第一・五章 大学生デビュー! 恋に青春に真っ盛りですか?③

「誰も送ってこないっ……!」


 すみれ先輩が目の前でくすくす笑う。

 今日はいつもの椅子じゃなくて、麻琴と同じようにパイプ椅子に座る。

「笑わないでくださいよ。それに『誰も』ってことは、すみれ先輩も送ってないじゃないですか」



 麻琴が文化祭の手伝いをすることが決まった日から、二週間が経過しようとしていた。


 その間に文化祭で書きたいテーマを部員たちに募集した……のだが、目の前の先輩含め、誰一人として案を送ってこなかったのだ。

 あの部長ですら考えてくれなかったのは、麻琴にとってなかなかショックだった。


「麻琴くんがやりたいこと、決めちゃえばいいんだよ」

「僕みたいな、入ったばっかのヤツがいいんですか?」

「いいのいいの。みんな決めてほしいんだから」

「うーん……」


 麻琴はサークル活動というもの自体がよく分からないし、合同誌も何冊か見せてもらったけれど、どんなアイディアが秀逸なのかさっぱりだった。


「考えるのって、面倒だからね。他の人にやってほしいんだよ」とすみれ先輩は言った。

「どんな企画なら、書きやすいんでしょうか?」

「それを言う? ドツボにはまっちゃうよ」


 今日の先輩は楽しそうだ。

 部室のBluetoothスピーカーをスマートフォンに繋ぎ、いつものクラシック音楽を流す。

 穏やかに、厳かに、密やかに、音楽は空間を満たす。


「色々と解釈ができて」

 麻琴は相槌を打ちながらメモする。タイピング音とクラシックピアノのアンサンブル。


「テーマの理解に時間がかからなくて」

「はい」


「書きやすくて、特定の主義主張を押し付けなくて」

「それで?」


「うんざりするようなよくあるやつじゃなくて、書きたくてうずうずするようなテーマ」

 すみれ先輩は目元を細めて笑う。その笑みには明らかに意地悪が含まれている。


「まあ、なんでもいいよ」

「なんでもいい人は、そんな難条件を突きつけませんって……」


 麻琴は改めてぐるりと部室を見まわした。

 海外小説、哲学書、ライトノベル、日本文学、漫画、歴史書、イラスト集……歴代の先輩方が残していった書物が、大雑把にジャンル分けして並べられている。


 その混沌さがたくさんの人の頭の中を覗いているようで楽しいが、テーマの設定を難解にする。クラシックピアノがこの空間に調和しているのは、ほとんど奇跡みたいなものだ。


「この曲……」

「うん? ああ、これは――」

 すみれ先輩が答える前に、麻琴は口を開いた。


「曲をテーマにするのはどうでしょう? それもボーカルがない、今流れている楽曲みたいな」

 すみれ先輩が顔を上げる。


「麻琴くんって、音楽とかやってたの?」

「いや、全然、まったく。でも、部室に来るたびに聞いてたら気になってきて」


 麻琴は両手を横に振りながら、恥ずかしそうに下を向いた。

 よくよく考えると、クラシックピアノを聞いて小説を書くなんて、ロマンティック過ぎたかもしれない。

「……この曲はね、ショパンの『別れの曲』っていうんだよ」


 すみれ先輩はぽつり、ぽつりと話す。

「曲を聞いて小説を書く、か。いろいろと空想を膨らませられるし、一曲だけなら時間もかからないし。うん、いいね。とてもいい」


 先輩の顔がほんのりと赤らんでいるように見えた。それは窓から入ってきたう夕陽によるものなのか、麻琴には判別がつかなかった。

 けれど、そのとき初めて、先輩が自分のことを単なる後輩の一人ではなく「雛田麻琴」という一人の人間として見てくれたように思えたのだった。


「よく頑張ったね。そんな麻琴くんにご褒美」

「ご褒美?」


「厳院先生の別荘に、夏休みの間来ないかお誘いいただいているの。麻琴くんも予定が合いそうならおいでよ。いつも一緒にいるあの子も連れてさ」


「一緒?」

「うん、円香ちゃんと」

 麻琴は上機嫌な気持ちがちょっとしぼんだ。

 すみれ先輩にそう思われているのは複雑だ。


「いつも、は一緒にいないですよ……?」

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