第26話.帰還
「は?」
だれ?
そんなドヤ顔で自己紹介されても。知らないし。
しかもボス? そんな名称に、呆然とする。夜勤明けでぼーっとしてるので、騙されてるのかも。
いや、ナンパ?
「……ナンパ?」
「え? いや、違うって。言っただろ、君の父親のボスの命令」
「ボス?……ヤクザ?」
外国人の彼に、ヤクザが通用するのか、と思ったけど、日本の“ヤクザ”は外国映画でもよく出てくる。
ウィルと名乗った彼は、首を傾げて「ん?」と言いつつ答えた。
「あー、ヤクザね。ヤクザ。ああそうそう、そんなとこ」
テキトー! なんかその辺どう思われてもいいやって感じがあけすけで、いかにも怪しい。
が、彼の行動はリュクスの想像を超えていた。
頭を撫でようとしていた手を再度伸ばし、予想外にいきなり抱き上げ肩に担ぐ。
その素早さに驚く。油断していたとはいえ、子どもみたいに軽々と抱き上げられた!
しかも周りの人は見えないかのように通り過ぎていく。
「離して、何!? 人さらいっっ!?」
『――お姫さん、捕獲終了。ターゲット・ロック』
彼は血まみれだったジャケットからさり気なく外したボタンをいつのまにかシャツの襟につけていた。それに向かい明瞭に発声する。
「やだやだ。
「いやいや、ちょっと、それは人聞きが悪いって」
彼は左手でリュクスを担ぎ、右手でリュクスの口を押さえる。
『――転移開始。Open the Gate, opεeen thεhae jathεe』
周囲に赤い輪が広がる。
彼が最後に囁いたのは、日本語でも英語でもない。発音は拙いけれど、アレスティア語に似ていた。この世界であり得ない響き。けれど魔力を帯びた力が周囲に張り巡らせる。
(転移陣!?)
ウィルとリュクスを取り囲んで、確かに赤い輪が円筒状に二人を包み空間を遮断する。
(魔法士!!)
そう、彼は魔法士だ。
『連れもどしに来た』そう言ったとたんに、逃げるべきだった。彼のボスが誰かはわからない。彼は、アレスティア人にもフェッダ人にも見えない。どこの誰!?
そこに連れていかれてしまう。
転移が始まれば、もう逃げることはできない。
彼に担がれたまま叩いて暴れるけれど、全然揺らがない。リュクスを片手に担いだまま、苦笑して叩かれるままにしている。
魔法士は戦闘になれていないのに、彼はどうやらそういうところにいたみたいだ。
っていうか、本当に困るんですけど。
(このあと夜勤なのに!)
VIP病院のバイトに行かなきゃいけないのだ。
いきたくないけど。
(……)
行かなくて、いいか。今回が最後だし。
……って、私来週、大学院の研究計画発表会なんですけど!!
教授陣の前であれを通さないと、次のステップにいけない。実質、大学院の修了ができなくなる!!
