第三・四話

琥珀は一瞬固まった。何が起きたか把握しきれなかったためである。

実はこの男、ナンパに失敗したことが一度も無いのだ。失敗どころか、誘ってもいない女性から付き纏われたことや、時には同性から絡まれることだってあった。

それなのに、珍しく琥珀が息を呑むほどの美少女に断られてしまった。しかも、"勉強"に負けてしまった。

色男と遊ぶ以上に楽しい勉強とは何だ?自分はそんなものと天秤にかけられてしまったのか?

たいへん傲慢な話だが、これは琥珀にとって青天の霹靂以外の何モノでもない。

あまりの衝撃に頭が回らず、琥珀は魂が抜けような間抜けな顔で彼女を見つめ続けていた。その目は虚だ。

琥珀が何も言わないため、彼女は琥珀を怒らせてしまったのかと不安そうな表情になったが、だからといって遊んでくれる様子は全くない。

警戒心がよほど強いのか、琥珀に怒られるのではないかと怯えた彼女は「本当にごめんなさいっ…!」と勢いよく頭を下げ走って行ってしまった。見た目に合わず逃げ足がとても早い。


そこから暫くしても琥珀は動くことができなかった。

秋風に吹かれて、酔いも呆気なく覚めてしまい虚しさだけが残った。

毎日飽きもせずに女の子に声をかけている琥珀だが、それは本当にその子と関係を持ちたくてしていることではない。自分のことを熱を帯びた目で見つめてくる子に対して、自分から声をかける。その時の女の子の、何とも言い表せない恍惚とした表情がやみつきなのだ。王宮では満たせない自尊心を満たしたいだけだと言われれば否定はできない。

だが、今日は本当に珍しく自分から手に入れたいと思ったのだ。それなのに喜ばれるどころか、挙げ句の果てには怖がられてしまった。

「…あんな可愛い子が、男に声をかける時点で、ナンパ待ちだって、俺じゃなくても思うだろ。思わせぶりかよ…。」

だが、先程の出来事をよく思い出してみると、彼女は琥珀が病だと思い、医者に診せようとした。また、これから医学塾で学ぶと琥珀の誘いを断った。

彼女は医者の卵なのかもしれない。そう考えれば美醜に関わらず病人なら助けるし、病人じゃないならそれ以上関わらずに勉学に励む。琥珀にとってそれはもはや仙人修行のようだが、彼女が本気で医者を目指す者であるならばおかしな話ではなく、辻褄が合う。

すっと腑に落ちたが、琥珀の胸に残っているのは初めての感情だけだった。


すっかり日が暮れて、琥珀はいつも通り重い足取りで王宮に向かう。いや、いつもの3倍は重苦しいかもしれない。辺りはすっかり暗くなり、風は冷たさを増していた。いつもの琥珀なら寒すぎて文句を言っているだろうが、今日はこれぐらいが心地良い。

門番に「俺だ、開けてくれ」と声かけた。門番はいつも遊び尽くした琥珀を白い目で見て、やれやれと言ってしぶしぶ門を開けるのだが、今日は誰から見てもわかる琥珀の青白い悲壮感に満ちた顔を見て、驚きを隠せず、少しかしこまった様子ですぐさま門を開けた。

門を通り過ぎると腕を組んで仁王立ちした望月が立ちはだかっていた。ふくよかな体のせいで仁王立ちしてもいまいち怖くない。

「琥珀様…。もう許しませんよ…!私が今日どんな思いをしたか貴方様はご存知で?」

よく見れば暗がりでも分かるほど望月の顔は真っ赤で怒り狂っていた。別に琥珀が外に出て遊びに行くなどいつものことなのに何をそんな怒っているのだろうか。だかしかし、今の琥珀はそれに付き合っていられるほどの気持ちの余裕がない。

「望月、俺はとても小言を聞く気分じゃないんだ。頼むから明日、いや、今後一切言わなくていい。」

「頼みますから今日、今ここで聞いてくださいッ!」

なんだよ、という顔で琥珀は舌打ちをしそうになる。ただ、お互い意地を張ってばかりいたら埒があかないと思い、諦めて聞くことにする。

「何だ、早く言ってくれ。疲れてるんだ。」

望月はつらつらと文句を言うように話し始めた。




今日も琥珀様は講義に出られなかったので、私は書室で待つ師に伝えに行ったのです。いつものことなので師も「分かりました、」とおっしゃってくれたのです。不甲斐なさを感じながらも、琥珀様の自室の掃除に向かおうとした時です。

