借りパクの挨拶
佐々木
第1話
学校ダルいな。
朝起きて、制服に着替えながら思う。
朝食を食べていても、歯を磨いていてもそう感じた。
いよいよ憂鬱になってきて、僕は高校をサボることにした。
僕は、友人の佐伯にメールを打った。
「今日学校サボらないか?」
「いいぜ」
送信して、すぐに返事が来た。
佐伯はよく学校をサボっていた。だから、佐伯を誘うのに、罪悪感はなかった。
それから僕は、着替えるのが面倒くさくて、制服のまま家を出た。
駅に着くと、佐伯は般若の顔が印刷されたTシャツに、超短い短パンという、クソみたいな格好でベンチに腰かけていた。
「よお」
僕に気づいた佐伯が、手をひらりと振ってそう言った。
「なんだよその服」
「いいだろ、気に入ってんだ」
「人生楽しそうだな」
「まあな。それで、どこに行くんだ?」
少し返答に困った。僕はまだ行先を決めていなかった。それから少し考えて、言った。
「どこか、遠くへ行こう」
僕たちが乗る電車は学校の最寄り駅を通り過ぎて、どこか遠く、離れた場所に向かっていた。
「なあ、今日、どうして俺を誘ったんだ?」
佐伯が、思い出したように言った。
「なんとなくだよ」
「そうか」
佐伯はつまらなそうにそう言って、スマホに視線を戻した。
その時僕は、ふと気になって聞いてみた。
「佐伯っていつも学校サボって何してんの?」
少し、間があった。
「女遊び。バレずに何人まで付き合えるか実験してんだよ。ちなみに今は6人な」
「……クズだな。お前」
「そうかもな。でもさ、つまんないだろ? なんとなく付き合って、なんとなく結婚して、なんとなく子供ができて、子供が育ったらあとは死ぬのを待つだけの人生なんてさ。どうせ一回きりの人生なんだ。楽しまないとやってらんないだろ」
そうかもしれない、と素直に思った。そんな風に人生を楽しめる佐伯が、少し羨ましく感じた。
「お前もやるか?100股チャレンジ。女なら紹介してやるよ」
「やらない。女は間に合ってるから」
次の瞬間、佐伯はゲラゲラと笑い出した。
「なんだよ」
「いや、お前、彼女いたのかよ」
失礼な奴だ。
「そもそも女が必要ないから、間に合ってるって言ったんだよ」
僕が少しいじけて言うと、佐伯はさらに大きな声で笑った。
それから僕たちは、終点の駅で降りた。
改札を抜けて少し歩くと、小さな川があって、僕たちはその川に沿って歩いていた。
酒を飲みながら。
きっかけは10分前、佐伯の一言だった。
「なあ、あれ見ろよ」
佐伯が指をさす方を見ると、さびれた酒屋があった。
「酒屋がどうしたんだよ」
「確かに酒屋なんだけどさ、よく見ろよ。あそこ」
もう一度佐伯が指を指している方を見ると、酒屋の横に、酒らしき飲み物を売っている自販機があった。
「あれ、飲もうぜ」
佐伯が、企むように言った。
僕はちょっとした好奇心が芽生えて、それに同意した。
「初めて飲む酒って思ってたほどうまくはないよな」
佐伯が、舌を出してそう言った。
「そうだな」
僕は頷いた。それから少し気になって、聞いた。
「なあ佐伯、お前もしかして、酒飲んだの始めてじゃない?」
「そうだけど?」
佐伯はさぞ当たり前のことかのように言った。
「たまに佐伯は本気でバカなんじゃないかって思うよ」
「酒とタバコは中学から始めるもんだろ?」
呆れた。
僕は立ち止まって、息を大きく吸った。
「どうせ僕は、今日初めて酒を飲んだガキですよ!」
佐伯はフフンと鼻で笑った。
それから僕は、ビールを一気に飲んだ。空になった缶を道の端に投げ捨てて、佐伯を早歩きで追い越した。
すると、佐伯も空き缶を投げ捨てて、僕を追い越そうとしてきた。
僕は追い越されまいとスピードを上げる。
僕たちは徐々に小走りになり、それから走った。
ほぼ全力疾走だった。
なんだか凄く楽しかった。
しかし僕の体力は5分と持たず、あっという間にバテてしまった。
一方で佐伯は余裕な様子で、「体力無さすぎだろ」と、僕を見て笑った。それにつられて僕も笑った。
