第一・五章 大学生デビュー! 恋に青春に真っ盛りですか?①
関東随一のマンモス校である帖堂院(じょうどういん)大学の大教室は、無駄にだだっ広い。
学生を百人は収容できるらしい部屋、大きな黒板、ずらっと並ぶきれいな机と椅子。だけど、みんな幽霊でも前の席にいるかのように、後ろの席を陣取っている。
みんな、受験でそれなりに頑張ってきただろうに。なんで、入学するとやる気がなくなっちゃうんだろうねえ。
佐藤円香は同じ授業をとっている彼を探しながら、内心そんなことを思う。まあ、円香自身もあまり真面目な方ではないし、人のことは言えないのだが。
彼も例に漏れず、後ろの席を選択するタイプだったら……存在感が薄いし、探すのはちょっと大変だっただろう。
けれど、そんな心配はない。彼はいつも教室の左前方に座るから。
いかにも大学生デビューって感じの、パーマなしの茶髪。ろくにセットしていないから、派手な髪色が浮いちゃってるけど、そんなところも憎めない。家庭料理みたいな安心感があるタイプ。
「きょーかしょ、みーせて!」
隣の席にわざと粗雑に座って、おどけたように笑う。
「佐藤さん、まだ教科書買ってないの? もう二週目だよ」
彼は呆れたようにジトリとあたしを見つめる。
「だって、バイトとかサークルとか色々やってたら、ね?」
「ね? じゃない。大体、小説サークル、ジャズ研と、ファミレスバイトまでやってたら、そうなるに決まってるだろ」
「大学生になったら、色々はっちゃけたい! っていうのが爆発しちゃって」
テヘッと笑ってみせると、仕方ないな……という顔になった。よし、あと一押し。
「次は買うからさ。絶対の、絶対」
「はあ、そうやって来週も見せてる気がするんだよなぁ」
そう言いながら、円香の方へ向けて教科書をずいっと差し出した。よしっ、目論見大成功!
「えへへ?! ありがとっ。あっ」
「今度は何?」
「まーた、佐藤さんって呼んだでしょ? 円香ちゃんって呼んでって言ったのに。あたし苗字は可愛くないから、名前の方が断然好きって」
「僕は佐藤さんみたいに陽キャじゃないので」
「ええ? さみしい~~! そんな髪型試すほどなんだし、大学生デビューしちゃおうぜ! ウェイウェイしようぜ?」
「ウェイウェイしない。髪型は金貯まったら、もうちょっと落ち着いた色に染め直す」
「ちぇー、すみれ先輩は下の名前呼びなくせに?」
眉間に皺が寄った。おっと、そろそろからかうのはやめたほうがいいだろうか。ちょっと、いやかなり、やりすぎたかもしれない。だって、反応がいいんだもん。
「円香さん……うん、ここまで譲歩するから。髪型とすみれ先輩は禁止、いいね」
ちょっと赤らんだ顔で、周りを気にするように小声で彼はそう言った。いかんいかん、にやけてしまいそうになる。
「えへへ、いいよっ。麻琴くん!」
彼女は、なんで僕に頼むんだろう。雛田麻琴は、やっぱり人間関係って苦手だと内心うなだれた。
そんなことを気にもせず、強引に教科書の閲覧権を勝ち得た円香は、ルーズリーフとシャープペンシルを取り出して「火曜五限 宗教学A」と書き込む。
この授業の教授は教科書半分、板書四分の一、口頭四分の一の割合でテストに出す。なので、ノートをしっかりととる必要があるのだった(去年度成績優秀者のノートコピーはそれなりの価格で取引されているらしい。なお、真偽不明)。
「この授業、ノートちゃんと取らないと落単もあるんだよね?」
「らしいね」
「うえー、あたし絶対いつか寝ちゃうよ。一回目も、あと少しで安息の地に旅立ちそうになったもん」
安息の地ってなんだ。確かに、眠気を誘う声の先生だけども。
「ノートも貸して、なんて言わないよね? 来週から教科書だって貸さないよ」
「ケチ。協力してシフト組もうよ。どちらかが絶対起きてるようにしよう!」
「なんで、そう楽な方にばかり……」
「あきれた、って顔してるけど! あたしはできることを精一杯やるタイプなんだよ。予言するけど、麻琴くんだって絶対寝るから」
その言葉に麻琴の眉がピクリと動いた。
「……寝ないよ、絶対」
売り言葉に買い言葉ってやつだ。
その後、二人仲良く睡魔に負けてしまったのだった。
ほとんど意識がない状態で書いたノートが、二人で考察すれば解読可能だったのが救いと言える。
二人でああでもない、こうでもないと言いながら、なんとかノートの復元に成功したのだった。
「佐藤さんは――」
「円香」とすかさず言う円香に麻琴は呆れたように言い直した。
「円香さん、今日もジャズ研で文芸には来ない? 部長が、サークル費をそろそろ集めるって言ってたよ。昼休みでもいいから、来週までには集めちゃいたいってさ。じゃあ僕、文芸だからここで」
伝えておいてね、とすみれ先輩に言われたことを言い終わった麻琴は、そそくさと席を立とうとする。その手首を握って、円香はにっこり笑った。
「あたしも行く、サークル費払っちゃいたいし」
ね? と言われると麻琴には何も言えなかった。
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