 

「あの阿呆は、本当に講義に出ないのだな。」


その声は耳に響く重低音で、聞く者の背筋をゾッとさせるほどの覇気がある。

マズい、これは非常にマズイ。望月は冷や汗が止まらなかった。絶対に此処に現れてはならない人が現れてしまったようだ。

「…左様でございます。琥珀様はもう何年も講義に出ておりません。私と望月殿で何とか説得をしておりますが、余程外の世界が楽しいようで…」

よくも、と望月は思ったが、止める間もなく師はそう告げた。偽りは何もない。全て本当のことなのだが、そんな正直に言わなくても良いじゃないか。

すると男は側にあった書棚の柱に拳を勢いよくぶつけた。ドンッと鈍い音が静寂の部屋に響く。


「あの糞野郎がァッ!!恥晒しをしやがってッ!!自分の立場が分かってないようだなッ…ハッ!呆れた。少しでも期待した私が馬鹿だったなッ!」


心臓が跳ね上がるほど威勢の良い怒鳴り声。自分に言われているわけではないが、あまりの罵声に神経がすり減らされる。師もどうやらやってしまった、と後悔しているようだ。

ひとしきり暴言を吐き散らかした後、男は袖を勢いよく翻して書室から出ていった。侍従の者は大声に顔を顰めながら、急いでそそくさと後をついていった。


書室には、しばらく沈黙が続いた。


「先生は…、あの御方の性分をご存知ないのです?」

師は冷や汗が床に垂れていた。

「…嘘を言うのも違うと思いまして。でも、どうやら私は失言をしてしまったようです。」

「…何も言えませんね、」

先ほどの男は他でもない、この国の主である猛龍王だ。正真正銘琥珀の父親で、名の通りの男である。身長2メートル近くで筋骨隆々。顔つきは眉が太く、彫りが深い。いわゆる強面で、同性からの人気が非常に高い。ただ、先ほどの通り、気性が非常に荒く、感情の波が非常に、それはそれは非常に激しい。そして声も(クソ)デカい。そのため、憧れる反面、臣下は日々顔色を伺っているのだ。

お互い青白い顔を交わしながら師とはその場で別れた。その後の掃除は心ここに在らず、だった。




「…ということがあったのですよ、琥珀様。」

「…俺が講義に出ないなんて、父上どころか王宮の者なら誰でも知っていることだろうに…。今更なんでそんなことを言うんだ?多忙すぎて、ついに父上も記憶力が危うくなってきたのか?」

「なに馬鹿なことをおっしゃってるのですッ!?もし今日大人しく講義に出ていれば王様の目に留まり、王様からの評価も幾分か良くなったかもしれないのに貴方という方はッ…!少しは偉大な王様や青藍様に近づこうとは思わないのです?!」

この俺に向かって''馬鹿"とは、望月は随分と偉くなったものだな、と思ったが、今回だけは目を瞑ろう。

「別に、今更父上から期待されたいだなんて思ってないさ。期待されるより、阿呆モノだと思われてた方が楽だ楽。今回のことだって、俺は寧ろ良かったと思うぐらいだ。」

望月はこれでもダメなのかと深いため息をついた。眉は八の字になり、その場にしゃがみ込んでしまった。

でも過ぎてしまったことはしょうがない、それにそれぐらいで関係が修復するほど自分の父親が柔軟な人物だとは琥珀も思ってはいない。

琥珀が父親から厄介者扱いされるようになったのは、他でもない琥珀が街に遊びに行くようになってからだ。落下して初めて街を知って望月に連れ戻された時も、美しい王子が穢れたといって、秘境の湯で入浴させられたぐらいだ。その後の講義で、琥珀が初めて師に「その教えは間違っている」と反発した時は、医官を呼びつけ何も異常はないのにしばらく無意味な治療をさせられた。