それからひとしきり笑って、笑い疲れた僕たちは、さっきの自販機で、また酒を買って飲んだ。
その時飲んだ酒は、さっきと違って、うまかった。
これほど酒がうまいと感じることはこの先の人生、無いのだろうと、そう思った。
電車に乗って、朝に佐伯と待ち合わせた駅まで戻ると、すでに辺りは暗くなっていて、空には月が浮かんでいた。
挨拶を済ませ、お互い逆の方向に歩き始めたとき、佐伯が遠くで言った。
「今日は楽しかった!じゃあな!」
「またな!だろ!」
酒のせいか凄く気分がよかった僕は、恥ずかしげもなく、青春小説の主人公みたいなことを言っていた。
「じゃあな!」
佐伯は譲らずにそう言って、背を向けて歩いていった。
僕はそのまま家に帰る気にもなれなくて、コンビニで水とチョコを買って、家の近くの公園で酔いを覚ましてから家に帰った。
3日後、佐伯は死んだ。
その知らせを受けたのは、高校のホームルームの時間。担任の吉田先生が抑揚のない声で言った。
「皆さんにお知らせがあります。昨日、佐伯君が亡くなりました」
教室がざわつき出した。泣き出す女子生徒、ヒソヒソと話し出す男子生徒たち、吉田先生に「どういうことだよ!」と、意味の無い質問をする男子生徒。
僕はというと、割と冷静だった。
なんというか、佐伯には、近いうちに死ぬんじゃないかと思わせる何かがあった。
しかし、なんというか、佐伯がこの世にいないと言われると、なんだか違和感があった。
まだ学校をサボって、女遊びを繰り返している佐伯が、容易に想像できたからかもしれない。
僕のそんな妄想は、かつて佐伯だった物をみて、完全に否定された。
まあ、案の定というか、佐伯は自殺だった。部屋で練炭を焚いて死んだらしい。
なんの嫌がらせか知らないが、佐伯の残した遺書には、僕を葬式に呼べとだけ書かれていたらしく、その隣には僕の電話番号が丁寧に記載されていたらしい。佐伯の死を告げられた日の放課後、その旨を伝える電話が、佐伯の父親からかかってきた。
本当に勘弁してほしかった。
しかし、佐伯の父親にそんなことを言われてしまうと、断る気にはなれなかった。(本当は断りたかったけど)
そんなこんなで、僕は佐伯の葬式に来ていた。
最初はお坊さんの話を聞いて、少し泣きそうになったが、唐突にお坊さんがよくわからない呪文を唱え始めて、なんだか涙は引っ込んで、冷めた気持ちになってしまった。
お坊さんの唱える呪文をバックグラウンドミュージックにして、佐伯が僕を葬式に呼んだ理由を考えた。
佐伯との記憶を、頭の中で再生する。
思えば佐伯との出会いは、かなり特殊だったと思う。
当時僕は、中学生だった。
1年の始め、僕は病気にかかった。
その病気は、当時から現在に至るまで、症状が改善したという話はあっても、完治したという例は無いという。
そのことを知った僕は、未来の自分を考えて、憂鬱になった。
大量な錠剤の束を見て、いつも考えた。
これを全部飲めば、今すぐに楽になるのかな、と。
そう考えて、毎日3錠だけ薬を飲んだ。そのたび僕は、人生の敗残者のような気分になった。
中学2年のある日、いつも通り憂鬱な気分で薬を飲んだ僕は、ふと気になって、僕が飲んでいる薬の致死量を調べてみた。
ネットに出てきた記事によると、僕が飲んでいる薬は、1200錠飲まないと死ねないらしい。
途方もない数字だった。
手元にある薬は、せいぜい200錠程度。1200錠には、到底足りなかった。
これまで薬を飲むたびに考えていたことは、全部無意味だったのだ。
なんだか虚しくなった。そして僕は、生きているのが、これから先、生きていくのが、嫌になった。
僕は、死のうと思った。
学校の屋上へ出る扉の鍵が壊れていることを、僕は知っていた。
放課後、屋上へ続く扉のドアノブを捻って扉を開けると、そこには制服を着た男がいた。
その男は、僕が扉を開けた音に気付くと、こちらに駆け寄ってきた。
「俺がここにいたこと、美鈴には言わないでくれ!」
美鈴って誰だよ。てかお前誰だよ。と思ったが、とりあえず僕は頷いた。
すると男はほっとした様子で「ありがとうな、佐々木」と言って僕の肩をぽんぽんと叩いた。
