言葉も発せず、ユーナは聖女として「イリヤ神のご加護を」、と他の旅人と同じように黒髪の青年に投げかけた。
リュクスは、その黒髪を見て彼も異世界の人間なのだ、と思っただけだった。
互いに異世界から来た人間で、ユーナは懐かしく思わないのだろうか、と少し不思議に思った。
その晩、ユーナの部屋を訪ねたリュクスは、扉の外から二人の諍いの声を聞いた。
『あなたはどうして! どうして追いかけてきたの?』
ユーナの声は大きく、相手の声はよく聞こえなかった。知らない言語、恐らくユーナの国の日本語だろうと思わず風を起こしシルフィに翻訳してもらう。立ち聞きだったけれど、会話が聞こえるようにしてしまったのは、ユーナが心配だったからだ。
『俺は……お前たちを追いかけて、来た』
それは、明らかに知己の間柄、という会話。ユーナがこの世界の人間とかわす会話とは違う。二人共の声は苦悩を分かち合っているようだった。
『お前、たち……ってっ、まさか』
ユーナの声が驚愕に満ちる。恐怖の叫びが喉から漏れていた。
(お前たち?)
いったい二人は、誰のことを話しているのだろう。
『ユナが来るの!? どうしてっ どうしてよ』
(……ユナ?)
ユーナへの籠に入れたお菓子を抱えたまま、リュクスは壁に背を預けた。立ち聞きは良くない。ユーナへの害がないと思えば離れるつもりだったけど、足は動かなかった。
『――アイツはお前の後を追った。そして俺も。けれど、俺がここに来たのはずいぶん昔だ。しかもその時は、お前はまだ来ていなかった。聖女が召喚されたと聞いて、俺はここに来た』
(代名詞が多すぎる、いったい誰と何の話?)
『アイツは、お前の後を追った』
椅子がきしむ音を立てる。ユーナが座ったのだとわかる。声にならない呻きと叫びを彼にわめきたてている。
そして、悟ったかのような声。その響きは絶望。
『……あの子がこれから、呼ぶのね』
“これから呼ぶ?”
それは、召喚する、という意味?
けれど召喚は終わったはず。でもユーナは何かを悟り、呆然としているようだった。
そして気づいたのは“あの子”に込められた怒り。
それにリュクスは戦慄した、ユーナのいう“あの子”は自分だと瞬間的に悟る。
リュクスは籠を持ったまま身を翻した。そしてもう駄目だとわかった。
ユーナは、憎んでいる、召喚した自分を。あの子、にはその響きがあった。
それを知り、ユーナとは話せなくなった。ユーナの自分への態度が変わったと感じたのもこのころ。明らかに話されなくなり、距離を置かれていた。
彼女がレダたちと仲良くなり距離を縮めても、それに何もいえなかったのはそのせい。リュクスを恨んでいるからだ、と。
先ほど、能力で離れさせる前にカーシュに尋ねた「ユーナはユナではない」という意味。
日本に行く前にはわからなかったピースが今埋め込まれた。
(ユナ、という少女がいる)
扉越しに聞いた会話は――聞き間違いだと思った。ユーナが自分のことをユナと指しているのだと。
でも違う。
日本に行ってわかった。ユーナと伸ばして呼ばれることは珍しい。あったとしてもユウナ。けれど、本当の名前はおそらくユナ、だ。
それは由奈、優菜、祐奈、色々な漢字があてはまる。
そして、ユーナがあの会話の中の話していたのはとしていたのは“ユナ”。ユーナが庇った相手。
『妹がいるの。世界を救ったって自慢するわ』
妹のことを話すときは、朗らかで懐かし気に語っていた。
『私は、あなたと重ねていたのよ』
誰と、何を?
それはたぶん妹と。妹のユナとリュクスを重ねていたのだろう。その重ねたものが何かはわからない。
重ねていたから親近感を持った? それとも比較してリュクスを妬んだ?
ただわかるのは、その妹を救うためにユーナは、
召喚の時、何かに割り込まれた感じがした。無理やり人が押しやられ別の人物が入ってきた感じ。
割り込んできたのは、リュクスの知る聖女ユーナだった。
今ならばわかる。
『俺はお前たちを追ってきた』
カーシュがユーナに教えた。これからユナが来るのだと。
『これから呼ぶのね』
カーシュの言葉とユーナの言葉から推測した。東京では、ユーナが最初に飛んだ。その次にユナが、そして最後にカーシュが。
けれどどこかで時間がねじ曲がったのだろう。最後に飛んだカーシュが最初に
『リュクス、あなたのせいで――』
ユーナの言葉。続きを飲み込んだユーナは、それを言わなくてもリュクスを責めていた。
ユーナは防ぎたかった。ユナが聖女になるのを。だから代わりにこの世界に来た。なのに、妨げない未来を知った。
リュクスが次の召喚の儀で呼ぶのは“ユナ”だ。
それを知り、リュクスを憎んだ。
アレスティアを墜としても、リュクスはユナを召喚する。
(だから、私と契約をしたのね)
『――リュクス、だったら』
主従契約を結んでからの、最初で最後の残酷な命令。
『リュクス、死んで頂戴』
リュクスを
ユーナにはそれしかなかった。リュクスが死ぬことでしか、召喚を防げない。
すべてが、わかった。
(ユーナ、皮肉ね)
ユーナは、魔力がないからリュクスの能力は一切通用しなかった。だからこそ、本気で向き合えた。本当の友達として、好きになってくれた。
けれど、あの結末だ。
彼女はリュクスに主従関係を求めた。結局は、友人を求めることはできないと思い知った。
(ユーナ。それでも、私はあなたの、従者でもいいと思ったの)
友人でなくても、あなたがそう望むなら。
でも、あなたが、本当の名前を言わなかったから。私が本当の名前を知らなかったから。
契約は不完全だった。主従関係は成されなかった。
あの残酷な命令にリュクスが従わなかったのはそのせいだ。
――私たちは互いに、本当の自分たちじゃなかった。
自分たちの“本当”を話したことは、きっと一度もなかった。
(これでいい)
リュクスはトレスに向かい、ユナを召喚する。
ユーナは必ず、そこに来る。
(あなたが、私に会いたくなくても)
厭われていても。憎まれていても。
胸に走る痛み。それを堪えて思いを確かにする。
――そこで、また待ってる。
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