そして、琥珀が自らの意志で街に出て行った時からは、口も聞いてもらえなくなり、王宮ですれ違っても、視線すら向けたくないような様子で、存在すらないものとされた。

「もう…、分かりました。貴方にその気が無いことはよーく分かりました…。でも、今日の様子を見るにつけ、王様は決して貴方様のことを本気で諦めてはいないと私は思います。そのことだけはよく覚えておいてください…。」

へーい、と言って琥珀はその場をひょろりと離れた。

灯籠に照らされた王宮内を歩きながら琥珀は夜の星を見上げていた。

「本気で諦めてはいない、ねぇ…」

思わず鼻で笑ってしまう。それは自らの仕える王子をなんとか軌道修正させたい望月の願望だろう。琥珀が壁から落ちて行方不明になった時、望月は王からこっぴどく叱られ、踏みつけられ、中々大変だったとのことだ。確かに、その時目を離していたのは事実で、それさえなければ琥珀は今頃立派な王子となっていただろう。だから、望月は琥珀のことに対して王に、そして琥珀に対しても負い目があるのだ。


しかし、そんな望月をよそに琥珀が考えているのは今日の美少女のことだった。

「そうか…、今日のことだって諦めちゃダメだよな。何一度失敗したぐらいでへこたれてるんだ俺は…。確かに同じ女の子にニ度も声をかけるのは屈辱的だが、このまま負けました、で終わるのは色男の名が廃る。必ず惚れさせてみせよう…!」

いつもの琥珀なら、一人の女の子に執着はしない。まあ、そもそも断られることはないし、それで遊んだとしても、絶対に交際に発展させはしない。ただ自尊心を満たしたいだけの行為だからだ。だから、今までの琥珀だったなら、一度でも自尊心を傷つけられた女の子にニ度もアタックするなどあり得ないのだ。しかし、初めての屈辱を味わい、どうやら少し目的がずれてきてしまっている。琥珀本人は気付いていないが。


秋の綺麗な星空に琥珀は18歳にしては幼すぎる決意を投げた。





朝日が夜の終わりを告げると同時に琥珀は勢いよく王宮を飛び出した。さすがの琥珀でも、望月にあんな話をされた後にへっちゃらで外に出られるほど面の皮は厚くなく、望月と顔を合わせないようにこのような早朝に出掛けたのだ。朝餉を用意する者以外はまだ誰も起きていないため、王宮はしんと静まり返っていた。


