第7話 思い煩う


太陽がジリジリと地面を焦がしている。

あの事件から1週間が経った。僕はこのことを誰にも話していない。もちろん母さんにも。男との約束を忠実に守っているのではなく、誤認逮捕だったとはいえ、誘拐まがいのことをされたと話せば、もう2度と中央の森へは行かせてもらえないと思ったからだ。


ルーナは元気にしているだろうか。

あの日、中央の森の出口で降ろされ泉に戻るとグラートさんがいた。一瞬怒っているように見えた顔はすぐに泣きそうな顔に変わった。ルーナに駆け寄ると、ひどく安心したように抱きしめ、何度も頭を撫でた。そして僕に一礼し、ルーナを連れて帰ってしまった。きっとルーナの両親なら、腕と足に残った跡にすぐ気づくと思う。もしかしたら、ルーナも2度と中央の森へは現れないかもしれない。あれが最後だったのだろうか。まだ訪れるか分からない未来を想像しただけで、なんだかとても悲しくなった。




「ソーレ、すまんがこれから毎月、役所にこれを持って行ってくれないか」


昨晩、父さんが農地から帰ってきた。しかし、また明日の朝には出て行ってしまう。父さんは僕に"調査報告書"と書かれた1枚の紙を渡してきた。


「調査報告書?」


「王政からの命令だ。毎月月末に各農地の責任者が、土地の状態や収穫数の成果を紙にまとめて提出しろとのことだ。前まではあっちの人間が調査に来てたくせに、もう壁は跨ぎたくないんだとよ。こっちの仕事ばっか増やしやがって」


父さんには申し訳ないが、僕にとってそれは嬉しい知らせだった。各農地を束ねる責任者に配られた"通行証"。これは、定期的に役所へ行く必要がある者にだけ配布される特別証書である。通行証があれば、今よりも簡単に中央の森へ入れるようになる。


「はぁー、まったく。相変わらずこっちでは事件が絶えないな」


父さんは新聞をめくりながら、深くため息をついた。横から新聞を覗くと、ふたりの少年の写真が載っていた。


「16歳か。こんな子どもが万引きだとよ。悲しいな」


その少年たちは、こないだ白髭男が言っていた万引き犯だった。新聞には彼らの特徴として、身長約175センチ、坊主頭の2人組と書いてあった。僕の身長は148センチで、ルーナも僕と同じくらいだ。そして、僕は黒髪でルーナは金髪。このふたりと僕たちのどこが似ているというのだろうか。

あの日からずっと残っていた、喉に骨が引っかかったような違和感。忘れようと見ないようにしていたけれど、今も取れずに残っているこれは、もしかしたら間違いではなかったのかもしれないと僕は思った。




月末の土曜日、朝。僕は通行証を持って中央の森へと向かった。あれから、ルーナはここへ来たのだろうか。

役所の帰り道、僕は泉に抜ける細道を通り過ぎ、少し行ったところで立ち止まった。

戻って泉に行ってみようかな。でも、ルーナがいたところで、僕はどうしたらいいのだろう。いつもみたいに笑って声をかけていいのだろうか。心に引っかかっている違和感がもし事実だったら、僕と関わることで、ルーナにまた危険が訪れるかもしれない。

僕の頭と心は渦を巻いて、混ざった絵の具のようにぐちゃぐちゃになっている。


でもどうしてか、浮かんでくるのはルーナの笑顔ばかりで、最後にもう一度、ルーナと会って話がしたいと願う自分がいるのだと、いやでも気づいてしまう。どんなに回り道をしても、結局はそこに辿り着いてしまうのだから。

もし今日会えたら、僕の考えていること、そして、これまでありがとうと伝えよう。

僕はそう決心し、通り過ぎた細道へと戻り、奥へ進んだ。



しかし、心というのは操縦することが簡単ではないようで、進むにつれて"やっぱり居ないでくれ"と願っている自分もいた。もしルーナが居たら、今日が最後の日になってしまうと思ったからだ。


いつものように背の高い草をかき分け前へ進む。


━━━サッサッ‥‥




「あ!やっぱりソーレだ!」


僕の願いとは裏腹に、そこにあったのは、なにひとつ変わらないルーナの笑顔だった。


「‥‥ルーナ!」


僕は駆け寄り、ルーナに飛びついた。


「ルーナ。会いたかった」


「うん!僕も会いたかったよ。ソーレ」


僕たちはしばらくの間お互いを強く抱きしめ、顔を見合わせ、笑った。また会えた。それだけで嬉しかった。

「コホン」と咳払いが聞こえ、ルーナの後ろを見るとグラートさんが立っていた。


「ルーナ様‥‥」


「グラート。ほんの少しだけ、ソーレと2人っきりにしてくれない?もうどこにも行かない。約束する。だから、少し離れたところにいてくれないかな」


ルーナがそう伝えると、小さなため息を吐き「では、10分だけですよ。向かい側で待機いたします」と、泉の対岸へ向かった。僕たちは、倒れた大木に腰掛けた。


「ルーナはあの後大丈夫だった?グラートさん、心配してたでしょ?」


「うん。グラートにはたくさん叱られたよ。でも、よく覚えてないんだ。ベッドの上に寝ていたことと、おじさんと会話したことくらいしか記憶がなくて。気づいたらソーレと中央の森にいたから」


