幸福の門

@kagitoraaa

第1話

赤茶けた砂漠の上に黄金の門がそびえ立っている。

焼け付くような太陽の日差しは隔てなく降り注ぎ、門は太陽に負けんとばかりに光を反射してギラギラとその堂々たる威厳を示している。たまに吹く風が微かに表土を掠め取る以外に生物らしい動きは一切ない。太陽は何万年も変わらずその景色をただ観察しているのだろう。

麦わら帽子を被った男がその砂漠をのらのらと歩いていた。男はこの門を見つけると立ち止まって驚き、目を見開かせた。門の前にはちょうど男の背くらいの白銀の獅子の像がある。どうやら像を動かさないと門を開けられそうにない。

門を開けようと像に手をかけた瞬間、獅子の顔はぐにゃりと変形し腕に噛みついた。驚いたのも束の間男は必死に弁明した。

「すみません!わたしは私の幸せが分からず、それを探し求めている旅人です。そうして世界の果てと呼ばれるこの赤の砂漠までやっと辿り着きました。これは幸福の門、と呼ばれる門ですよね。南のオアシスで出会った水の精に教えてもらいました。どうか開けさせてください。」

「貴様は一体何者か。貴様にはまだこの門を開ける鍵がない。出直してくるがよい」

男はなんて横柄な言い方をする像だろうと思ったが、負けじと言い返した。

「ようやくここまでたどり着いたのに鍵が必要なのですか。それはどこにあるのですか」

「それは貴様自身の心が知っている」

「わたしはその鍵を見たことも聞いたこともありません。手がかりを教えてください」

「我が知ったことではない。貴様の心の中を探せ」

男は何が何やら分からなかった。たちまち疲れから座り込んだ。

それから1時間が過ぎた。

男は思わず立ち上がって獅子に訴えた。

「頭がおかしくなってしまいそうです。早く鍵のありかを教えてください。心の中探しても一向に見つかりそうにありません」

獅子は何も答えなかった。ただの石に戻ってしまったかのようだ。

男はその場に再び座り込んだ。

「私は私の幸せを探し歩いて世界一高いと呼ばれる山へ登ったり、世界一深いと呼ばれる海に潜って海中を探検したり、大金持ちの連中とつるんで世界一高価な宝石を手に入れたり、世界一の美女に世話をさせたり、様々な事をしました。しかしわたしの幸せというものが何なのかさっぱりわかりませんでした。毎日が退屈で、憂鬱で仕方ないのです。もう疲れました。この門は最後の希望なのです。」

獅子は何も答えなかった。

また1時間がたった。

男は立ち上がって尻についた砂を払った。ここにいるよりは来た道を戻って探したほうが何か見つかるかもしれないと思った。

「もう帰ります。何か見落としていたものがあったかもしれない。それを探すのが得策だと思います。」


さらに1ヶ月が経った。男はまたこの砂漠に戻っていた。

「鍵を探し回りましたが何も見落としているものはありませんでした。探しているうちにまたこの砂漠にたどり着いてしまいました。私はどうすればよいのでしょうか」

「貴様の心の中を探せ」

男は座り込んだ。男の目から希望の光は消えかかっていた。ただただじっと獅子像を見ていた。

手元の砂はざらざらとして、男が子供の頃に食べていた砂糖菓子を彷彿とさせた。空腹が極まっていたので男は思わず砂を口にいれた。砂は意外にも砂糖のように甘く、美味だった。腹を空かせたハイエナのように、無我夢中で砂を口に詰め込んだ。

かすかに門が開いたことに男は気づかなかった。

男は言った。

「獅子よ。あなたはこの砂について何か知っておいでですか?こんな美味しい砂は初めてです。あなたもこれを食べて生きていられるのですか?」

「我は砂を食べず。昔は食料としていたが、今は砂を掴む手もなければ味わう舌もない。」

「それは可哀想に。こんなに美味しい砂があるのにそれを味わうことができないなんて。」

像は何も答えなかった。男はやり場もなく砂を掴み、さらさらと手の中から滑り落とさせた。


男は南のオアシスを訪ねた時を思い出していた。そこにはアン、ドゥ、トロワという三体の水の精が水遊びをしていた。水の精は5歳くらいの子どもの肌を半透明の青色にして、蝶の触覚をつけたような見た目をしていた。男は聞いた。

「なぜそんなに楽しそうに水遊びができるんだ?」

「なぜ?なぜって楽しいからに決まっているじゃない!水飛沫が肌にかかってヒヤリとするのとか、足が水に浸かってゆらゆらうごめくのとか!」

アンはハンカチに染み込ませた水をぎゅーとしぼって男の顔にかけた。男はびっくりして目をぱちくりさせた。眼球に入った水の冷たさがただ不快だった。

男は試しにオアシスへ足を踏み入れた。ひんやりとしていて束の間の休息にはなった。子供の頃のように溌剌と遊ぶ水の精たちを眺めていた。男も同じように水を弾いてみたり、ばちゃばちゃと脚で蹴ってみたりした。冷たい以外何も感じなかった。男にとってもう水は水でしかなかった。


