7話 パリディユス(5)



 ガタガタと、揺れる馬車内には静寂が広がっている。

 振動が起こるたびに、カーテンを留めているタッセルが揺れていた。馬車内がほんのり明るいのもあってか、窓を見つめても、彼女自身の怯える表情と、その奥にいる男の大きな形が見えるだけ。

 パリディユスは、窓越しに見える並んで男を見ないようにして、今までにないくらい怯えた表情の自分自身と見つめ合っていた。

 

 目が覚めて、丘下の町が攻め入られ燃えているのを見て、西の塔から炎が噴き出しているのを見て、死を覚悟した。

 災い姫なんて呼ばれているが、パリディユスは王と王妃の間に生まれた列記とした姫。国が攻め落とされたとなれば、首を斬られ晒し者になってもおかしくはない。

 彼女がいた東の塔に火が回っていれば、焼け死んでいたって不思議ではない。


 ――だから、わたしは死を覚悟した。

 だって、どうしようもない。様子を見にくるような使用人がいるわけでもなければ、誰か家族が連れ出してくれるわけでもない。

 外の状況がわからないで部屋から出てしまう権力者は、好奇心と勇敢さを履き違えた愚か者。――毛頭、彼女にはそんな人間になるつもりはなく、現実を潔く受け止めた。


 しかし、それはそれで愚かだった。

 死ではなく、生を求めようとしたならば、パリディユスは一時の恐怖と苦しみ、そして痛みだけで済んだであろう。そして、毎朝鏡を見るたびに絶望していた生から解放されていたはずだ。

 

 たらればを言い出せばキリがないのはわかっている。

 それでも、パリディユスは思わずにいられなかった。


 ――この男に会わなかったら。

 そしたら、パリディユスは谷底の見えないボロ橋の上で、踏み外さないように、風に煽られて落ちないように、腐った板を踏まないようにと、終わらぬ恐怖で蝕まれることだってなかったはずなのだから。




 *


 


 どれくらい、沈黙の広がる馬車に揺られていたのだろう。

 どれくらい、陰気臭い己と見つめあっていたのだろう。


 気が付けば、カーテンを留めていたタッセルの揺れは止まり、馬車が止まっていることに気が付いた。

 恐る恐ると、窓に映った男を確認するように視線をずらせば、黒々として見えたバイザーを上げている男と目が合う。――いつ、その素顔を見せたのか。

 淡い灰色の目を見開くパリディユスから見えた男は、硝子に反射しているゆえか、所々黒く欠けているところもあった。


 それでも男が、端正な顔立ちをしていることはわかった。

 吊り上る眉とは反対に、紫紺の目は甘く垂れ、少し厚めの唇は緩く弧を描いている。鼻筋も通っていて、朧に映る硝子越しでも、鼻が高いことはわかる。


 男が、パリディユスを命を握っているような酔狂なコレクターでなかったなら、朧げに映る顔に絆され、ときめいたりもしたかもしれない。


「着いたぞ。――私が直々に、部屋へと案内しよう」


 朧に映る男が、卑しく笑った。

 皇帝である男が見せるのには、些か不釣り合いな笑み。パリディユスは肩を揺らしながら男へと振り返った。


「私が怖いか?」

「……」


 何も言葉は出なかった。

 ただ、渇き切った口の中に、かろうじて滲み出た僅かな唾液を飲み込むことしか出来なかった。

 ガチャガチャと音を鳴らし、馬車を降りた男は、パリディユスに向かって手を伸ばしていた。それは、彼女自身が震える体をきつく抱き締めている腕を無理矢理掴むようなものではなく、まるでどこかの王子のみたく、綺麗なドレスを着た姫をエスコートするために手を差し出しているのではとパリディユスは勘違いしてしまいそうだった。

 

 ――勘違い、ではないだろう。

 男は皇帝で、パリディユスはすでに攻め落とされたとはいえ一国の姫だったのだから。


「お前が、私を恐れ慄くたびに、私に不幸が降りかかるのだろう? なら存分にそうすればいい。だが、私を飽きさせてくれるなよ」


 パリディユスが手を取らなかったからか、男は彼女の華奢な手首を掴み、馬車から引っ張り出す。


「――っ!?」


 声ならない悲鳴をあげ、部屋から連れ出された時のように、男の固い鎧にぶつかった。

 男はパリディユスの手首を掴んだまま、空いていた手で細い腰を撫でる。

 冷たく、硬い手に、パリディユスの背筋がびくりと伸びた。


「私は、気が長くはない。勇ましく抵抗するのはあまりいい考えではないぞ?」


 パリディユスの耳元で、男は囁くように言う。

 腰を撫でていた手は、次第に上に上がり、彼女の頸を撫でる。まるで、そのまま掴んでしまうかのように、男は親指で女であるパリディユスの突き出ていない喉仏を摩った。

 ツーっと、指先の金属で擽るように触る男に、パリディユスはそこはかとない恐怖を感じた。このまま一思いに、男が撫でている部位を力強く押されれば、息が出来なくなってしまいそうだ。


 馬車の椅子に膝立ちしているパリディユスの呼吸が、次第に荒くなる。

 男にされるがまま、パリディユスは震えていた。


「さて、私の小鳥は、どのようにして案内されたいだろうか? このまま肩に乗せて運ぶか? それとも、素直にエスコートをされるか?」

「……っ」


 恐怖で声が出ないままでいると、男は「早く答えろ」と笑いながら、グッと喉に触れている指に力を込め始めた。一息にではなく、徐々に込められていく力に、パリディユスは苦しむような声を出しながらも慌てて言葉を上げる。


「……っう……あ……、歩き、ます!」


 ほんの少し押し込められた所で、ピタリと男の指が止まる。


「っ……げほっ、ごほっ」

「中身は出すなよ? 私はまだ、お前を殺したくはないのだから」

「……っう」


 咽上がる咳を飲み込むように、パリディユスは堪える。どうにか、鼻で息を吸い吐く。それを繰り返し、無理矢理咳を止めた。

 パリディユスが深呼吸を続け、落ち着いてもなお、男は彼女の頸を撫で、抱き止めている状態から離す様子はない。


「あ、あの……歩き、ます」


 おずおずと、パリディユスが声を上げるも、男はそれを無視して、彼女を抱えた。

 急に視界が馬車の天蓋よりも高くなり、馬車から離れ出す。

 男が歩くことによって、ゆっくりと上下する振動に、パリディユスは困惑し、くつくつと笑っている男の方へと顔を少しずつ動かした。


「裸足で歩くと言うならば、止めはしない。――だが、私は汚れた足で城へ入られたくはない」


 大人しくしてろ。

 そう言われ、頸を掴む手に力を込められたパリディユスは、男の表情を確認する前に、震える身を軽く預けた。


「お前の部屋は、私の部屋から最も近い場所にしよう。そうすれば、お前を虐めるのも容易いだろうしな」


 掴まれたままの頸が撫でられる。

 なるべく刺激しないよう、パリディユスは男の言葉に小さく頷くしかなかった。

 

 

 

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