「でも、またここに来れて良かった。もうルーナは来ないかもしれないって思ってた」


「どうして?」


「どうしてって、きっとルーナの父さんと母さんは、体の跡に気づいただろ?あんなことがあったって知ったら、もう中央の森へ行くとこは許されないかも知れないって思ったんだ」


「‥‥お父さんとお母さんは、あのことは知らないんだ。グラートに言わないでってお願いした。僕もよく覚えてないし、ソーレが言ったみたいに多分すごく心配する。跡は、転んで怪我したってことにしてもらったんだ。でも初めてお父さんとお母さんに嘘ついたなぁ。なんかちょっとドキドキした」


「‥‥そっか‥‥」



僕はこの時、ルーナが覚えていないのなら、わざわざこの話をするべきではないのかもしれないと思った。本当か分からないことを伝えても怖がらせるだけだ。それに僕が何も言わなければ、あの日のことは自然と忘れて、僕たちは普通の、仲良しの友達のままでいられるはずだ。


「ん?ソーレ、どうしたの?」


ルーナが僕の顔を覗き込んで、「なにかあった?」と優しく微笑んだ。ルーナの腕と足首にはまだうっすらとあの日の跡が残っていて、僕の目の周りはぐわっと熱くなった。



「‥‥ルーナ、これは僕の想像なんだ。だから聞き流してくれていいんだけどね」


「‥‥うん。どうしたの?」


「‥‥僕は、警察官だと言ったあの男たちは、本当は連続誘拐事件の犯人なんじゃないかって思ってるんだ」


「え!?」


「しっ!グラートさんに聞かれたから大変だ。‥‥話すかどうか迷ったんだけど、実は、連れて行かれる荷車の中で、僕は意識を取り戻したんだ」


僕はあの日の出来事を詳細に話した。ルーナははじめ眉間に皺を寄せて聞いていたが、はっとしてノートを取り出し、僕の話を一字一句逃さず書き写した。


「あいつらは、袋に入った僕たちを荷台に乗せて、地下室へ運ぶつもりだった。でも、門に入ったくらいのところで誰かが来て、なにか話してた。"白い靴"とだけ聞こえた。それから僕たちは、地下室じゃなくて、あの部屋に運ばれた。まるで、急に予定が変更になったみたいに、すごく慌てていたんだ」


「でも、誤認逮捕だって言ってたよね?それが分かって慌てたんじゃないの?」


「うん。あの万引き事件は本当に起こった事件みたい。でも、新聞で犯人の特徴を見たんだけど、僕たちと全く似てなかったんだ。身長も髪型も。大人が間違えるかなって不思議に思うほど違ってた。それに、帰りに煉瓦でできた古城を見たんだ。あそこはきっと警察署でも刑務所でもない」


「‥‥どうして僕らを捕まえたんだろう」


「だから考えてみて思ったのは、彼らが誘拐犯で、クオーレ地区出身のルーナを、誤って誘拐してしまった。あの日、ルーナは白いスニーカーを履いていた。よく聞こえなかったけど、白い靴の子どもはセラタ地区の人間じゃないと話してたんじゃないかな。それで僕たちにバレないように、誤認逮捕だったと嘘の説明をして解放した。ルーナだけだと不自然だから、僕も一緒に解放された。そう考えると辻褄が合うのかなって」


「‥‥そんな‥‥もし、ソーレひとりだったら‥‥」


「多分、僕は今頃‥‥」


三角座りをしたルーナは、膝に顔を埋め、少しの間動かなかった。そして突然、何かを思いついたかのように勢いよく立ち上がった。


「ご、ごめん!!」


「??どうして、ソーレが謝るの?」


「いや、つまり、この想像が本当なら、ルーナは僕のせいで連れ去られて、殺されかけたってことになるんだ‥‥だから、もう僕とは会わないって言われてもしょうがないって思っ」


僕が言い終わる前に、ルーナはぐっと近づいてきて包むように両手を握った。


「そんなこと言うわけない!これは僕らのせいじゃない。それよりソーレ、一緒に、足を探さない?」


「え?」


「吊るされた足を探すんだよ!それを見つければ、ソーレは南に引っ越してくることができるさ!」


「なんで‥‥急に‥‥」


「僕の足りない頭で考えてみた。どうしたら僕らは、この状況から抜け出せるのか。今の僕らじゃまだ、国を変えるなんてことはできない。だから足を見つけて、大金を手に入れて、南で暮らせばいいんだって思ったんだ。そしたらもうあんな目に遭うこともない。宝くじを当てるみたいな、夢みたいな話かもしれないけど、やってみる価値はあると思うんだ!」


ルーナの真っ直ぐと貫くような視線に僕は圧倒された。


「ほ、本当に言ってるの?」


「もちろん本気だよ!」


ルーナが「いつから始めようかな」と作戦を練りだした時、10分が経ったようで、対岸に座っていたグラートさんが立ち上がり、こちらに向かって歩きだした。


「あ、グラートが来た。たしか、失踪者が出たら新聞に名前が載るよね。その3日後に、中央の森で会おう!約束だよ、ソーレ」


ルーナはそう言って僕に手を振ると、「グラート、お待たせ〜」と帰って行った。






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