あの子
「本日は本当にありがとうございました。ありがとう、みんな――」
嵐のような拍手につつまれながら、彼女はふかぶかと頭を下げる。そのまま舞台袖にはけていき今夜のミニコンサートは幕を閉じた。
俺はそんな彼女をねぎらおうと控室に向かった。
「はあい、どうぞぉ……あら、あなた」
扉をノックすると明るい声が返ってきたが、俺だとわかるとすぐにトーンダウンした。すぐに鏡に向き直り身支度を調えはじめる。それを俺は控室の扉にもたれかかれて眺めていた。
「今夜も素晴らしかったよ。君の歌声はまさに、みんなの言う通り神様からの贈り物なんだろうね」
「プレゼントを最大限に使いこなせるのは私のセンスよ」
「その通りだ、君以外に宿っていたらもてあまされて、最悪しんでいただろう」
「今日はその言葉で満足してあげましょう。……本当に、特に今日は最高のパフォーマンスができたと自分でも感じているから」
化粧を落として尚、満足気な表情が彼女をきらめかせる。自身の歌に充足感を感じて、もう何も手につかないとばかりに無防備な姿をさらすのは彼女のかわいいところだ。だから舞台のあとはかならず彼女を迎えにいくことにしていた。
衣装や小道具をまとめる背中に
「俺のために歌ってくれた?」
とたずねる。彼女は手を止めて、鏡越しに俺を見た。
「いいえ。今日も私の歌はあの子のためのものよ」
「……そうかい」
「ええ」
舞台のあと、俺は毎回こうやって問いかけた。彼女は決まってあの子のためだと答える。一度だってそれが違ったことはない。
俺はあの子が誰なのか知らない。かかさず彼女の舞台を観に来る、彼女に歌をくれた人なのだということだけ。彼女はあの子の話をするときひどく懐かしそうな、俺の知らない顔をする。どこか遠くを想って、大切にしまっている記憶を抱きしめている。近頃は、彼女の歌声を神様からの贈り物だと世間から讃えられているものだから、俺はあの子とは神様のことなのかもしれないと思い始めている。彼女はいっさい口を割らないから真相は知らない。
「あいかわらず、自分でたずねたくせに納得のいかない表情ね」
「わるかったね」
「悪いとは言ってないわよ」
なだめるような笑みを浮かべる彼女は、ずいぶんと大人びて見えるから不思議だ。俺と大して変わらない歳なのに。
「先に車を用意しておくよ、はやくおいで」
控室から出る。扉が閉まり切る前に彼女の声がわずかに聞こえた。
「ええ。……懲りないわね」
いつか、彼女が歌う俺のための歌をききたいと切望しているのを知っていてこう言うのだからひどい女だ。
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