元風俗嬢の愛海ちゃん、ストーカー御曹司とせふれになる。

真木

1 思いがけない再会

 サザンカの花が咲く冬の最中、愛海はその街に越してきた。

 愛海はいわゆる風俗嬢をしていたが、持病の喘息がひどくなって、仕事を休むことにしたのだった。

 でも愛海は昔から、底抜けに明るいのが自分の持ち味だと思っていた。両親もお金もなくてちょっと裏道に入ってしまったけれど、お金を貯めたら介助士の資格を取って、おじいちゃんおばあちゃんの世話をするのが夢だった。

 愛海はワンルームに差し込むひだまりで、新しい暮らしにわくわくしながら荷ほどきをしていた。

 荷ほどきはまだまだだったけど、愛海は窓の外のいい天気に気もそぞろになってしまった。

「港、ちょっと見に行くくらいいいよね」

 愛海は弾んだ声でつぶやいて、バッグを肩に引っかけてワンルームを後にした。

 愛海は住宅街から公園を抜けて、港に出るつもりだった。

「……けほっ」

 でも公園を歩くうち、喉が苦しくなって咳き込み始めた。

 生活が変わると調子も崩しやすい。医者からは吸入器を持ち歩くようにと言われているのに、つい新生活の浮き立つ気持ちで新居に置いてきてしまった。

 どうしよう。あんまりお金、使いたくないんだけどな。

 愛海はどうにか公園のベンチに座ると、口元を覆って咳をしていた。そこは木立の合間に隠れるようなベンチで、幸い人通りは少なかった。

「愛海ちゃん?」

 だから最初、その声が自分にかけられたとは思わなかった。

 愛海は咳をこらえながら、にじんだ視界の中で顔を上げる。

「どうしたの? 気分が悪い?」

 屈みこんで愛海をのぞきこんだのは、上質なスーツに身を包んだ涼しげな面立ちの男性だった。しっかりとした肩幅を持っている上に背筋が伸びていて、きっと女性にも憧れの的だと思わせるような人だった。

 見た目は愛海には覚えのない、オフィス街で働く大人の雰囲気をまとう男性だった。けれど名前を呼ばれたのと、優しい目の表情に、子どもの頃の記憶が蘇る。

「……侑人くん」

 愛海が二月だけ一緒に過ごした男の子の名前を呼ぶと、彼は懐かしい照れくさそうな笑顔を返す。

「覚えていてくれたんだ」

 愛海はちょっとむくれたように言い返す。

「だって、忘れないって約束したよ。……け、ほっ」

 愛海は懐かしい友達といっぱい話したいことがあったが、咳がやんでくれなかった。

「ごめ……っ。ちょ、っと、そっと……しとい、て」

 口を覆って顔を背ける愛海に、侑人が迷ったのは一瞬だった。

 彼は携帯を取り出して愛海に言った。

「車を呼ぶ。すぐだから」

 聞きなれない言葉を聞いた気がして、愛海は聞き間違いかと思った。

 侑人は携帯電話で短くやり取りすると、ふいに愛海に腕を回した。

「え……っ」

 いきなり横抱きにされて驚いていると、侑人は愛海に声をかける。

「ちょっと移動するよ。首に腕回してくれると助かる」

「あ、え……と」

 愛海は思わず侑人の首に腕を回してしまった。びっくりして一瞬咳が止まった。

 けれどすぐに咳はまた襲ってきて、愛海はうつむきながらそれをこらえる。

 侑人はそれに気づいて、そっと声をかけてきた。

「大丈夫。俺の胸に顔当てていれば見えないよ」

「けほっ、ごめ……ん」

 愛海は苦しさの中で、安心もしていた。自分を軽々と持ち上げた彼に、頼もしい思いがした。

 運ばれる間に、愛海はぽつりとつぶやく。

「侑人くん、かわった、ね……すっかり、大人」

 侑人はそれに、ちょっと不機嫌そうに返した。

「……俺だって、誰にでもこんなことしないよ」

 まもなく侑人は愛海を抱いたまま公園の出口に辿り着いた。

 そこには車が横づけにされていて、侑人は先に愛海を車に乗せる。

 咳がひどくなって、熱も出てきていた。体を折って咳をする愛海の背をさすりながら、侑人は運転手に命じる。

「急いで病院に向かってくれ」

 熱に浮かされた意識の中で、愛海の背をさすり続ける手が優しい。

 ヒーローみたいだなぁと思いながら、愛海はまさかこれから彼と長い付き合いになるとは、まだ想像もしていなかった。

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