6:兄と姉1

 学院内にある禁忌の場所へ立ち入るという計画は見事に失敗した。狭い抜け道が終わる頃には、彼方かなたに抱えられていた涼一りょういちも目覚めたようだ。衝撃で飛ばされ、壁に打ち付けた背中に打撲を負ったようだが、どうやら大事には至らなかったようである。


 朱里あかりは涼一と不思議な体験について語りながら、ひとまず校庭へ戻ることにした。見慣れた高等部まで戻ると、校庭に設けられた外灯の周りに人が集っているのがわかる。

 クラスメートが一所に集まっていた。


 朱里は見慣れた人影を見つけて、思い切り落胆の吐息を漏らしてしまう。やはり学院側には企みが知られていたようだ。

 姉であり、同時に高等部の美術教師である麟華りんかが、腕を組んでこちらを見ているのが分かった。隣には学級の担任である教師も立っている。いつもの明るい笑みが嘘のように、麟華は戻ってきた朱里に厳しい眼差しを向けていた。


 校庭のあちこちで見張り番をしていた生徒は、既に一通り説教を受けた後なのだろう。一様に俯き加減に首を傾けて、暗い表情をしていた。

 麟華は腕を組んだまま、担任と戻ってきた朱里達のやりとりを見守っている。表情は厳しいままだった。こんな時の彼女は、姉妹だからと言って庇い立てしたりしない。


 担任は現場へ向かった朱里達を、企みの首謀者だと見なしたようである。

 宮迫涼一みやさこ りょういち彼方かなた=グリーンゲート、天宮朱里あまみや あかりの三名には三日間の自宅謹慎が命じられた。

 実際、彼方が煽った計画を、涼一がクラスメートを束ねて周到に仕掛け、実行に移した様なものだ。決して積極的ではなかったが、朱里も協力したことには変わりがない。


 下された罰に不平を唱えるような資格はないと、朱里は素直に受け止めた。涼一と彼方も同じようだ。担任に謝罪をして申し渡された処分を真摯に受け止めていた。

 計画に加担した他の生徒達にも、罰掃除や教科の課題を与えるなどの処分が下るようだが、詳細については翌日の学級内朝礼で発表されるらしい。


 担任から解散の号令が出ると、生徒達はゆっくりと帰途についた。去っていくクラスメートの口数は極めて少なくなっていた。朱里は全てが露見する最悪の事態を迎えたのだと分かっていたが、同時に学級内に渦巻いていた好奇心も収束に向かうだろうと安堵していた。今回の処分に懲りて、彼らはもう二度と無謀な騒ぎを起こさない筈である。



 姉の麟華と何かを話し合ってから、担任も朱里に一声かけると帰路についた。高等部の校庭に人影がなくなると、腕を組んで仁王立ちしていた麟華も、ゆっくりと正門へ歩き始める。

 朱里は張り詰めている姉の思いを感じて、声をかけることができない。おずおずと麟華の後ろ姿を追いかける。高等部の正門を抜けたところで、朱里は気まずさに耐え切れずに麟華の前まで駆け出した。


