第35話.想いの行き着くところ
ウィルはそうか、って言った。
簡単に引き下がって驚いたけれど、これ以上は慣れ合いたくない。
もう遅いのだ。十五年も経って迎えに来られても、自分はアレスティアの人間。
……しかもあちらは、五歳の子どもを期待している。十八歳の娘が帰ってきても、戸惑うだろうし、居場所はない、と思う。
(せめて……アレスティアが墜ちる前、だったら)
そう思ってリュクスは思考を止める。しばらくぼんやりとする。
――もしも、は人生にない。あれがなければ、素直に帰れたかもしれない、アレスティアへの贖罪を考えないですんだかも、なんていうのはない。
結局、自分は逃げたいだけ。
ウィルにニルヴァーナの寝台を示して、リュクスは自分の部屋へと身体を向ける。今晩一晩だけ泊めるから、明日からは街を探して宿屋を取って、と告げた。
「わかった」とウィルは素直に頷いた。
彼はティアナとは呼ばない。リュクス、とも。“アンタか”君“、だった。お互いに距離がある、まだ図りかねている。
ただティアナと呼んで押し通さない。
(強引に見えて、押し付けてこない)
君はこうなんだ、だからこうすべきだと。それが意外で、するりと懐に入ってきてしまう。
父親の名前も、組織の名前も言わない。聞けば教えてくれると思うけれど、聞こうとしないリュクスの気持ちもわかっていてくれる。
ニルヴァーナの部屋への間仕切りの布をあげるウィルの背中に問いかける。
「二年前に行方不明になった『君達』って、私と誰?」
彼からは私の家族の情報は少ない。聞かないからあえて言わないのだろうって思うけれど。その言葉が頭を掠めて、どうしても聞きたくなった。
自分はいい、けれどまだ不明の人がいるならば。
「……君と、君の母親」
ウィルは背を向けたまま、そっと呟いた。ああ、と思った。
だから、彼は必死で探していたんだと。ボスの命令だけじゃなくて、その人に、会いたいのだと。その背中がそう言っていた。
「ティア、って言われたくないだろうけど。ティア、君の母親のリディアは妊娠してた」
一瞬意味がわからなかった。そのあとに浸透してくる。
「君の弟か妹がリディアのお腹の中にいたんだ。そしてまだリディアは行方不明なんだよ」
ウィルはクシャッと寂しげに笑った。
「アンタ、これ聞いたら気にするだろ。妊婦にやさしーもんな。だから、黙ってた。言っちゃってずるいけど――ごめんな」
リュクスが部屋に入ったのを確認して、ウィルは居間にもどって彼女の部屋のドアに触れる。確かに中に人の気配が存在している。侵入者封じの魔法をかけようとして、やめた。
こういう防衛系の魔法は苦手だ、それをするよりこっちのほうが確実。
椅子をもってきて、ドアの背に押し当てて座り、中の気配を探る。魔法の探査よりも、人や魔の気配を察知する方がよほどやりやすい。
それにしても、と思う。
(子供の頃のティアは、魔力が皆無だった……)
それについては、ボスも妻であるリディアも気にしていなかった。受け入れて、「それでいい」と二人して優しい目でティアを見ていた。
時が来て「本人がそれにコンプレックスを持たないように話さなきゃな」と互いに決めていたみたいだった。
けれど今のティアはかなりの魔力がある。抑えているようだけど、感情が強くなると圧倒されるくらいだ。
――通常魔力を持つものは、魔力波というのを発する。
自分たちは彼女の魔力を知らなかったから、探索に時間がかかった。
でもなぜこの世界で彼女は魔力を取得できたのか、それがわからない。
ウィルは腕を組んで、少し考えてうなだれた。
(……ま、考えても仕方ないか)
連れ帰れば、専用部門がある程度の理由をつけるだろうし。
「あとは、あれだな。襲ってきた奴」
確かに、魔力を持っている人間を魔獣は襲ってくる。でもあれは魔獣じゃなかった。
(でも昔から、実体のない得体のしれないものには、よく狙われてたな)
その辺はボスがかなり強力な守護の魔法をかけていたから、心配はしてなかったけど。
日本から来た直後に狙われたってことが気になる。こんなに早くそんな低級なものに察知されるのか?
