第54話.逆子(*)
部屋を出てそれを告げると、案の定モリガン医師は大反対した。
「小娘が、遊びじゃないんだ」
「私は、アレスティアで医術を学びました」
その名を出すと、ぴたりと彼は口を閉ざした。アレスティアは学問の最高峰。その中でも医術は最先端をいっている。不動大陸の四国の文明はずいぶん遅れているけれど、アレスティアの医術は、日本と同じくらい進んでいる。
ただし、根本的なものが違う。アレスティアでは魔石を動力源とした機器類。日本を含めた世界では、原子力・石油資源を基にした電気。
ただ、あちらの世界の機械は誰にでも扱えたけれど、このアレスティアでは魔力がないと機器類が扱えない。さらにアレスティアの浮遊大陸に行けるのは選ばれた者だけ。
つまりあそこで医術を学ぶことは、どの医師にとっても憧れだ。
だから、ルーベルトには説得力のある言葉だったようだ。
「彼女の腕は確かだと思いましたよ」
静かにウェイバー婦人が言葉を添える。なぜか、彼女はリュクスを信じてくれている。
「――希望はあるのか?」
黙り込んだ後、ルーベルトは静かに尋ねた。
「お産に命の保証はありません」
常に死と隣り合わせだ。どんなお産でも、それは当たり前。胎児も母体の命も保証することはできない。
「でも、赤ちゃんは今、生きています」
リュクスが言うと、ルーベルトは厳めしい顔のまま頷いた。その拳が握り締められている。
「――任せよう」
荷物から出した黒ゴムで、根元をたるませて三つ編みで軽く髪を結ぶ。お産の時は邪魔だし、気合をいれるためしっかり根元で結びたいけど、首元を晒すのは嫌。
東京の時は、魔力がない人達だったから、うなじを晒すことも気にせずに済んだけど。
長い髪がうっとおしい。魔力は髪にやどるとも言われ、長くする魔法士も多いけど、本当は関係ない。
自分がそうしていたのは、四人の皇子、そして主の好みだったから。
(そのうち、切ろうかな)
そう思いながら部屋へ足を向ける。
準備を整えエレインの元に戻ると、陣痛が終わった彼女が弱く微笑む。
「赤ちゃんは?」
尋ねる彼女に、リュクスも微笑む。
「元気よ」
再度、お腹に筒を当てて胎児心音を確認する。いちいち時計で一分間を数えなくても、音を聞くだけで速さがわかる。おかしい、と反応する。それぐらい胎児の心臓の音は耳が聞き慣れている。
「旦那様は何か言っていた?」
「いいえ。あの人、何も言わないから」
リュクスは尋ねてみたが、エレインに彼は何も言わなかったらしい。その心情を測ることはできないし、今は必要ない。
「お産は女の仕事ですからね。私も手伝いますよ」
ウェイバー夫人は頼もしく控えている。彼女の子も、ニルヴァーナが取り上げたと聞いた。その息子は、今は別の街のパン屋で修業をしているという。
「私は、病院なんて信用してませんから」
夫人の言葉になんとなく苦笑する。誰でも、自分の産んだ方法を一番と思うところがある。それだけニルヴァーナは信用されてたんだ、と思った。
――二人の期待に、緊張を感じなかった。ただ自分のできることをするだけ、そんな静かな心持ちがある。
大きな魔法を使う時と同じ。
ただ決める、それを行う。それしかない。
お産に効く魔法はない。赤ちゃんは自分で産まれてくるもので、産むのは母親。
モリガン医師は、エレインを二つ先の街の病院まで馬車で運ぶべきだと言った。
馬車で揺られると刺激で陣痛が強くなる。とても街までもたない。
馬車の中で産まれたらどうするのだろう、と思うのだけど。
(だからこそ、あきらめろ、という言葉なのね)
今は元気で、産まれようとしている赤ちゃんがいる。だから最善を尽くす、ニルヴァーナの方法で。
エレインの陣痛は、まだ六分毎。お産を経験した産婦――経産婦にしては、陣痛が弱い。
だから、まだ余裕がある。
「エレイン、少しいいかしら」
横たわるエレインに起き上がってもらう。
いぶかしがる彼女をそのままに、足元の寝具を丸めて大きな山をつくる。
「この上に寝て頂戴」
「ここに?」
「骨盤を高く上げて、下がった赤ちゃんに上に戻ってもらうの」
不安そうなエレインに手を貸して、高くしたクッションの山にお尻を載せて、低くしたほうに頭を置いて寝てもらう。
見るからに苦しい姿勢。でも膝を曲げてお尻と踵とを載せてもらえば、できないわけじゃない。
一度下りてきた胎児を上の方に戻ってもらう方法だ。
――逆子でもいろいろな姿勢がある。
双丘を揃えたお尻が一番先に出てくればいいけれど、両足を揃えて先に出てくる場合もある。または片足だけ先に出てくる場合もある。
片足だけ先に出てしまうと、そのあとがつかえてしまう。
だから赤ちゃんのお尻だけが先進することを願う。エレインの場合は、胎児の足先が先進している。
だからこれは赤ん坊が姿勢を変えてくれるのを期待する処置。
でもこの姿勢はお腹が大きくて、陣痛もある時は、かなり苦しい。そして絶対に効果があるわけではない。
「どう?」
「少し……苦しいわ。どのくらい?」
「できるなら、一時間くらい」
その長さに驚くエレインに申し訳ないけど苦笑した。けれど陣痛が来て、彼女は静かに呼吸を始めた。それを見て思う。
(陣痛がまだ弱い……)
だからこの姿勢でも耐えられる。
そして、この時期にしなくちゃいけないことがある。それは自分の準備。休息ともいう。
「ウェイバー婦人、そばにいてくれる? エレイン、苦しければこの姿勢をやめてもいいから」
彼女に頼んで、リュクスは部屋を出る。これから長丁場だ。
婦人にエレインを任せて、リュクスは部屋を出た。
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