いつまでもこのままで

ようよう

前編

 夏の大会を終え三年生が引退し、二年生が引っ張っていくこととなった野球部が放課後のグラウンドを占領していた。その練習を横目に僕は、住み慣れた自宅へ帰るために駐輪場へ向かっていた。周りには友達とカラオケに行こうとはしゃぐもの、人目を気にせず恋人とイチャイチャするもの、友達と談笑するもの、それぞれが皆、それぞれの青春を謳歌している。そんな中僕は、晩夏の生ぬるい風にどこか懐かしさを感じながら一人帰路に就いた。


 家に着くと何か少し違和感を覚えた。車の位置だろうか、それとも庭に生えてる木だろうか。違和感の正体に気付かないまま僕は玄関の扉を開けた。

「ただいま」

 いつもなら母か妹が『おかえり』と出迎えてくれるのだが、今日は静かなままだった。二人で買い物にでも行っているのだろう。僕は違和感の正体をそう解釈した。

 荷物を降ろし、いつもの癖でスマホを開きメッセージを確認していた。僕の悪い癖だ。いつ見てもメッセージ欄に変化などないのに。気を紛らわすために母と妹が帰ってくるまで本を読んで待つことにした。

 時刻が夜の七時を回ったころ、妹たちが返ってきた。

「ただいまー。ねえお兄ちゃん、植木鉢のあれ、なに?」

 僕は何のことかさっぱりだった。

「あれってなに、僕は何も知らないけど」

「ふーん、じゃあいいや」

 そういって妹は自分の部屋に行ってしまった。僕は何を言っているのかよくわからなかったが、読書の続きをすることにした。しかし、やはりさっきの妹の発言が気になり、読書に集中できない。妹の話によれば植木鉢に何かあるようだが、今は何も育ててないはずだ。それに植木鉢など、玄関のそばに置いてないから目につくはずがないのだが……いろいろ考えても仕方ない、外に出て確かめることにした。

 外はすっかり暗くなっており、街灯には虫が群がっていた。夏も終わりかけ、さすがに夜は少し冷えるようになった。『植木鉢のあれ』が何かを確認したら早く中に戻ろう。植木鉢は玄関から少し歩いた小さな門の隣に置いてあるはずだ。近づいて確認してみるとそこには、細い木の枝で作られた腕くらいの長さの白い旗が立っていた。

「………なんでこれがこんなところに」

 こんなところにあるはずがない、これはあの時あの場所で失くしたはずだ。しかしそれは今、僕の手の中にしっかりと握られていた。僕の頭の中は焦りと動揺でいっぱいだった。そんなはずはない、ではなぜここにある、ありえない、何かの間違いだ、きっとそうだ、もう家に戻ろう。そんな思考とは裏腹に、僕の足は『いつもの場所』へと大きく踏み出していた。



 俺には幼馴染がいた。そいつとは毎日のように遊んでいた。晴れた日は近所の公園で砂遊びをして、雨の日は合羽を着て水たまりで飛んだり跳ねたりしていた。あの頃の俺たちは誰が見ても間違いなく『親友』と呼べただろう。

 そんなある日、ふと俺は公園から学校まで走ろうと言い出した。

「そんなに遠くもないんだし、走ろうぜ。たまには砂遊びばっかりじゃなくて体も動かさないとな」

「いやだよ疲れるし。それに体も動かさないとって、学校で体育やってるでしょ」

「いいからいいから、ほら行くぞ」

 そういって俺は無理やりあいつの手を引っ張って走り出した。あいつもなんだかんだ言っていたが一緒になって走っていた。

 公園から学校まではそこまで遠くもなく、平らな道で険しくもない。だがこの時はあえて、遠回りをして山を登るルートをとっていた。

「ねえ、なんでこっちに来たの。もうへとへとだよ……あれ、どうしたの?」

「なぁ、あれ……」

 そこには森の中にポツンと、小さな小屋があった。何かの倉庫のようなものなのだろうか、人が住めそうな雰囲気ではなかった。

「ちょっと見てみようぜ」

「え、ちょっと!」

 制止の声も届かぬうちに、俺はずかずかと敷地内に入っていった。小屋の周りは木や雑草が無造作に生えていて、長年手入れされていないかのように見えた。近づいてみるがやはり人の気配は感じられない。引き戸に手をかけ、少し力を入れてみる。鍵は開いているようだ。