街に出れば、空気が澄んでいて、とても気分が良かった。店はまだ開いていないが、中で身支度や開店の準備をする賑やかな声が聞こえる。

「出てきたは良いが、正直することがないなぁ…」

琥珀が今日街に来たのは、他でもないあの美少女を探すためなのだが、よく考えてみればこの街に住んでいる保証はなく、知っているのは名前だけなのだ。

「どこに住んでるかぐらい聞いておけばよかったな…。見当もなしに探し出せるほど街は狭くないし…」

つまらなくなってしまった琥珀は道にしゃがみ込み、そばにあった木の枝で文字を書いた。

「レイって言ってたな…。どう書くんだろう、麗?黎とか…か?」

残念ながら琥珀が最後に勉強したのは遥か昔のため、持てる知識があまりにも少なかった。

勉強もある程度は必要なのかもしれないと思いつつ、昨日の望月の顔が目に浮かび、認めたくない反抗心が勝ち、フンッと鼻を鳴らした。

嫌なことは忘れて、琥珀はまるで子どものように枝で地面に絵を描いて時間を潰した。描いているものはお気に入りの春画のワンシーンで、決して子どもの絵とは言えないが。

そうしているうちに、次第に街が賑やかになってきた。店主たちは朝から元気いっぱいで、簾をかけて店を開け始めた。

琥珀は春画を描くことに夢中で気が付かなかった

が、街の大通りには開店を待つ人々が既に多くいたようだ。店主が満面の笑みで迎入れている。

「よし、俺も負けてらんねぇな!!」

琥珀はパッと立ち上がり、紙に描き出せばおそらく物凄い価値がつくであろう模写春画を足で掻き消した。

美少女の所在に全く見当がつかないならば、手当たり次第聞き回るしかないと考えた琥珀は、普段から築き上げた人脈をやっと活かせる時がきたと意気揚々としていた。

琥珀が最初に目をつけたのは娯楽書や実用書など様々な本を取り扱う本屋だ。勉強をするという彼女なら、一度ぐらい来たことがあるだろう。

「あら、いらっしゃい。珀くん、ごめんなさいね。拍くんのお目当てはまだ新しいものが無くてね、」

そう言って店主の奥さんは琥珀を温かく迎えてくれた。女性に春画好きと思われても、琥珀はもはやなんとも思わない。

「いや、ちがうんだよ。今日はちょっと聞きたいことがあってさ、この店に俺ぐらいの年齢で、すっごく綺麗な女の子来る?多分、医学書とかをよく買ってると思うんだけど!」

「医学書…?女の子…。うーん。医学書を買っていくのはほとんど男性ばかりで、そんな女の子は見たことがないわね。」

奥さんは暫く考えてくれたが、やはり見覚えがないとのことだ。

琥珀は最初の狙いは外れたものの諦めまいとそこから何十軒もの店を回ったが、誰もそんな美少女は見たことがないという。

「おかしいな…。やっぱりあの日はたまたまこの街に来ていただけなのか?でも、医学塾に行くって言っていたし…、」

琥珀はピンッと来た。

「そうだ。近くの医学塾を探せば良いんだ…!」




「あぁ、そこならすぐ近くだよ。塾って言っても、そんなたいそうな場所ではないけどね。優秀な医者を育ててるって噂だよ。」

琥珀は思わず声を出して喜んだ。最初からこう聞けば

良かったのだろう。

「ありがとうっ!今度またお礼するからっ!!」

琥珀は跳ね上がる気持ちをなんとか抑えながら、教えてもらった場所まで走って行った。




その場所は、大通りから離れた草木生い茂る場所にポツンと現れ、その作りは良く言えば質素だ。外観は瓦こそついてるものの、官吏の邸宅にある倉庫ぐらいの大きさしかないだろう。教えてもらわなければ誰も塾だとは思わない。

「ここ…だよな?」

琥珀はにわかに信じられなかったが、教えてもらった場所にあるのはここしかない。

様子を伺いながらそっと中を覗くと、中年と思われる男性1人が前に立ち、講義をしている。壁には大きな紙が貼ってあり、おそらく講義内容が書いてあるのだろうが、医学どころか勉学を拒否している琥珀にとっては何が何だかよく分からない。

琥珀は自分が何をしに来たのかを思い出し、学生をよく見てみると、一際若そうな者が一人、目に入った。

『あの子だ…』

後ろ姿しか分からないが、琥珀にははっきりと分かった。

怜は背筋をスッと伸ばし、講義の内容を逃すまいと、必死に記録していた。

その姿を見習うべきなのだろうが、琥珀は怜の艶やかな黒髪を見てうっとりしていた。

初めて会った時は長い髪を一つに束ねていたが、今日は上側の髪だけを束ねており、より可憐さが増していた。

その美しい後ろ姿に見惚れていると、講義が終わったようで、学生たちが外に出てこようとしていた。

自分のような若者が入り口で覗いていたら入塾希望だと勘違いされかねないと思い、琥珀は急いで建物の横に移動し、お目当ての怜が出てくるのを待っていた。

しかし、怜はなかなか出てこず、どうやら中で誰かと話しているようだ。

「なあ、怜。この後時間あるかい?本屋に新しい学問書が入ったみたいだから、一緒に行かないかい?」

同じ医学生に誘われているようだ。学問書が入ったという理由で、怜を誘い出そうとしているのがバレバレで、琥珀は思わずププッと笑ってしまった。美形である琥珀の誘いに乗らなかった怜が、そんな分かりやすい誘いに乗るはずがない。

「本当です?一緒に行かせてくださいっ!」

琥珀は頭が真っ白になってしまった。一緒に行きたいだって??

そう告げる怜の声色は明るくて、嬉しそうだ。

せっかく探し出したのに、こんな下手くそなナンパが成功するのを見届けろというのか?

