第24話.お医者様はいませんか?

『お医者様はいませんか?』それは、傷病人がいるということ。


 医療者になると、なぜか遭遇しやすくなる。

 日本は助産師を取るには看護師資格も必要なので、リュクスは看護師としても対応ができる。

 飛行機内、電車内、観光地、色々な場所で遭遇して「医師ではないけど、看護師です」と名乗り出ることも少なくない。


 少し先に進んだ階段の手前で屈みこむ女性の前で、三十代ぐらいの女性が周囲に呼び掛けていた。すでに周囲にはパラパラと人垣ができていたが、医療者はいないみたいで、誰も対応できていない。


「赤ちゃんが、産まれるみたいです」と張り上げている声に、リュクスは迷わず飛び込む。


「助産師です、通して」


 うめいて動けないのは、先ほどの妊婦の女性だ。顔つきと様子からわかる、もう間に合わない。


(……産まれちゃう!)


 横にいる女の子は娘だろう、ということは経産婦。


 ドラマでは、初産婦しょさんぷの役者が陣痛が来た、と大騒ぎになり、直後に赤ちゃんが産まれているシーンがあるけれど、あれはまずありえない。


 初産婦の平均分娩時間、つまり陣痛が始まって産まれるまでは十五時間。

 けれど経産婦けいさんぷは違う。平均は六時間と習うが、痛くなり直後に産まれる、あっという間に進むことも珍しくない。

 そして本人が産まれる、と言えばもう間に合わない。


 子どもが「ママ、ママ」と身体にしがみついている。誰かが「駅員さん!」と叫んで走り出す。


「失礼します、私は助産師の神宮です。お腹触りますね」


 迷いなく、お腹に触れる。硬くなっているお腹。陣痛の様子を見るためでどのくらいの間隔か測る。

 

 触れながら腕時計で時間を測る。やがて柔らかくなるお腹にわずかに安堵する。胎盤が剥がれかけている場合は、お腹が硬いままだから。 


 やはり陣痛。でももう産まれててしまう。どこかに運ぶことはできない。


「誰か、救急車を」


 群衆の声にちらりと横を見上げたら、すでに橙色の髪の青年がスマホを操作して話していた。


 動じていない、流ちょうな日本語で駅の詳しい場所を告げて「出産しそうな女性がいる」とわかる範囲内の事実を告げている。


 それを横目で見ながら、苦しそうな女性に話しかける。


「横になってください。予定日はいつですか?」

「……あさって。つ……う」


 短く答える陣痛の合間に応える女性は、横にさせようとしてもできない。明後日だといつ産まれてもいい39週。

 

(早産じゃない……ならばまず産まれても大丈夫)