「あの、ごめん。麟華、ごめんなさい」


 朱里よりも背の高い麟華はぴたりと足を止めて、目の前にいる妹を睨む。朱里はひたすら小さくなって彼女の反応を窺っていた。麟華はわざとらしく、大きなため息をつく。


「朱里が自宅謹慎なんて、びっくりだわ」


 明るい口調で感想を述べられて、朱里はすぐに反応ができない。思わずさっきまでの不機嫌な様子が、自分の錯覚だったのではないかと姉を眺めてしまう。

 麟華は見慣れたあでやかな笑みをうかべて、朱里の額を指で弾いた。


「今まで彼氏も作らずに、地味な学生生活を送り続けていたのに」

「それとこれとは、話が違うと思うけど」

「あるわよ。大ありよ。もしかして、私達に隠れて彼氏がいたりするんじゃないでしょうね?ほら、あの宮迫君とか。そんな交際、私は断じて許さないわよ」


 朱里はすっかりさっきまでの緊迫感を忘れて、麟華に呆れた眼差しを向ける。


「もしかして、そんなつまらないことで怒っていたの?」

「つまらなくないわよ」

「っていうか、こういう場合、姉として、または教師として、学院の規則違反を怒るべきじゃないの?」


 思わず自分でそんな指摘をしてしまう。麟華は綺麗なラインを描く眉を片方だけ動かした。


「あら、その件については担任教諭から散々説教されていたから、もう充分よ。私の出る幕じゃないわ」

 あっさりとした意見である。朱里は一気に脱力感に襲われた。麟華は高等部の正門を振り返って、「それに」と付け加える。

「学院の外では、私は朱里の姉役だし」


 まるで姉であることも役柄の一つであるかのような口ぶりだった。朱里は麟華らしいと笑って、歩き出した彼女の隣に並んで歩く。住まいである邸宅までは目と鼻の先ほどの距離だ。すぐに到着してしまう。

 二人で帰宅すると、兄の麒一きいちが迎えてくれた。リビングの続きに造られた和室から、座卓についたままの麒一に「おかえり」と声をかけられる。彼はそのまま腕をあげて、おいでおいでと妹である朱里に手招きをした。


「ただいま。どうしたの? 麒一ちゃん」


 姉の麟華と双子でありながら、麒一は物静かな印象が漂っている。それが年相応の仕草なのか老けているのかは定かではないが、物腰が落ちついていた。

 墨で染めたような瞳が、麟華と同じ艶やかな煌めきを帯びている。漆黒の瞳に朱里を映して、彼は顔を綻ばせた。


「停学になったそうだね」

「え? どうして知っているの?」


 朱里は思わず背筋を伸ばしてしまった。再び問題を起こした自分に、兄の穏やかな説教が始まるのかと緊張感を取り戻す。


「麟華が知らせを受けて大騒ぎしていたよ」


 麒一は低く笑い声を立てた。朱里の予想とは裏腹に、麒一は控えめに笑い続けている。麟華がリビングの板張りから和室の畳の上にあがりこんで来た。兄妹三人で座卓を囲む、よくある光景が出来上がる。


「今まで地味に過ごしてきたのに、どうした風の吹き回しなのか。麟華はこのきっかけを喜んでいるようだけど、私は違うよ。朱里、問題を起こすことは好ましくない」


 口調は柔らかだが、麒一は厳しいことを突きつけている。朱里は俯いて「ごめんなさい」と呟いた。

 理事長の娘であり、学院の教職につく兄妹を持つという重責。

 朱里は今まで、深く考えたことがなかった。麒一がそんなことを示唆するのも初めてのことだった。


「学院にも、麟華にも麒一ちゃんにも、本当に迷惑をかけたと思う。ごめんなさい」


 座卓にゴツンと額を打ち付けるようにして、朱里は頭を垂れた。


「それ、意味を取り違えているわよ」

「え?」


 朱里が顔をあげると、麟華が続けて口を開く。


「麒一が言っていることは私達のことじゃないのよ、朱里。学院や理事長の威信を汚すということでもない。そんなことのために行動に気をつけろ、慎めと言っているわけじゃないのよ。ただ、あなたのためなの。あなたを護るために言っているのよ」

「うん。麟華、それもよく分かっているつもり」


 妹の過ちはきちんと正す。そのためには厳しく教えなければならない事もあるだろう。麒一が兄として朱里の道徳を守ろうとしている証だ。朱里は兄と姉の配慮を汲み取ったつもりだが、麟華は「違うってば」と首を横に振った。


「だから、違うのよ。朱里。言葉通りなの。あなたを護るためなのよ」


「言葉通りって……」


 朱里は自分の抱いた反省とかみ合わない物を感じて、麟華と麒一の顔を交互に眺めた。麒一は困ったように苦笑している。


「麟華は堪え性がない。……朱里、麟華の言ったことは聞き流すといい。ただ、私は朱里を護るために厳しいことを伝える。それだけを分かっていてくれればいい」

「――うん」

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