自分がこの街で1番の色男だと思っている琥珀はこの現実をどうしても受け入れられず、このまま怜が他の男に取られるなんて我慢ができなかった。

考えるよりも先に気付けば琥珀は2人の前へ飛び出していた。


「怜ッ…ひどいじゃないか!お前は俺の恋人なのに、他の男と遊びに行くなんて…!俺のことを嫌いになったのか?」

怜の手を取り、目には涙を浮かべ、酔っていた前回とは違って持てる色気を全て出して告げた。

息をするように嘘をつける琥珀は、見ず知らずの人がいる前でも、恥ずかしげも無く演技ができるのだ。

目が点になっている2人を前に、琥珀は怜の横にいる冴えない男に圧勝した気分でいっぱいだった。

暫くの間沈黙が続き、冴えない男は恐る恐る、でも笑いを耐えきれない様子で言葉を発した。

「えーっと…。怜、この方は?そのー…え?」

琥珀のあまりの美しさに混乱しているのだろうと琥珀は思ったが、目の前の怜の瞳を見ると、わずかに怒りを感じる。

「ちょっと来てください…!」




握った手を握り返され、琥珀は医学塾のすぐ近くの岩が目立つ川のほとりまで連れて行かれた。側から見たら連行されているみたいだが、琥珀は怜が手を握ってくれている事実が嬉しかった。

怜は辺りを見回したあと、ジッと琥珀を睨みつけた。

「珀さん…でしたよね?どういうつもりです?確かに先日私がした一連の事は申し訳なく思っていますが、だからといって学友の前であんな…っ、言葉にしたくもありませんが…あんな辱めを受けさせることってあります?」


辱め?と琥珀は思った。琥珀と怜が恋人同士というのは大嘘だが、琥珀と恋人関係にあると思われることは、ほとんどの女性にとってこの上ない幸せだろうに。

本当にこの子は変わっていると琥珀は思った。他の女の子と違って、琥珀に全く靡かない。だからこそ、手に入れてみたいと思うのだが。


…しかし、もしかして。と琥珀にとって天変地異とも思われるある考えがふと浮かんでしまった。

信じられないが、怜はあの冴えない男のことが好きなのかもしれない。認めたくないが、そう思うと、最初の誘いを断ったことも、今本気で嫌がられていることもうなづける。医者を目指しているから琥珀の誘いを断ったのだと思ったが、今考えれば男との茶ひとつどうってことないはずだ。他に好きな人がいるから琥珀の誘いを断ったのだ。そして、先程あの男と一緒に行きたいと言った時の怜の声色は思えば琥珀に恋焦がれる女の子たちと一緒だった。

その考えが意図せずどんどん琥珀の心を侵食する。

昨日から、この子には新しい感情を次々に植え付けられている。

感情が整理できないまま、でも何か言葉を告げなければおかしくなりそうで、琥珀は頭に浮かんだ言葉をただただ紡ぎ出した。

「君は、先程のあの男のことがそんなに好きなのか…?どうして俺に靡いてくれない…?俺が2日も同じ女の子のことを考えるなんて今まであり得なかったのに、どうしてなんだ…」

「…え?」

怜は目をまん丸くしている。

「…?」

自暴自棄になりそうな琥珀は声も出ないまま怜を見た。

「え、珀さん。え…?いや、そんなこと。………まさかとは思いますが、私のこと…女人だと思ってます?」

「…え?は…?」

2人の間に非常に長い沈黙が流れる。

お互い考えが整理できないまま随分と時間が経過している。

聞こえるのは風の音と小鳥の囀り。


「え、違うの…?え、男…?」

琥珀の声は今までにないほど細々しく、か弱い乙女のようだ。

「はい…。いや…、どこから見ても男じゃないですか…。声だって、女人とは全く違いますよ…?」

そう言われても、琥珀の頭の中はもう大混乱で今までの声を思い出すことも困難だった。

「いや、だって…?そんな可愛い顔してたら…誰でも……、」

怜は信じられないといった様子で小さくため息をつき、失礼します、と言って琥珀の手をとった。

「ほら、分かります?私は男です。」

触れた怜の胸に柔らかさは一切なく、どう考えても堅い男のそれだった。

「そんな……、そんな…」

琥珀はあまりの衝撃によろめき、立っていられなくなった。

しかし、地面の岩は不安定ででふらつく琥珀はバランスを崩し、そのまま後ろに倒れてしまった。

「ッ!!危ないッ!!」

怜は急いで琥珀の手を掴んだが遅く、二人揃って川へ落ちていった。

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