やばい、やばい、あれのために今必死なのに。ウィルの手に本気で噛みつくと離れる手。
「って!!」
「放して!! 本当に放して!!」
「ちょ、暴れるなって」
「暴れるわよっ。帰しなさいっ、私は帰らなきゃいけないの!!」
反対側の肩に背負っていた大きなカバンを振り回す。PCとタブレットが入ったバケツ型のカバンが振り子の原理で、彼の側頭部を直撃した。
「っ……」
相当な衝撃だったと思う。ゴンって音がしたし、たぶんノートPCの角が彼の頭に当たったと思う。
そこまでするつもりはなかったんだけど。
彼が悲鳴を堪えたのは立派だった。
ただリュクスごと上半身が傾く。彼の肩からリュクスも転がり落ちそうになると、赤い陣の外へと自分の半身が飛び
せめてカバンだけはと抱きしめる。
転移の途中で陣から出てしまったら、どうなるか。
そんなのは……誰も知らない。身体が壊れるか、別の次元に行ってしまうか。
「やばっ」
彼が痛みをこらえながら、リュクスに手を伸ばす気配を感じ、確かに腕を掴んだ。同時に赤い陣が消え、目を開けていられないほどの光に包まれた。
***
――出た先は闇だった。けれど外気の匂いがする、静かで霧に包まれた土の匂いにホッとしたけれど、真下に木々があるのを見て息をのんだ。
真下は夜の森。
高い。浮遊感は一気に墜落する下降感へ。
落ちていく。彼がリュクスに手を伸ばして、体の中に抱え込んでくる。
反射的に風の守りを唱えようとしたリュクスは、薄暗闇の中でも遥か遠くに見えた煌めきに思考を止めた。
森が途切れた闇の中に、斜めに沈む氷の彫像、アレスティアの百蘭宮。
クリスタルのように煌めいた彫像のような城に思考が止まり、そのまま彼に包まれ木々の中へと墜落した。
「いって……え」
落ちたのは草木が生い茂る土の上。
ウィルはリュクスを離さなかった。抱え込んだ腕は過剰なほど大事に頭を胸の中に収め、自分が下になるように調節していた。
ただ、衝撃は強かったみたいで、暫くうめいて動かなかった。
「ちょっと、だいじょう……ぶ」
「いや、……ちょい、まっ……」
リュクスは呻いている彼をちらりと見て、大きな怪我をしていないと判断して、立ち上がる。
まだ心臓が凍り付いて、手足が冷たい。
そして周囲の森の風景にまた呆然として、次に走り出した。
(うそ、でしょう……)
さっきに見た景色。昨日のことのように覚えている、美しいアレスティアの王宮が落ちた日を。
あれは、北海だ。
本当に、あれはアレスティアなの!?
いや、でも、だって……。空にあった美しい城、それが海に放置されている。
動揺して走り続けると目の前の視界が流れていく。
二股に割けた幹、子どもの頭よりも大きなハート形の岩、クローバーの密集地、その先を走り抜ける。
日本では、こんな深い闇の夜の森を走ったことはない。
けれど月の明かりが照らしてくれる。何よりも、昔ここに住んでいたのだ。心よりも足の方が道を覚えていた。
人が入り込まないようにされている惑いの魔法は、昔の自分がかけたもの。まるで歓迎するかのように、木々が枝先をあげて道を作る。
深い森の奥には……大きな楢の木。その幹のうろに埋もれるように扉がある。
一度一息を入れて、一気にその丸い取っ手をひっぱると、難なく扉は手前に開いた。
薄暗い中で、しばし立ちすくむ。
覚悟はしていたのに、驚くほど中はきれいだ。木々や虫に侵食されていない。あの日、保存の魔法をかけたままの状態。
朝に出て夜に帰ってきただけのように、全てがそのままの形で残されている。
背後の人の気配に恐怖を感じて振り向こうとすると「俺。大丈夫だから」とウィルの声がした。
俺=大丈夫な人なのか、俺の状態が大丈夫なのかはわからないけれど、リュクスは聞かずに家に意識を向けた。
後ろから襲ってこない……と断定はできないけれど、彼を気にしている場合じゃない。
「ここ……家?」
戸惑う声に、リュクスはようやく息をついて「そう」と頷いて、暗闇の中慣れた足付きで奥へと進む。
とはいえ、少しぶつかってしまうのは、あの時よりも背が伸びたから。
暖炉の上の定位置のランプには埃もない。ただ使い慣れて煤で曇っている。
リュクスは昔のように呟いた。
“サラマンダー、火をつけて”
鼻をかすめた燐光、赤い蜥蜴の尻尾が視界の端で揺れる。同時に手にしたランプに火がともる。微かに後ろのほうで息を止める気配がした、ウィルだ。
リュクスは、深く息を吐いて戸口に立ったままのウィルを振り返り、見つめ合う。
(とうとう、帰ってきた……)
アレスティアに。
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