6話 パリディユス(4)
「――とうに、……ろだな」
男が壊れた扉付近にいるのと、バイザーが降ろされているのもあってか、彼女に向けられた呟くような声は、聞こえ辛かった。
それでも、パリディユスには男がなんて言ったのか、わかってしまう。
――きっと、この肌や髪のことを言っているんだわ。さっき、災い姫って呼んだのが聞こえたもの。
声の主が今、どんな表情を浮かべて言っているのかは不明だが、カーテンにしがみ付いているパリディユスを見て、驚いているのは確かだろう。
頭の先から爪先まで真っ黒な鎧を身に付けている騎士は、赤いマントを靡かせながら彼女の前まで歩み寄ってくると、視線の高さを合わせるように、片膝を立ててしゃがみ込んだ。
彼女の目の前には、騎士の真っ黒な鎧の胸元に刻まれている獅子の紋章があった。――それが、キュクヌス帝国の紋章だとパリディユスが気付くのに、そう時間は掛からなかった。
国際情勢に疎いパリディユスも、キュクヌス帝国のことは知っている。
数えきれないほどの国を、従属国にし、地図上から名前を消した国もあるという恐ろしい国。
統治している皇帝は独裁者で、気に入らない人間はすぐに首を刎ねてしまう暴君。しかしその反面、気に入った人間や物はコレクションとして大切にするコレクター。
珍しい物は好んで集めるらしく、運悪くお眼鏡に叶ってしまった物は、手に入れるために国を攻め落とすのも厭わない。
パリディユスは、思わず身震いをした。
さっき、この男はわたしのことを――。
男は、見えているのもわからないバイザーの隙間から、パリディユスをまじまじと観察しているようだった。
妖しく光る紫紺の眼が、なんだか品定めをしているようで、居心地が悪い。
どちらになるだろうか。気に入られてコレクションのひとつになるのか、はたまた首が刎ねられてしまうのか――思わず眉を顰めたパリディユスだったが、男の吐いた溜め息に、目を見開いた。
「少し陰気臭いが――それは災いと言われる故か?」
「え?」
「まぁ、いいか。随分と、綺麗な造形をしている、が――」
黒の冷たいガントレットをつけた手が、パリディユスの顎を掴み、左右に向けたりと、弄ぶ。――まるで、何かを確認しているようだ。
パリディユスは、冷たいガントレットを掴み、抵抗をした。
「な、何を……っ」
しかし、非力な彼女の腕では、びくともしない。
寧ろ、相手を喜ばせてしまったのか、返ってきたのは乾いた笑い声だった。
「反抗するのか。勇ましい」
「――っ!」
真っ黒なバイザーが、鼻先に触れてしまいそうなほど、近くあった。
パリディユスの心臓は、今にも破裂してしまいそうなほど、激しく脈打っている。全身が熱くなってもおかしくないはずなのに、彼女の体は、まるで冷水に浸かっているかのように冷たくなっていた。
激しい恐怖で、パリディユスの体は、震え続けている。掴んだままでいるガントレットの方が熱を持っているかのように感じた。
瞬きもせずに向けられている紫紺の眼には、怯える表情を浮かべるパリディユスがいる。彼女を捕らえている瞳が弧を描いているせいか、映っている彼女自身も歪んでいた。
「益々気に入った」
その言葉と共に、パリディユスの体は宙に浮く。
男の肩に担がれ、硬い鎧が、彼女の胸部と腹部を圧迫した。潰れた蛙のような「――っぅえ」という声が、パリディユスの口から溢れ出た。
「おいおい、私の頭上で吐いてくれるなよ? もし、お前がそこで胃の中身をぶちまけるようなら、その時はお前の首を刎ねて、その血で洗うことにするからな」
冗談を言うかのように、大きく笑った男の台詞は、背筋が凍るかのようだった。
「あ、あなたは……怖くないんですか?」
「怖い? 何が」
ガチャガチャと、金属がぶつかり合う音を出しながら、部屋を出て壁の崩れた廊下を歩いていく男に、パリディユスは質問していた。
だって、こんなことしたら、きっと――。
「あなた、不幸になるんですよ?」
パリディユスは、唇を噛むようにして男に言った。伝えなければ、男が勝手に不幸になって逃げ出せもしたかもしれない。
それでも、パリディユスが男に言ったのは、これ以上、自分のせいで人を不幸にしたくなかったから、だろうか。
今まで、沢山の人を、彼女は不幸にしてきた。
それはどれも自業自得だけれど、それでも、あれほどまでの不幸を望んだわけじゃない。――せいぜい、小指を角にぶつけて欲しいとか、家畜の糞を踏んで欲しいとか、そんなくだらないことだったのに。
なぜか、あの人たちは、わたし以上に不幸になってしまった。
好きで人を不幸にしているんじゃない……多分、それが男に忠告した理由だろう。
「寧ろ、不幸にしてくれ」
「は?」
パリディユスは、耳を疑った。
誰が、好き好んで不幸になりたがる? 意味がわからなかった。
「私は、今までの人生で思い通りにならなかったことは一度もない。そんな私が、お前を手元に置いて、不幸になるか。それとも、お前の不幸を手懐けて、他に災厄を振り撒くことになるのか」
ギィと、男が何かの扉を開いたかと思えば、パリディユスはそのまま投げられるようにして体が浮く。そしてすぐに、背中は硬いところに、お尻は柔らかいクッションにぶつかった。
「っつぅ――」
痛みに思わず声を漏らしたパリディユスは、ガタンと揺れる体に、男に投げ込まれた先が馬車の中であることに気付く。
男は足場に片足を乗せ、前に座っているであろう御者へ、声をかける。
「おい、御者。――中に私のコレクションが入っている。わかっていると思うが、丁寧に運べよ? もし傷付けでもしたら、貴様のその首が、手綱を握っている体から離れることになると云うことを胸に刻み付けておけ」
脅迫じみた命令を言い終える同時に、男は馬車内へ入り、扉を閉める。
「宝物庫――では味気ないから、どこか部屋を用意しよう。希望はあるか?」
男は、くぐもった声でパリディユスに質問した。
その声音は、先ほど御者へ向けたものとはまた違う声なのに、威圧的に聞こえて仕方がなかった。
「人が、過ごせるところであれば……」
宝物庫――その言葉に、パリディユスは、片側の口角を引き攣らせた。
わたしは、物と同列?
ああ、この男の考えていることが、わからない。
さっきまでは首を刎ねるとか言っておきながら、今はどうして部屋の希望を聞けるの?
男の変わりように混乱しているパリディユスは、眉を顰め、自分の身を守ろうとする本能からを、自分の体を両腕で抱き締めていた。
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