何か大物に狙われてるんじゃないのか? あのジャスって奴がすぐにコンタクトしてきたのも気になるし。
(なーんか。あいつムカつくんだよな)
大人になって、だいぶ丸くなったつもりだけど、お互いに天敵のような気がした。
(色々、聞きたいことはあるけどな)
ティアは毛を逆立てて警戒している猫みたいだ。キツイ言葉を発した後、様子を見るように時々寄ってくるのも、ついからかってしまいそうになる。
ただ、あまりかまうと反発が強くなるから、少しずつにしとかないと。
――再度、通信機を起動させてみるが、やっぱり反応がない。
ボスは今動けない。
ただ報告を途絶えさせると、それに次ぐめんどい奴らが出てくることになる。それも面白くない。もう一度ティアとの会話を確かめる。
「パパ活かあ」
暫く黙って、微妙な顔をして、椅子の背もたれに大きく寄りかかる。
ボスが聞いたらどんな顔をするか。あの鉄面皮が唖然として焦るのを想像して、笑いがこみ上げる。
俺様至上主義で大陸一つを指で消滅させるボスが、溺愛していた娘のその発言を聞いたら、どんな顔をするのか楽しみだ。
そう言いながらも、少し寂しくなる。
パパ、と呼ばれるのはあの人の特権だったはず。
(俺も、そろそろ腰を落ち着かせるはず、だったんだけどな)
忘れられなかった人がいる。
でも、それは大事な思いとして蓋をして身を固めるつもりだった。それが崩れたのは、二年前の消息事件だ。あれで奔走していたら、ふられていた。
走る胸の痛みをこらえて、ウィルは拳を握る。
それから止めていた息を吐いて、一度目を閉じてその感傷を消し去り今の問題へと目を向ける。
彼女のパパ発言を吟味する。
結果は――。
「嘘だな」
性を売りものにできる性格でも、男を手玉にできそうな性格じゃない。そういうカンはあたる。けど、それを指摘したら怒るだろう。
「――あんまからかうと、嫌われそうだよな」
十代っていうのは難しい。
(十代、かよ)
若い。でも本当は五歳の子を見つけてくるはずだった。
椅子の前足をあげて、かたんと寄りかかる。
背中を押し付けて天井を見上げて「ごめん」と呟く。本当は、もっと早く見つけてやるはずだった。十五年も一人ぼっちで。
子供が大好きなリディアも、女の子を妊娠したとわかった時から嬉しがって、ティアをすごく大事にしていたのに。
その二人が引き離されて、一緒にいさせてあげなくて。
(一人は、寂しい、よな)
鼻を鳴らす。
だめだ、あれ以来まだ心が揺れる。
感情が乱れると冷静な判断ができなくなる。自分を戒めて、かたんと椅子を戻す。
ウィルは腕に巻いた端末を操作して、アレスティアの資料を提示させる。かろうじて自分たちに知らされているのは、伝承的な信ぴょう性のないものばかり。
(まずは、図書館かなんかで、神話を読んでみなきゃな……)
歴史と神話には、その国の背景と価値観が隠されていて、それを無視することはできない。
「聖女ってのも、それと関係がありそうだよな」
聖女召喚、という儀式は自分たちの資料にはなかった。
ただ伝説の都市、アレスティアが墜落したことに聖女が関係あったことと、その張本人が東京から召喚されてことに驚く。
……というか、不気味だ。
他の世界から呼んで、聖女扱いする。
ある程度長く生きると、裏を読む癖がついてくる。日本に住んでみたけど、彼らに特別な力はない。呼び出される理由がわからない。
「ふつー。聖女とかって、何か徳のあることをしたとか、死後にあたえられる称号みたいなもんじゃねえの?」
巡礼したとか、奇跡を起こして殉死したとか、そんなことをしないと与えられないはずだ。それを最初から与えて聖女だってちやほやするには、訳がある。
一番考えられるのは――生贄だ。
だとしたら、逃げ出したというのも納得できる。
「あとは、ティアの能力と」
日本で見せた謎の能力はなんなのか。他者に命じて言うことをきかせていたが、あれ以降は何もしていない。自分に何もしないのはどうしてか。
「精神操作ができる能力は、魔法じゃなかったよな」
稀に使える者がいると聞いたことがあるが、魔法ではなく本人が持つ特殊能力だ。
色々考えながら、端末を操作してこの大陸の地図を表示させる。周辺を探知し大体の地形を推測してくれる。
アレスティアは落ちたと言っていた、とすればこの世界に来た時に海に沈んで見えた王宮がそうか。だからアレスティアではなく、あのジャスと呼ばれるアレスティアの奴が呼んだのはトレスの王宮、グレイノア城。
「相当親しそうだったけど、どのくらいティアがこれらの王宮に深く関わってるのか」
これまでの人好きのする顔を一転させて、鋭い瞳でモニターを見る。
(かなり深い、つーよりも)
アレスティアに既にとりつかれている。いばらのように彼女に巻き付いているイメージが消えない。
彼女に宣言されても離れる気はなかったけれど、かなりヤバい気もする。警戒心が強すぎて、傍によさせてもらえない。そうなると陰ながら護衛することになるが、そうなると隙も生じる。
少しずつ懐柔するしかないか……。
(……やっぱ、アンタに似てるよ)
心の中で語りかける。いつまでも消えない面影、緑の瞳の……。
感傷的になって胸が痛む。
好きだとか、もどかしいとか、手に入らない苦しさとか、そういうのは全部過ぎた。
いまはもう、ただ無事な姿が見たいだけ。
生きている、ティアがこうやって無事でいたんだから。そうなんども自分に言い聞かせている。
淡い胸の痛みと、いなくなった焦りとか、自分の後悔とか全部ごちゃまぜになったものが、ティアを見つけて彼女を守りたい方向に向いている。
彼女を見ていると、懐かしさと、愛しさ、昔の感情を思いだす。
あの時は、まだいろんなことを知らなくて甘えてばかりで。
漏れ出た言葉は、不思議と穏やかで優しかった。
「優しいところとか、甘いところとか、アンタにそっくりだよ」
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