アップルウォッチ
甘い秋空
アップルウォッチ(一話完結)
「マイさんの時計、アップルウォッチですよね?」
私に話しかけてきたのは、ヘルプ社員の若い男性だ。
私の働くドラッグストアは、東京の山手線外周に位置し、レジの台数は二つだが、まぁまぁ流行っている。
彼は、商品管理部の社員だが、レジ係が休暇の時、月に一回程度ヘルプとして来てくれている。
まぁまぁのイケメンで、年齢が結婚適齢期でもあるため、女性店員の間で、評判が良い。
独身の私も、恋心を抱き、密かに狙っている。
左手の白いアップルウォッチは、制服の白衣と合わせたのだ。
こんなところで役に立つとは思ってもいなかった。
「はい」
私は。にっこりと微笑む。時計の話をきっかけにして、デートに誘ってくれるのかな?
彼を苗字で呼ぶことはあっても、名前で呼ぶほどの関係は築けていない。これはチャンスだ。
彼は、私にだけ、特別に良い笑顔で接してくれる。
「マイさんって、お金持ちなんだ」
彼の言葉に、私は訳が分からず、返答に詰まった。
アップルウォッチは、高価だ。モデルによって価格は異なるが、私が気軽に購入できる時計ではなかった。
でも、私はある病気を発症したため、健康を管理する必要が生じ、さらに、もしもの時は救急に連絡するため、無理してアップルウォッチを購入したのだ。
もちろん、最新版ではなく、2世代前のモデルを使い続けている。
「え?」
私は、こんなつまらない声を出すのがやっとだった。
給料を考えれば、営業管理部の彼の方が、レジ係の私よりもずっと上だと思う。
ここは、「そんなことありません」と反論するべきか、「お気に入りなんです」と可愛らしくブリッ子を演じるべきか、迷ってしまう。
「僕の彼女が、アップルウォッチが欲しいと言っているんですよ」
……終わった。さようなら、私の恋心。
「僕、お酒が好きなんだ、マイさんはどう?」
私の名前は、甘井秋子だ。
自己紹介の時、小さな声で「あまいです」と言ったのが、「あ、マイです」と聞こえたらしく、ずっとマイと呼ばれている。
下げているネームフォルダーを見れば解るだろ、クソ野郎が……
さらに、私は医者からお酒を止められている。
……早く仕事に戻れよ! クソ野郎、ほら、先輩が呼んでいるよ。
クソ野郎が走り去ると、私は、ポツンと一人になった。
こんな時に限って、お客さんがこない。
――――
手首でアップルウォッチが静かに震えたので、チラ見すると、お父さんからのラインだった。
田舎に住んでいるお父さんは、今年で定年退職することもあって、末っ子の私が東京で結婚できないでいることを気にしている。
今はお客さんがいないので、アップルウォッチをタップしてラインを読んだ。
『元気か? そろそろ実家に帰って来るか?』
結婚の目途がなく、病気もちでもある末っ子を心配してくれるのはわかるが、こっちからすれば、余計なお世話である。
でも、今は実家に帰りたい気持ちだ。
「実家に帰ろうかな……」
ラインを見たついでに、アップルウォッチで心拍数を見る。私の病気は、悪化すると、心拍数が上がるのだ。
――――
「どうした? 心拍数が上がっているのか?」
先輩が、心配そうに声をかけてきてくれた。
「大丈夫です、正常です」
先輩の加藤勇気さんは、このエリアを統括するエリアマネージャーだ。
グレーの背広姿で、平凡な顔立ちであるが、背が高く、清潔そうで、独身だ。
しかし、結婚を約束した彼女がいるとのことで、独身女性からの人気は低い。
でも、なぜか結婚したとの話は聞こえてこない。
さらに最近は、女性を避けているような、女性を信じないような雰囲気をまとっていて、ますます人気が下がっている。
でも、私が言うのもおかしいが、仕事は真面目だし、将来性もあり、浮いた話も聞かない。もしかしたらキズ物かもしれないが、普通に優良物件である。
――――
「あら、久しぶり」
レジに来た女性が、先輩に声をかけた。
少し派手目な美人だ。
「三カ月ぶり? 認知調停以来ね」
先輩の顔は、一見は営業スマイルだが、私から見れば、痛みにゆがんでいる。
これは、訳ありだ。私が察するところ、女性は先輩の元カノだ。
女性は、長財布から、このドラッグストアのポイントカードを探している。
たくさんのカードの中に、ある産婦人科の診察券を見つけてしまった。あそこは、中絶専門だと、店員仲間から聞いている。
これは、きな臭いぞと、私のカンがささやくので、急いでレジを終わらせる。
「私は、よりを戻してもいいのよ? クソ真面目な貴方を好きになる女なんていないでしょ?」
先輩に言った女性の一言で、私の中で何かがキレた。
「ここにいます……加藤マネージャーは、私が尊敬する素晴らしい男性です!」
――――
見た目だけつくろって、中身が腐った女は、怒った顔をして、店を出ていった。
「ありがとう、秋子さん」
先輩が、黙って耐えていた口を開いた。
あれ? 私を名前で呼んでくれた……
「いえ、余計なことを言って、申し訳ありませんでした」
普段は無口なのに、何かスイッチが入ると、攻撃的に口を出してしまい、そして後悔する。私の悪いクセだ。
「あの……加藤マネージャーは、お子さんを認知したのですか?」
あ~、本当に余計なことを訊いてしまった。
調子に乗ってしまうのも、私の欠点だった。
「いや……調停は、俺の子供ではない事をはっきりさせただけなんだ」
先輩は少し辛そうな表情を浮かべた。
ミスった。先輩との赤い糸が切れたかも……
「お礼に……食事をおごろうと思うのだけど、どうだろう?」
先輩が食事に誘って来た。
仕事以外の会話などない男性だと思っていたのに。
「あ、私、牛タンが食べたいです。近くに美味しいお店があったんです」
「そのお店は、駅ビルの7階?」
「そうなんです、ご存じでしたか?」
先輩の滅多に見せない笑顔を見ることができた。
なんだか、先輩と私は、好みが一致しているようだ。
――――
先輩を、今は苗字で呼んでいるが、将来は名前で呼んでいる……そんな予感がする。
お父さん、ごめん。
『秋子は、もう少し東京で頑張ります』
FIN
アップルウォッチ 甘い秋空 @Amai-Akisora
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