気味が悪かった。僕が知らないその男は、僕の名前を知っていた。
「なんで僕の名前、知ってんの?」
「俺たち同じクラスだろ。もしかして俺の名前、知らない?」
あいにく僕は、クラスメイトの名前なんて一人も覚えていなかった。
「……ごめん。分からない」
僕がそう言うと、男はゲラゲラと笑い出した。
「冗談だよ、冗談。佐々木君、クラスメイトの名前覚えてなさそうだったから」
「はあ」
「俺は、佐伯智也。2ー1だから佐々木とは違うクラス。よろしく」
それから佐伯は、僕に向かって手を差し出した。
どうやら握手をしようということらしい。
「あ、うん。よろしく」
僕はさっさと会話を終わらせたくて、素直に手を差し出した。
「……あの、手、離してくんない?」
なぜか佐伯は、僕の手を離さなかった。
そして佐伯は、なぜか泣きそうな声で言った。
「なあ佐々木、飯、行こうぜ。奢るよ」
「嫌だけど」
「お前が鈴音に俺がここにいたこと、黙ってるとは限らないだろ?」
さっきは美鈴って言っていたような気がするが、どうでもいいので聞き流す。
「そんなことしなくたって僕は誰にも言わないよ」
「じゃあ友達になった記念でさ、行こうよ」
佐伯は泣き出した。
僕の頭は、「?」でいっぱいだった。
あまりにも佐伯が泣きまくるから、結局僕は死ぬのをやめて、佐伯にマックを奢られて家に帰った。
それから翌日も、翌々日も、佐伯にしつこく誘われて、僕と佐伯は、学校では会話すらしないのに、毎日夜にマックで待ち合わせてハンバーガーを一緒に食べるという、特殊な関係になっていた。
そのせいで、僕は完全に死ぬタイミングを逃していた。
それでもいいと、思い始めていた。
佐伯といると、憂鬱な未来を想像するより、目の前にある今を見ていられた。
佐伯といるのは、楽しかった。
その日も僕は、佐伯とハンバーガーを食べていた。
さすがに1週間も連続でハンバーガーを食べれば、たとえハンバーガーであっても飽きる。そんな事を考えていた。
「なあ、佐々木、おすすめの本貸してくれよ」
「なんで?」
佐伯が本を読むタイプには見えなかった。
「いや、佐々木のクラスの奴に聞いたら、佐々木、休み時間になったらすぐに読書はじめるって言ってたから、好きなのかなって」
「好きでずっと読書してるわけじゃないよ。ただ、話しかけられたくないから本を読んでるだけ」
「それでも本は読んでるんだろ? あ、読みやすいやつで頼むな」
「じゃあ人間失格、貸してやるよ」
「それ絶対難しいやつじゃん。もっとさ、簡単なやつ、無いの?」
「……福井潤の変人とかでいい?」
変人は、僕が小学生のころに、初めて読んだミステリー小説だ。小学生の僕でも読めたのだから、佐伯なら読めるだろう。
「それ有名なやつだよな、うん。それ貸してくれ!」
佐伯は手を合わせて、上目遣いで僕を見た。
「いいけど……」
「サンキューな、佐々木」
そのときの佐伯は、嬉しそうに笑っていた。
佐伯の葬儀は一通り終わって、僕は家に帰った。
僕はベッドの上で、あの時佐伯に貸した「変人」の表紙を眺めていた。
結局佐伯からは、返してもらえなかった。
佐伯の両親に「変人」を貸したときの話をしたら、佐伯の部屋の机に置いてあったと言って、わざわざ取りに行ってくれた。
僕はベッドから起き上がって、「変人」のページをパラパラとめくる。
どこかのページに挟まっていた栞が、床に落ちた。
僕は栞を拾い上げて、部屋の窓にかざして眺めた。
何の変哲もない、白い紙に紐が付いただけの、栞だった。
しかし僕は佐伯に栞を貸していない。つまりこの栞は、佐伯の物ということになる。
少し迷った。この栞を、佐伯の両親に返しに行くべきか。
考えて、僕はこの栞を、返しに行くことにした。
翌日、僕は栞を持って、佐伯の家の前に来た。
佐伯の父親に、電話で栞を返したいと伝えると、すんなりと住所を教えてくれた。
インターホンを押して少し待つと、玄関の扉から、佐伯が出てきた。
佐伯が、扉から。
「よお、佐々木」