「誰か手を貸して、横にさせて」


 彼女も動けずかたまっている、壁にもたれさせかけると、外国人の彼が彼女の腰に自分のジャケットをかけてくる。


 軽そうな外見だけど、気が利く。

 すごく状況判断が早くて、周囲に目配りができる人なんだ、と思う。


「すぐに来るって」

「ありがとう」


 男性の一般人がここまで落ち着いているのは珍しい。


 リュクスも少し冷静になる。


 専門家の自分でも焦っていたのを気がつかされる。

 冷静になれ、と自分で言い聞かせる。


 けれど口はすらすらと質問して身体が動いていく。


 緊急時に前に出ることに躊躇はない。というのも器具もないし、薬もない、その場でできることをするしかないから怖気づかない。


「お名前を教えてください」

「みやざき……わかこ……っ」

「異常と何か言われたことはありますか? 逆子とか病気があるとか」


 彼女は首をふる。これ以上は聞き出せないから異常と診断されたことはない、と思うことにする。あとはもう状況に任せるしかない。


「かかっている病院は?」


 本当は母子手帳をみせて欲しいけれど「出して」と言うのは無理だ。お姉ちゃんに聞けばわかるだろうか。


「〇〇病院」


 この近くで最も大きい有名病院の名前がでてくる。


「うう、産まれちゃうっ!」


「力を抜きましょう。誰か、タオルか布、もしくは服を貸してください。血液で汚れてもいいものを」


 リュクスは自分のジャケットを彼女の腰の下に敷く。駅員が車いすを持って、横で呼びかけているが、出てきそうな赤ちゃんの頭を見て無理です、と答える。


 椅子に座らせたら、出てくる赤ちゃんの頭がつかえてしまう。


「これを」と周囲の女性がハンドタオルを渡してくる。


 とっさに先ほどもらった大きい男性用の傘を広げて、産婦の彼女の横に置いて周囲から隠す。


 橙色の髪の毛の青年がかかってきた電話に出ている。

 たぶん救急隊か消防指令室本部からだ。こういう事態の場合、折り返しで状況確認の電話がかかってくる。


「はい。予定日は明後日、傍に小さな子どもがいます。何人目かはわかりません。名前はみやざきわかこ、〇〇病院にかかっているそうです。異常は言われたことがないそうです。持病はわかりません」


 彼はリュクスとの短いやり取りを聞き取り、それを的確に伝えている。


 正直、すごい、と思う。医療関係者でもないし、ただの一般人なのに、こちらに聞き直しもしない。


 むしろ何度も消防からは電話がかかってきて、彼は同じこと答えながらも、女の子の手をにぎってあやしている。余裕も度胸もある、そして安心感も与えることができる。


 できるだけの準備はした。


 今度は橙色の髪の彼は周囲の人間にスマホで取らないように注意している。聞こえてくる声は「こういうプライバシーに関わることは、やめた方がいいんじゃないの?」とやんわりと。


 強く言えば反発を生むし、何より外国人に日本人は弱い。

 注意されるとなんとなく、はいと頷いてスマホをしまう人が多い。


 そうしていると赤ちゃんの頭が出てくる。借りたタオルで包むように出てくる赤ちゃんを掴む。


 最初に出てきた頭、そして肩をくるんでそのまま引っ張り寄せて、足まで出す。

 途端に産声が響いた。


 いくつかの借りたハンカチで赤ちゃんの血液を拭って、誰かのタオルで赤ちゃんをくるむ。


 血液でぬれたタオルはすぐに外して、新しい濡れていないものを使う。

 濡れたもので身体を包んでいると、熱が奪われて赤ちゃんの体温が下がってしまう。


 呆然してぐったりしている母親に赤ちゃんを向けて、抱き抱えさせる。

 

 『おめでとうございます』と言うかリュクスは一瞬ためらってしまった。

 おめでたいことだけど、彼女にしてみたら、ハプニングだろう。


 (……でも、産まれたことはおめでたいことよね)


「びっくり、されたと思いますが。おめでとうございます。元気な男の子ですね」

「……ありがとう、ございます」


 まだ呆然としながらも、みやざきさんは赤ちゃんを抱きながら、ようやく上の娘のほうにも手を伸ばす。「ごめんね、びっくりさせて」と謝っている。


 出血は少なそうだ。真っ赤でふにゃふにゃしている赤ちゃんも、色が悪くないから元気そうでよかった。


「赤ちゃんの体温が下がるので、お腹に密着させてもいいですか?」


 なるべく衣服をはだけさせないように、隠しながら赤ちゃんと母親の肌を密着させて、その上からタオルと衣服で二人をくるむ。赤ちゃんにとって一番安全な場所は、母親のお腹の上だと言われている。体温も保持される。


 抱き抱えられた赤ちゃんをのぞき込めば、そのこは握り締めた拳を口元にもっていって、もぐもぐしている、自然に口元が緩み笑みがこぼれてしまう。


 マイペースな子だ……。

 リュクスも、ようやく息をついた。その子を微笑んでみるリュクスをじっと見る橙色の髪の彼の視線を感じていたが、あえて気にしないようにした。

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