第9話 3年間


僕は15歳になった。

気づけばもう、あれから3年が経った。

ちょうど3年前のこの頃だろうか。街全体がサウナのように蒸し蒸しとしたあの日、僕たちは中央の森で出会った。一緒に過ごしたのは4ヶ月ほどだった。でも僕は、これから先もずっと、ルーナと過ごしたあの日々を忘れることはないだろう。


なぜいきなり思い出話のようなことをしているのか。そしてなぜいきなり3年の月日が流れたのか、説明しないといけない。




ルーナとのことがノエミに見つかってからも、僕は中央の森に行くのをやめなかった。

僕はなにも変わっていないし、ノエミとピオを、セラタ地区を見捨てたわけでもない。ただ、ルーナと笑っていたかった。ただ、それだけだった。


しかし、1ヶ月ほど経った時から、ルーナは森へ来なくなった。記事が出た3日後森へ行くと、苗植えをしているはずのルーナの姿がなかった。何か用事ができたのかもしれないと思い30分ほど待ったが、来ることはなかった。僕は記事が出た3日後、必ず森へ行きルーナを待った。2時間待つ時もあれば、10分待って来なければ帰る時もあった。たしかそれを、半年ほど続けたと思う。ルーナはもうここへは来ないのだと理解するまで、かなり時間がかかった。


それでも未練がましく何度か、役所の帰りに泉に寄ったりした。草をかき分け泉に出ると、花咲くような笑顔のかわりに僕を迎えたのは、泣きたくなるほどの静寂だった。

大木に腰掛けて、これまでの日々を思い返してみた。初めて会った日のこと、再会し連れ去られたこと、森の中をふたりで走ったこと。


どうして急に来なくなったの?と聞きたくなる気持ちを隠して、きっと何か理由があるのだと思うようにした。

考えてみればとても不思議だ。なぜ、僕と一緒にいてくれたのだろう。クオーレ地区の人からしてみれば、セラタ地区の人間と関わっていいことなんてひとつもない。なのにルーナは僕と会った時、昔からの友達を見つけたみたいな顔して、なんの警戒心も持たずに横に座ってきた。その時から、なにもなかった僕の世界には、ひとつ、またひとつと色が増えていった。もしまた会うことができたら、聞いてみたいな。ルーナはどうして、僕の手を握ってくれたのって。


会えなくなり7ヶ月が経った頃には、僕は細道へ一歩足を踏み入れ、その先に進むのをやめた。10ヶ月後には、立ち止まりはしたが、すぐに前を向いた。1年が経つと、必ず立ち止まっていた細道が、ほとんど気にならなくなった。

思っていたより時の流れは残酷で、絵の具をたくさんの水で溶かすように、ルーナとの記憶は薄れていった。"思い出になった"という方が正しいだろうか。3年経った今では、"そんなこともあったね"と、ノエミと笑い合うまでになった。




父さんは相変わらず、農地に行ったっきり帰って来ないことが多い。母さんの体調は、良くも悪くもなっていないが、このまま寝てたら人間としてだめになってしまうと、車椅子に乗って散歩してみたり、編み物をしてみたり、楽しく生きる方法を探している。


ノエミは、あの頃と比べて僕に対する態度が少し優しくなった。3年前のあの後、僕たちの間には張り詰めた糸の線が引かれた。僕は、このままノエミとの関係が終わってしまっても、自分が蒔いた種だからしょうがないと半分諦めていた。しかし、その線をプツンと切ったのはノエミの方からだった。「あんな言い方してごめん。たまらなかったの」と、ノエミが謝る時はだいたいこの言葉を使う。「僕も悪かった。黙ってあんなことして」と言うと、「もう一生ソーレと話せないかと思った」と、ノエミは小さな息を吐いた。


15歳になり農地に行き出したピオは、筋肉がつき、なんだか表情も凛々しくなったように感じる。僕の肩を叩く力も随分と強くなった。しかし、中身はふわふわしたピオのままで、農地でもよく叱られているという。ピオの父さんはあの後無事に解放された。しかし懲りずに、また秘密の部屋を作る計画をしているという。


