たそがれ荘はふみづきにつき、 #文披31題
かこ
#7/1 #夕涼み #カイピリーニャ
遅れてやってきた梅雨に喜んでいた
夕食を終えたばかりのシェアハウス たそがれ荘の食堂の横を通りすぎて、談話室扱いの居間の前にたどり着いた。見慣れたガラス張りの引き戸に『𝕋𝕒𝕤𝕠𝕘𝕒𝕣𝕖』と洒落た札。近く見れば、段ボールの端切れにデザイン性のある文字が書かれているだけだ。
「タッキーは幸運だねぇ」
呑気な声は含みのある言い方で居間の戸を開けた。
未だに、はっちゃけたあだ名に慣れない
「
「まぁまぁ、そう言わず」
「部屋に戻ります」
「タッキーさぁ、たそがれ荘の鉄則、覚えてるよね?」
たそがれ荘の訳あり住人には絶対に守らなければならない約束ごとがある。
一、過干渉しない事
一、朝食は食堂で食べる事
一、婚前交渉は敷地外で行う事
一、前世の因縁は水に流す事
心当たりのある琉生は光を失った瞳で、退居する算段をつけてしまったが、まだ入居して、やっと三ヶ月が過ぎた所だ。生活能力が皆無な身としては、朝晩にあたたくバランスが考えられた食事は捨てがたい。前世の因縁を現世まで持ち越して私生活を左右されるのは甚だ遺憾だ。加えて、妹には意気地無しの根性なしとさげずまれることは確実な未来だろう。非常に面倒だ。歩み寄りはできなくとも、顔を見て近所の猫かと流すぐらいにはなりたい。
もろもろを天平にかけた結果、自己啓発のためだと結論づけた琉生は腹の底から息を吐き出した。榊山の横に陣取る。
「仲良くしよーよ」
からかいを含んだ声を投げてよこした
色素のうすいクセのない髪は顎から肩にかけて軽やかに弧を描き、背の中ほどにまで流れる。瞳も
洋装も根付いていなかった頃の
目を背け、空に視線を投げた。
雨が上がったばかりの世界を染めるのは橙色だ。紫で濃淡を描き、艶やかな紅色が空に溶け込む。
色と色の狭間に、かつて山を
見間違えだと琉生は目をすがめる。
嘲笑うかのように喉の奥から声を上げた綾鳥が立ち上がった。口元をゆるめたまま、怠慢な動きで首筋を撫で眉を上げる。
「榊山さんはノンアル?」
「うん」
「琉生は甘くなけりゃ、何でもいいよね」
独り言のような言葉を投げるだけ投げた綾鳥は確認もせずに立ち去っていった。
しこたま文句を言いたげな顔で気だるげな背を追った琉生は、雨よりもじとりとした瞳を榊山に向ける。
「何がしたいんですか」
「親睦会」
疲れきった声にあっけらかんとした声が返された。
しばし耳の後ろをかいた琉生は、戻っていいですかと目だけで問いかける。
「これからがお楽しみじゃないかぁ」
「飲み会なら付き合いますが、アイツ、まだ酒を飲める歳じゃないでしょう」
「夕涼み会だから、だいじょーぶだって」
ほら、いい匂いもしてきたし、と榊山は万歳をした格好で後ろに倒れこんだ。湿っぽい視線など気にかけるわけもなく、板張りの涼しさにすり寄っている。
融通のきかない琉生が、苦言を申し立てたくなるのも無理はない。
「三津さんに怒られますよ。晩ごはん後に食べるもんじゃないって」
「許可もらってるもーん」
「はい、お待ちどーさま」
けらけらと笑う榊山の額にオレンジ色の液体が入ったグラスが置かれた。背が高く、細身のグラスにはストローがさされている。
ほい、とおざなりに渡された琉生も反射で受け取った。
ロックグラスの中には緑色の柑橘がたゆたっている。見た目にも涼やかなカクテルは無色透明だ。紺が混じり始めた夕焼けをほんのりと映した。
飲んでみろと言いたげな目に促されて少しだけ口に含む。散々な嫌がらせはいやというほど味わってきたが、食べ物を粗末にすることはないと知っていたからだ。
キリリとした酸味とアルコールの苦味、まろやかに際立てるためのほんの一匙の甘味。すっきりとした飲み口に琉生は感心した。
目を見張る顔を眺めていた綾鳥の口がゆるりと開く。
「
途端に温度を落とした瞳が戯言をほざく鳥をにらみ上げる。
「失礼極まりないな」
「そ? おいしいなら、何でもよくない?」
「まずくはないが……て、なんで酒を飲めないお前がカクテルに詳しいんだ」
「聞いちゃう?」
教えなくもないけどー、ともったいぶる綾鳥を相手にするはずもなく、もう一口カクテルを火照った体に流し込む。喉を焼くアルコールの冷たさが胃を府を熱くしているのか、冷ましているのかわからない。
だが、三津さんからの差し入れ、と追加で置かれた軟骨の唐揚げが、ひどく舌を喜ばせたのは確かだ。
いつの間にか、女性二人に挟まれる形になった琉生は早くこの時間を終わらせたくて、無言で飲んで食べた。なかなか飲み込めない軟骨が難儀だ。
朱色の飲み物を喉に流し込んだ綾鳥が琉生を覗きこむ。
「おかわりなら、いくらでもあるよ」
「いりません」
「琉生ってお酒に酔わないね」
「どの口が――」
続けようとした口は一文字に結ばれた。強く苦く結ばれ、言葉は飲み込まれる。
訳知り顔の綾鳥は小首を傾げるだけだ。
「不思議なんだけどさ、どうして君達、そんなに仲がいいのさ?」
重々しい空気を割いたのは、ただ耳を傾けていた榊山だ。
優艶に紡がれた言葉は、琉生を激昂させるのに十二分すぎる。一気に酒を煽り、グラスの底を床に叩きつけたかと思えば、その場を辞した。
残された二人は空いた隙間に風を感じながら、会を進める。
「恨まれてるねぇ」
「上等ですね」
「仲良くしないの?」
榊山の切り込みに、綾鳥は考える素振りを見せたが、何も言わない形で終わらせた。
何だかなぁと榊山は笑う。
シェアハウスたそがれ荘は訳あり達の婚活会場だと言っても差し支えがないのに、変わり者で偏屈で、頑固者ばかりが集まる。
甘みを苦味がすっきりとまとめてくれる一口で喉を潤した榊山はやれやれと独りごちる。
「ま、盃を交わして腹を割ればいいか」
「ノンアルでしょ」
「細かいことは気にしない気にしない」
早退者が知らないところで、酒もつまみも美味いが、話がまずい夕涼み会が始まったのだった。
܀𓏸𓈒◌𓈒𓏸܀܀𓏸𓈒◌𓈒𓏸܀
誕生酒:カイピリーニャ(意訳:田舎者)
酒言葉:素朴
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