第61話.過去の出会い
「思い出に浸るな、死ぬぞ」
――身体が動かない。
誰かがいる。先ほどから見下ろしていた男だ。
岩肌の冷たさと鋭く頬を刺す石片の感覚が戻ってきた。
男は冷酷な響きを持つ声を放っていたが、観衆のような愚かな狂気はなかった。
そこには男の気配だけで、頬を下にしたうつろな視界に入るのは人の手。
傷だらけのその手は自分のもの、らしい。化け物の巨大な手ではなかった。
自分が気絶している間に、どこかに打ち捨てられたのかと思った。
(あの、少女は……)
飛び起きようとして、やはり全く身体が動かないことに驚愕した。
「おれ、は……」
かすれた声に驚いたが、獣の声ではなかった。あの獣になったのは夢だったのか。
「じきに死ぬ。今この瞬間に死にたければ言え、楽にしてやる」
冷淡というよりも、面倒だ、という声音。普通は助けようとするのに、全くその意志が感じられない。黒いブーツだけがわずかに視界にはいる。
普通はあり得ない。
だが、ここの人間はみなそうだ。むしろ、まともに奴隷の自分と会話をしているだけまだましだ。
「まだ……しね、ない」
あの少女はどうなった。
何よりも美しい碧蒼の瞳。
それから彼女の懐から飛んでいった翠の石。
(あれはどうなった)
掴んだ途端に、手に平に灼熱が落とされて離した。どこにも感触がない。
「……ないか?」
「何?」
「ネックレス、しら、ないか?」
知らない、と男は言い、面倒だな、と続けた。これ以上、関わる気はないと。
だが、ブーツの先はまだ自分を向いたままだった。
「お前は、何かの呪いを受けている。助かる可能性は少ない、俺はそんな面倒事を抱えるつもりはない」
「……たす、けて……くれ」
この世界が残酷なのはもう充分思い知っている。日本とは違う。プライドなんてどうでもいい。すがりつくしかない、気を引くしかない。行かれないようにする。
あの少女はどうなった。瞳に涙をためた目、真珠のように雫が落ちていた。観客席の彼女ではない、あそこでは泣いていない。なのになぜ泣いている姿を思い浮かべるのか。
――あれを見たのは、いつだったのか。
「たすけなきゃ……いけない、んだ」
「皆、そう言う。誰もがそうだ。自分が特別とは思うな」
「ころして……やりたいやつも」
「果たせそうもないな」
背が向けられる。見捨てられる。ならばなぜ、話につきあった。少しは興味があったからじゃないのか。
「したがう」
「なに?」
「あんたの、ちからになる……俺は、多少は」
即座にもどってくる男が、手のひらで頭を鷲掴みにした。髪を掴み、凄みのある目でのぞき込んでくる。満身創痍の身が乱雑に扱われ、激痛が走る。
冷めた目、むしろ怒りをかったようだ。ふざけるな、と。
だが、戻ってきた、それだけが最後の
「多少だと? ゴミ以下は死ね。俺は強いやつしか認めない。今ここですでに死にかけている奴などいらない」
胸が熱くなった。こんな熱をまだ持っていたのかと。
ずっとこの世界では翻弄されてきた、人間扱いをされたことなどない。それでも生き延びてきた。
目の前の少女の瞳がいつまでも消えない。
必ず助け出すと誓った。声に力が宿る。
「お前の役に立つ、必ず。だから……」
奴の黒いジャケットに左手で掴む、切り取られても離さないと誓う。
「――だから、助けろ」
奴は迷惑そうに手をかけて、そしてわずかに眉をしかめた。それは厭うものではなく、困惑が混じっていた。
「何だ、これは」
そして不意に首を掴んでいた手にさらに力を込める。
自分を凝視して、頭から体まで睨みつけてくる。困惑、そしてまるで怯えのような恐れが目に見えた気がした。
「俺の術式、か? いや……だが、こんなものを俺は作ってない」
奴が、息をのんで自分の手掌を見つめている。
「まだ、俺は、こんなものを作れない、これから作るのか」
謎の言葉を発して、奴が視線を向けてくる。
「どこでこの魔法に触れた?」
「ばけものの……」
「そっちじゃない。お前にかけられている呪いは別だ。何に触れた!? 先ほど言っていたものか!」
激高する奴に、頷く。同時に睨みつける。
「ないか、と俺は訊いた。そうだ、ネックレス、だ」
先ほど死ねといった奴が、いきなり自分に問いかけてくる、ならばこちらも取引だと。
「聞きたいなら、俺を助けろ。そちらのことを言え」
小さな舌打ちが返ってくる。
「これは
よくわからない、魔法のことなどしらない。
ただ問われることを素直に答えていたら、取引にならない。
「――お前はどこから来た? なんの力がある?」
どうやら興味を持たれた。少しは助かる見込みがあるかもしれないと。
「アレスティア……」
奴の闇のように黒い瞳が驚きで見開かれる。
うつぶせの自分を靴で上向きにさせて、顔をしかめる。その視線の先は、自分の胸に穿たれた刻印だ。
「GAS1995S11189 グロリアスアレスティア暦1995年、シルヴィアの奴隷か」
呟く顔には忌まわしさが浮かんでいる。
「――アレスティアから来たのか」
アレスティア”から”、わずかな違和感、けどそれはなんだ。
見下ろす目の感情は冷淡そのもの。黒曜石のような瞳は、日本人と違う。黒目黒髪でも彼はアジア人じゃない。
そこでようやく意識が戻る。力なく閉じるだけの目を見開いた。
――あの
黒目黒髪の国はなく、その色彩を持つ人間は地球のアジア系の人間のみ。なのに、アジア系じゃない人間がここにいるということは。
そしてやつの、アレスティア“から”という言葉。
「ここはアレスティア……じゃないのか」
「アレスティアはとうの昔に消えた。今はAA暦1088年。ここはグレイスランド」
淡々と説明をしながら、彼は自分の腕を掴んだ。
「お前に俺の魔法の残滓がある。――これから俺が作るものだ」
迷ったように一度口を閉ざしたあと、男は告げて固く口を引き結んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます