第28話.ビックボス

 この風景は懐かしい。一時期は毎晩見ていた。


 月がこの時間にあの位置にあるという事は、夜の八時くらい。日本にいると時計で時間を確認していたけれど、昔は月や星の位置で時間を読んでいた。


 彼が立ってこちらに来ようとするのを手で制して、扉を開けたままリュクスはドア脇の草を摘んだ。


 目を閉じて深呼吸をする。


 東京のとは全く違う空気。空には降ってきそうなくらいの星が広がり、静謐で汚されていない木々と草と土の匂いがする夜気だ。


 排気ガスにまみれた汚染された東京の空気と違う。


(ここは、アレスティアのある世界テールだ)


 部屋を振り返るとウィルは立ってリュクスの行動を見つめていた。


 その目つきはリュクスの行動に即座に備えようとしているもの。


 軽薄さでカモフラージュしていても、彼の気配は過去のアレスティアの騎士達よりも鋭さを宿している。


(意地を張っても、仕方がない)


 彼は、動じていない。それとも動じていないふりをしているのか。ただ常に臨機応変に動けるよう訓練はしているだろう。


「何?」


 リュクスは部屋に戻って摘んできた葉を揉んで、彼に差し出す。


虎杖いたどりの葉。言葉通り痛みを取るの。頭にあてて」

「いや、そういうのは……」


 リュクスは彼の側頭部にその葉をあてて押さえると、大きな手が重なってくる。彼の手が押さえたのを確認して逃げるように手を外す。


 手のひらの皮は厚くざらついていた、何か武器を扱っている手だ。


「本当に痛みが取れんの?」

「ほんとは粉砕してエキスを抽出するけどね。それより、こぶにはなってなかったけど、吐き気とかはある?」

「ないけど。俺、そういう民間療法的なのは……」


 ぶつぶつ言うウィルに背を向けて暖炉の前にしゃがみ込む。積み上げられた焚き木は昔のまま。リュクスがここを出た……昔のままだ。サラマンダーに命じて火をつける。


「ここは君の家?」

「正確にいうと、譲られた家。住んでいたのはずっと昔」


 アレスティアの王宮に呼ばれる前の話だ。


「住んでいたのは魔女のニルヴァーナ」

「なんだか、意味深だな。偽名だろ?」


 ニルヴァーナはいくつかの宗教における概念だ。リュクスも難しくて説明ができない。


「本名を名乗らない魔女も多いの。通り名というのかしら。彼女は黒目黒髪だったから、異世界から来た人で、どこかで名を捨てたのかも」


 ただ薬草の扱いに長けていたし、恩師のようなもの。リュクスも色々教わった。

 棚の瓶から茶色になって乾燥した花を取り出して、火の上にかけたフライパンに似た形状の鉄板で軽く燻る。


「なあ、何してんの?」

「お茶をいれるの」


 薬草の苦みのある香ばしい匂いが立ち込める。


「茶をいれるのに、なんで焼いてんの? っていうか、それなに?」


 彼が初めて引いたような警戒した声を発するのを背中でききながら少し笑ってしまう。


「炒った方が香ばしくなるの」


 横につるしてあったやかんの中を覗いて、しばらく考える。水は腐ってないみたい。


 この家の状態が全く変わっていないから、保存魔法はちゃんと働いていたっていうこと。水も大丈夫だろう。


「その水、平気? 腐ってない?」


 ウィルも同じことを考えたみたいで、今度こそ警戒して聞いてくる。色んな事じゃなくて、水のことで警戒するなんて。でも一番大事なことだ。


 日本のように水道を捻れば安全な水が出てくるなんて本当は奇跡に近いこと。


 NPOで海外の紛争地域に行っていた医師の友人が「日本人は“安全”と“安全な水”と“きれいな空気”を“ただ”だと思っている」と言っていたことを思い出す。


 国によっては最も高価で、手に入らないもの。


「保存魔法をかけてあったから。水は裏の泉で汲んでいたの。ちゃんと飲用できる水よ」

「ちなみにその葉っぱは何?」

「葛の花」

「くずって……雑草?」


 本来は赤紫色の綺麗な花だったものは、今は乾燥して黒っぽくなっている、それをやかんの中に入れる。


「葛の花は生薬になるの。炎症を鎮めるし、身体も温める。葛の根は、有名な葛根湯。風邪の時によく使われるでしょ」


 棚に並んでいるたくさんの瓶を眺めながら、ウィルは「なんかさっ」て尋ねてくる。


「もう少し可愛らしいお茶じゃだめ? あの綺麗な黄色いのとか青いのとか」


 リュクスは彼の指さす方を見た。どちらも乾燥させた花だ。ウィルはまだ警戒している。


「黄色いのはカレンデュラね。お茶にしてもいいけど、すっごい苦いわよ。青いのはブルーマロウ。きれいな青いお茶ができるけど、味は何もなし。どっちか入れる?」

「美味しくなさそうだな」

「綺麗だから瓶にいれてるの。ちなみにカレンデュラは有名なハーブよ。ベースオイルにつけて滲出したものは肌の修復作用があるし、純度の高いウオッカや焼酎につけるとチンキ剤になるの」


 やかんから焙じたような匂いが立ち込めてくる。本当はニ十分くらい煮だしたいけれど、まあいいかと二つのカップに漉しながら入れて、一つをウィルに差し出す。


「熱いから気をつけて」

「どーも」

「頭の痛みはどう?」


 アツアツのカップに口をつけて「にがっ」って呟いたウィルは、ちらりとリュクスを見た。そしてカップを置いた。そのもの言いたげな視線が気になった。


「何?」

「やっぱ気にしてんだなって。茶も俺のためだろ? 炎症とか」

「……私が飲みたかっただけ。疲れてたし」


 リュクスはカップの水面だけを見て話した。

 しんみりされるのは嫌だった。慣れ合ってしまうのも。少しの沈黙の後、彼は口を開いた。


「無理に連れ去ろうとしてごめん。あっちの世界に連れ帰ったら話すつもりだった」

「逃げられたら困る、暴れられたら困る、先に既成事実を作ってしまえって?」


 辛辣に言ったら、少しの沈黙。挑発したつもりでいたら、彼は苦笑していた。


「なに?」

「いや、見事に暴れられて失敗したけどな」

「……そうね」

「聞かれないから自分から話すけど、一応三十代だったんだけど、今の感覚としてはたぶん二十代後半くらいの身体」

「聞いていない」

「で、十代の女の子に大人げないことしたなーって反省中」


 リュクスはカップから手を放して、彼に目を向けた。


「ドアはそっち」


 怪訝そうにする彼に、指で指し示す。


「ビックボスへの報告。外でどうぞ」


 驚いた目に苦笑の色が浮かぶ。


 「しっかたないな、怒られてきますか」と椅子から立ち上がった背はやっぱり高いし、鍛えられた体躯に戸惑う。引き締まった背の肩甲骨、上腕の筋肉。上着を脱いだ黄土色のシャツは身体をぴったり覆っている。


 彼のいた組織が“何か”と気になるけれど、それは口にしない。

 扉へと向かう背に言葉をかける。


「そうだ。あなたのかけた防御膜、網目がザルだから外して。私の上に重ねられると迷惑」

「わかった?」


 リュクスは眉を顰める。


「あなた、防衛のほうは苦手でしょ。攻撃専門。下手なことをするのはやめたほうがいいわ」


 けっこうな塩対応のつもりだったけれど、彼はむしろ楽しそうに口端をあげて笑った。

 橙色の髪の彼が消えると、部屋の中の明かりも消えたようだった。誘拐犯なのに、妙に警戒心を薄くさせる。


(それに、この魔法)


 リュクスの魔法は、この家全体をヴェールで覆うようにかけてある。

 森には惑いと探索の魔法がかけてあり、来訪者や魔物が来たらわかるようになっている。


 けれど、ウィルの魔法は森全体に及んでいる。しかも獣や虫の動きは妨げない。荒いけれど生態系には影響を与えないし、魔法士に気づかれない高度なものだ。


(それに、嫌みな感じがしない)


 彼の魔法は素直だ。でも自分たちの魔法と全く違うようだから、彼の本気で展開されたものはわからない。


 ただ彼の魔法は嫌みがない。性格は悪くなさそう、と思ってしまうのは気を許しすぎだろうか。


「でも、今更……。どうしろって……いうの」


 記憶もない。彼の世界も、自分を呼んでいる人、というのも。


 そして、先ほど見た森の遥か彼方、墜落したアレスティアの城はまだそこにある。


 自分の使命は――あれを再興させること。そのために戻って来た、そう思ってしまう。


 リュクスは胸に下げたペンダントを取り出して眺める。そしてまた胸にしまう。


「それに、彼が魔法士ならば……そろそろ離れてもらわないと」


 これ以上一緒にいては危険だ。互いのためにならない。

 

 (ウィルには諦めて早々に帰ってもらわないと)

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