この地区の子どもたちは15歳になると、働くことができる。農民の子は農民に、商人の子は商人になる。そう決まっているから、なぜ?と疑問を持ったことはない。

僕は母さんの体調が良くないこともあり、農地には行かず、家で仕事をしている。掃除をしたり、洗濯物を干したり、暇な時はぼーっとしたり、3年前と変わらない生活を送っている。変わったことといえば、思いのほか身長が伸びたことと、いろんなところから毛が生えてきたことくらいだ。

このセラタ地区も、なにも変わっていない。未だに水も通っていないし、街は荒れているし、誘拐も続いている。

今日も僕は空のタンクをふたつ抱えて水を汲みに行く。



「ノエミ!お待たせ!今日ピオは農地?」

「そ!さっさと行きましょ。今日は寄りたいところがあるの」

「寄りたいところって?」と僕が訊ねると。

「ひみつ」と、人差し指を立てた。


岩の上に飛びのり、流れる川にタンクを沈める。ノエミは水を汲みながら、伸ばした髪が垂れてくるのを鬱陶しそうにしていた。その後ノエミは、川に沿っていつもとは違う方角に歩き出した。10分ほど行くと、紫色の花が風に揺れているのが見えた。それは、小さな絨毯を広げたようにそこにだけ咲いていた。近づいてよく見ると、細長い茎に小さな花をたくさんつけていた。


「ラベンダーっていうんだって」


そう言うとノエミは花に顔を近づけて、クンクン匂いを嗅いだ。


「わぁ、いい匂い!ソーレも!」と、ノエミが僕の腕を強く引っ張った。バランスを崩し、僕の肩がノエミの肩にぴったりくっついた。


「ご、ごめん!」

「‥‥ソーレ。来週の日曜日、なんの日か覚えてる?」


ノエミはラベンダーを指で突きながら、ポツポツと訊ねてきた。それは突然の質問で、僕の頭の中では記憶のノートをパラパラとめくる音がした。


「‥‥えーっと‥‥なんの日だっけ‥‥?」

「‥‥もういいです」

「うわ!ごめんごめん!えーっと、‥‥なんだっけ」

「‥‥私の誕生日」


ノエミは「もうっ!」と、座ったまま肩を丸めて拗ねてしまった。


「あ!そうだった!覚えてたよ!本当に!」

「もういいわよ。で、その日ついて来て欲しいところがあるの。日曜日の午後6時、噴水の前で待ち合わせしましょ」

「どこに行くの?」

「当日教えます」

ノエミは少し意地悪な笑顔でそう答えた。



ピオにこのことを話すと、腕を組みながら「ついにかー」と呟き、ウンウンと納得したように頷いていた。


「ついに?」

「いやぁ〜、だって考えてみなよソーレ。誕生日って特別な日でしょ?そんな日に2人で会いたいなんて、ノエミはさすが積極的だな〜」

「??」

「え?本当に分からないの?」

「うん‥‥」

「‥‥ノエミが髪を伸ばしてる意味も?」

「??なんか、鬱陶しそうにしてたけど?」


ピオは「そうか、そうか。ま、長い間友人だったから仕方ない。とりあえず僕は応援してるよ〜」と僕の肩に腕を回し、ニヤニヤと笑っていた。




日曜日夕方6時。空は橙色の幕を下ろしている。

待ち合わせ場所に行くと、白いワンピースを着て、髪をひとつに束ねたノエミが立っていた。


「ソーレ!」

「ノエミ、なんかいつもと雰囲気違うね」

「お母さんが、新品のワンピース縫ってくれたの、誕生日プレゼントって」

「今からどこに行くの?」

「私たちの秘密基地よ!」


ノエミは僕の手を引っ張り、川を越え、バスに乗った。


「もしかして‥‥」

「そう!あの泉」

「でも、夜には門が閉まるだろ」

「夜9時まで開いてるのよ。私、見たいものがあるの」


泉には、もう2年近く行っていない。


「懐かしいよね。あそこでソーレと喧嘩もしたし、あの男の子にもたくさん失礼なこと言っちゃった」

「大丈夫。全部思い出になるよ」


バスを降りると、きれかけの街路灯が照らす街には、いつにも増して不気味な空気が漂っていた。


「なんか、ちょっと怖いわね」

「手繋ぐ?」


僕が「んっ」と手を差し出すと、ノエミは少し驚いてから「うん」と頷き、そっと手をのせた。


僕たちは手を繋いだまま、中央の森へ入っていった。






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