それから3日が経った。

男は砂を食べることにも飽きてきていた。最初にあんなに美味しかった砂も、今はもう珍しいものではなくなっていた。男は言った。

「あなたはこうしてこの地に何十年、何百年もいるのですか。ただ光に照らされ、同じような日々を過ごすだけで、何の楽しみもなく。どこかへ行きたいとは思わないのですか?」

「我は初めから終わりまでここにいる。そこに思考の入る隙間はない。ただそれだけのことだ。」

そして再び石化し黙り込んだ。

どうやら像と会話できる時間は一日のうちに数十秒の間らしいことがわかった。しかし会話することといえば鍵はどこにあるのか、心の中とはどういう意味なのか、幸福の門とは何か、とそればかりだった。獅子は「心の中を探せ」、と繰り返すだけだった。

男は座り込み、ただ砂を食べる生活に戻った。やれることはやった。ここに幸福はないが、苦しみもない。もう目に光はなかった。何の面白みもないが、甘い砂を慰みにして、こうして一生を終えるのもよいかという考えになってきた。砂は蟻地獄のように、男を取り囲んでいた。


1年が経った。男は自分の体が獅子の像のように硬直し始めていることに気づいていた。獅子像は自分の未来の姿なのかもしれない。そう思ったがもうどうでも良かった。幸福の門の鍵を見つけることはとっくに諦めていた。男は取り止めのない会話を獅子と一回だけするとただただ赤い砂を噛んでは眠り込む、という生活を何日も何日も続けていた。

さらに4年が経った。男は完全な鼠の石像になっていた。もう感情はなかった。鼠の形をしていた。獅子はいった。

「終わりの時が近づいている。貴様はもう直ぐこの門を守護するのだ。」

男は何の疑問もなく答えた。

「わかりました。その通りにします。」

獅子の像は透き通ってこの世から消滅しようとしていた。あと数十秒で消える、となった時獅子は初めて叫び声をあげた。

「貴様と会話するのはなかなか楽しかった!ありがとう!」

獅子はどこかへ消えた。男は一瞬ハッとした。なにかあたたかいものが体の中をこみあげたような気がした。しかしそれも直ぐに消えた。男にとって獅子は何者だったのか。門のなかは何があるのか。それもすぐどうでもよくなった。こうして鼠の像となった男は次の門番となった。少し門が開いていたことに男は気づかなかった。


10年が経った。

ある若い女性がこの門を訪ねた。

「わたしはわたしの幸せを求めてここまで探してきました。門を開けさせてください。」

男は先代の獅子の口調を真似て言った。

「貴様には鍵がない。鍵を持ってこい」

「せっかくここまでたどり着いたのに鍵といったいは何でしょう?」

女は泣きだしそうだった。男には鍵がわからないのだから、何も言えなかった。ただ昔の自分に似ている、と思った。結局幸せの鍵を見つけられなかった自分に。なにか慰みの言葉でも言おうと思ったがもう口が石化して開かなかった。

5年が過ぎた。女は右往左往しながらも鍵を見つけられずに、男と同じようにこの砂漠に戻って来てたまに像と会話してはただ砂を齧る日々を過ごしていた。会話する内容も門について、鍵について、といったようにほぼ同じことを繰り返していた。女はいつのまにか完全に石化していた。狐の像だった。男だった鼠の像は自分の体が透き通っていくのを感じ、終わりの時が来ることを知った。

「これからは貴様が門を守護するのだ」

狐の像は何の疑問もなく答えた。

「わかりました。その通りにします」

男はもうすぐ自分の存在が消滅する、という事実にほっとしていた。この石像化した肉体も、幸せを求めてここへたどり着いたけれど、結局幸せはどこにもないじゃないか、と悪態をつき続けていた心も消滅する。消滅=死こそが唯一の希望だった。目に光のない狐の像は門の次の守護者になることを受け入れていた。

男は思った。狐の像はいつ消滅できるのだろうか?また次の旅人が運良くすぐに現れれば5年ほどで交代できる。しかし次の守護者となるものが現れない限り永遠に守護する羽目になるのであろう。男はこの女性だった像を少し哀れに思った。哀れだと思う心がまだ存在していたのか、と驚きつつ…。

鼠の像は消えかかっていた。もう消えるのか、空い人生だった。あと数秒で消えるという瞬間、突如胸に大きなあたたかさが込み上がってくるのを感じた。男だった像は思わず叫んだ。

「私は私の幸せを見つけられませんでしたが、あなたにはまだチャンスがあります!どうか絶望しないでください!先代の獅子の像は言っていました!鍵は自分自身の心の中にあると!自分の心の中をくまなく探せばきっと見つかるはずです!私のようにはならないで!」

女性だった像の目にかすかな光が灯った。

「まって…!」

女だった狐の像が発した言葉に気づかぬうちに鼠の像は消えていった。

門が開き始めていたのを知らずに……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幸福の門 @kagitoraaa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る