覚(8)
彼女はそう言うと暗い顔をして教室の中へと入っていってしまった。一瞬彼女が冗談を言っているんだと思った。
同じクラスの萩原愛莉を知らないはずがないじゃないか。しかも一緒にいるところを僕は見ているんだから。
でも彼女は嘘を言っているわけじゃない。
心が読める僕にはそれが解った。
だからこその混乱。
僕は次に教室に入ろうとしていた男子に声をかける。
そして同じように萩原愛莉について尋ねる。
でも答えは同じ。
そんな子は知らないという返事が返ってきた。
このクラスに間違いはない。しかしクラスメイトは彼女の事を知らない。一緒にいた友人らしき子すら彼女の事を――覚えていない。
視界がぐにゃりと歪む。
足元の感覚が無くなり、自分がどこに立っているのかも分からなくなる。
周囲の音が消え、静寂の世界が渦を巻くように僕の身体を包み込んだ。
「おい!会長!しっかりしろ!」
力強く僕を呼ぶ声。
がっしりと掴まれる双肩。
僕の意識は一気に呼び戻された。
「大丈夫か?」
ぼんやりとした視界に見慣れた顔が映る。
物部カタル。
風紀委員長にして僕が心を読むことの出来ない人間。
そう――彼女と同じように。
「――!?」
そう認識した瞬間、僕は彼を反射的にはね退ける。
「……意識はあるようだな。しかし顔色が真っ青だ。保健室に行った方が良い」
彼はそんな僕の態度を気にする様子もなく心配してくれているようだった。
「……ごめん。大丈夫だから。ちょっと眩暈がしただけだよ……」
「あまり大丈夫そうには見えないぞ。酷い顔をしている」
「……じゃあ、君の言うとおり保健室に行ってくるよ」
「ああ、その方が良い。クラスには俺が連絡しておいてやるから」
「ありがとう。お言葉に甘えさせてもら――」
その瞬間――濁流のような勢いで僕の頭の中に音が流れ込んできた。
それは心の声なんて生易しいものなんかじゃない。
普段は本人が意識せずに抱えている感情そのもの。
喜び。悲しみ。怒り。恐れ。嫉妬。嫌悪。後悔――絶望。
圧倒的に勝る負の感情が僕の心を浸食していく。
深く、暗い闇が僕の心を塗り潰していく。
底の見えない深淵の穴の中へと頭から落ちていくような感覚。
世界の全てが絶望に満ちているような錯覚。
救いなど無い。
人の心の闇を照らす光なんて存在しない。
上辺をどれだけ取り繕っていても、その人間の本質は闇そのものなんだ。
誰も愛さない。
自分さえも愛さない。
救いの無い世界。
誰も救われない世界。
そうだろう?だってこんなにも人の心は闇に病み、助けを求めて叫んでいる。
それでも誰も救われない世界。
そんな世界でまともでいられるはずがないじゃないか。
誰もがみんな壊れている。
ただの人間なんて一人もいない。
(人の姿をして人間の生活に紛れ込んでいるマガイモノ)
ああ、そうだ。
その通りだよ萩原さん。
でもそれはきっと僕だけじゃない。
この世界の住人全てが人の形をしたナニカなんだよ。
きっと人はそのナニカを人間と呼び、自分たちとは違った形で歪んだ存在を――妖怪と呼んでいるんだろうね。
だから君の言っている事は間違っていなかった。
それなら僕は間違いなくそちら側の住人だったんだね。
でも僕は――
人にして人に非ず。
歪にすら歪めなかったマガイモノ。
そんな僕が妖怪と呼ばれても良いのかな?
萩原さん。
君はどう歪んでいたのかな?
そしてそれをどう受け止めていたのか――最後に君に訊いてみたかったよ。
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