「すみませーん、だれかいますかー?」

 恐る恐る中に入ってみる。中には何もなく、目立った傷や汚れなどもなかった。普段から人が立ち入るような場所でもなく、何のために作られたのかは謎だったが、当時小学生だった俺は非常に興奮していた。

「なぁここ、俺たちだけの秘密基地にしないか?」

「え!?でももし誰かがここを使ってたら……」

「大丈夫だって、こんなところに人なんか来ないよ」

 この日から俺たちの遊び場はこの小屋になった。

 各自で必要なものを家から持ち込み、本格的に俺たちの秘密基地が出来上がった。

「俺たちの秘密基地の証に、ここに旗を立てようぜ」

「旗?」

「そう、旗。二人の秘密基地だから……旗は二つ立てよう。俺は赤かな、ヒーローみたいでかっこいいし。」

「じゃあ僕は白かな。なりたいものとかない僕はまっさらな白紙のようなものだし。」

「なにわけわかんないこと言ってるんだ?とりあえずお前は白でいいんだな。」

 そうして家から持ってきた赤と白の布を、近くに落ちていた木の枝に括り付けて扉の前に建てた。

「これで完成。俺たちの秘密基地だ」

 俺たちはこの『いつもの場所』でたくさんの時間を共に過ごし、この関係も変わらないまま大人になって、ずっと『親友』でいるのだと思っていた。だが現実はそううまくはいかないものだ。

 やがて時は過ぎ、俺たちは中学生になった。中学に上がるとクラスは離れ、互いに部活が忙しくなり一緒にいる時間も減っていった。それでも家に帰ったら、やれ今日は宿題が多いだのやれ部活が忙しいだのとメッセージでのやり取りはしていた。いろいろ落ち着いたらまた前みたいに一緒に過ごせる時間が増える、そう思っていた。なんせ俺たちは『親友』なのだから。

 一つ上の先輩が夏の大会を終え部活を引退し、これからは自分たちがチームを引っ張っていくことになったある日、珍しく『親友』の方からからメッセージが届いた。いつもは俺の方から何かを送ることがほとんどからどうしたのだろう。そう思いながらスマホを開く。部活が終わったら『いつもの場所』に来てほしいとのこと。ちょうど部活も終わったころだったので、二つ返事で向かった。

 森の中はマイナスイオンで溢れているのか、街中よりかは少し過ごしやすい空気だった。久しぶりに訪れる『いつもの場所』はあのころから何も変わっていなかった。まるで俺たちの変わらない仲を映しているかのように。ただ一つ変わっていることと言えば、そこにいるのは幼かったあの頃の俺たちではなく、少しばかり大人に近づいた二人であるということだ。少し成長した『親友』と顔を合わせる。ここも懐かしいな、何も変わってないな、そう声をかけようと思った矢先、俺は自分の耳を疑った。

「もうここを秘密基地と呼ぶのはやめよう。これから先、ここに来ることもきっとなくなってしまう、———」

『親友』はまだ何か話していたが、そこから先は俺の耳には届いていなかった。何を言ってるんだ?もうここに来ることはない?俺の中には怒りにも悲しみのも似た感情が湧きあがっていた。『親友』だと思っていたのは俺だけだったのか?裏切られた気分だった。

「そうか、お前は変わっちまったんだな」

 すべての感情を込めそれだけ言い残すと、俺は自分で作った赤い旗を手に取り怒りのままにそれを折った。近くに投げ捨て走り出す。『あいつ』は呼び止めることもなくただ黙って突っ立っていた。『あいつ』にとって俺やこの場所はその程度のものだったのだ。そう思い悲しみに暮れながら、逃げるようにその場から立ち去った。



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