僕は多分、精神を病んでしまったんだと思う。死んだはずの佐伯が見える。しかもそいつは、喋ってる。
玄関の扉が開いて、佐伯の母親が出てきた。
「佐々木君。わざわざありがとうね」
「あ、いえ。これ、栞です」
佐伯の母親に栞を手渡す。
「俺のこと、見えてるんだろ?」
「今、時間あるかしら。よかったらお茶でもどう? 智也との話とか、いろいろ聞きたくて」
「おい、無視すんなよ」
「この後予定あるんです、すみません。失礼します」
「待てよ」
僕はインターホンを押すまでは無かった予定を作って、逃げた。
どこか遠くを目指して、佐伯と酒を飲んだあの日のように、全力で走った。
住宅街を走って、すぐに疲れて、歩いた。
今だけは、自分の体力の無さを恨んだ。
歩くと、嫌でも考えてしまう。
僕が見たものは何なのか。
しかしいくら考えても、幻覚という答えしか出ない。幻覚にしては、よく喋っていた気がする。そもそも幻覚というのは、喋るのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、小さな公園に辿り着いた。
公園に入って、ベンチに座る。
視界に違和感があった。
横を見ると、佐伯が座っていた。
これ以上逃げる気にはなれなかった。
「お前、なんなんだよ」
吐き捨てるように言うと、砂場で遊んでいた子供たちに、気持ちの悪いものを見るような目で見られてしまった。
僕も気味の悪いものを見ているのだから、同じような顔をしているのだろう。
「佐伯は死んだんだよ。それ以上でもそれ以下でもない。佐伯は死んで、佐伯の人生は終わったんだよ」
「俺、幽霊になったみたいだわ」
どこか他人事みたいな言い方だった。
「でも、実際幽霊になってみると足はあるし、薄く透けてるってわけでもないんだな。想像でしか見れかった景色がこんなに普通だと、この世界のこと、もっと嫌いになるな」
佐伯はそう言って、何かを諦めたように小さく笑った。
隣に座る佐伯は、どうしようもなく佐伯だった。
僕はなんだか、泣きそうになった。それじゃあ、佐伯が救われない気がした。死んでもなお、この世界に縛られるのは、僕なんかじゃ到底想像できないほどの苦痛だろう。それなのに平然としている佐伯が、僕には理解できなかった。
「そんなに俺に会えて嬉しいのかよ」
「そんなんじゃないよ」
「じゃあ、なんでそんな顔してんだよ」
「……佐伯に会ったからだよ」
僕が本心を伝えると、佐伯は「そっか」と言って、顔を伏せた。
数秒の沈黙の後、佐伯は空を見上げて言った。
「ありがとうな、佐々木」
「……うん」
佐伯はまだ空を見ていて、どんな顔をしているのかは分からなかった。
佐伯は、そのまま言った。
「佐々木、どっか遠くに行こうぜ」
それから僕たちは、駅まで歩いて、適当に目についた電車に乗った。
しばらく電車に揺られていると、窓の外は暗くなっていた。
僕たちは、他愛のない話を何時間も続けた。
昔好きだった女の子の話をして、初めて学校をサボった日の話をした。
いざ死んだ佐伯と話すってなっても、中身のある話なんてなかった。
やがて空が明るくなり、佐伯が言った。
「佐々木、次の駅で降りて」
「なんで?」
「俺がそうして欲しいから」
「なんだよそれ、意味わかんないよ」
少しイラつきながら言うと、佐伯は真剣な表情で僕を見た。
「頼む。これだけは、聞いてくれないか」
「……わかったよ」
僕は押しに弱かった。
それから、電車はすぐに駅に着いた。
電車を降りて駅のホームに足をつけた瞬間、世界は無になった。
気が付くと、僕はベッドの上にいた。
時計の針は、朝の7時を指している。
どうやら僕は、佐伯の葬式の後、寝てしまったらしい。
ふと気になって「変人」のページをめくると、栞が出てきた。
栞を手に持って、窓から差し込む光にかざす。
栞には、文字が書いてあった。
「またな」
借りパクの挨拶 佐々木 @suburisoburi
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