第五話 「隻腕」
俺は言葉にする事すら叶わない程の怒りを覚えた。
日本にいた十七年間ですら、これほどまで脳味噌が沸騰するような感覚を覚えた経験は無い。
命の恩人になんて態度だ、と言われれば返す言葉なんて無い。全くもってその通りだからな。
だが、あのふざけた態度を取る大男の言葉が嘘である可能性も十二分にあるし、当然鵜呑みにした訳では無い。
⋯⋯仮に、もし仮にあの話が本当だったとしても、許可も無しに普通腕を切り落とすか? いや、腕切られても眠りこけてる俺がやばいのか? まぁ、兎にも角にも、これをやった人間共は頭がイカれてやがる。⋯⋯マジで本当の話で、百パーセント善意で行動しただけなら謝ろう。──ぶっ殺した後に。
俺は無言で眼前の大男に襲いかかった。
しかし、一秒後には理解した。
やはり俺はマヌケらしい。
さっき、片腕無くしたせいでバランス悪いって自覚したばっかなのに。
「ぁ」
「うっわダッセェ。転けてやんの」
「⋯⋯」
これ見よがしに馬鹿にしてくる大男。正直今すぐにでもぶち殺してやりたい。
横にいるお前もだ。何見てんだよ。殺してやるからな。
「ちょっとちょっとー、何今の音───って、えええええええええ! ちょ、ウィルさん! 何患者さん転ばしてんの!」
「え、いや俺は別に⋯⋯」
「言い訳は結構です。ウィルさんはいつもそうですからね。ほんと最低です。⋯⋯患者さん、大丈夫ですか? あ、言葉が通じないんでしたっけ?」
急に扉を開けて現れた女は、そう言って俺に手を差し出した。
ウィルとか言う大男、いい気味だ。眼前の女に軽蔑の視線を向けられてバツの悪そうな顔をしている。
「いえ、大丈夫です。それに、言葉は通じますよ」
「あら? ヘルさんからは言葉が通じないって聞かされてたんだけど」
急に自分の名前が出てきて動揺している大男──ヘルは、これまたバツの悪そうな顔で視線を泳がせていた。
ていうか、髭面でよく分からなかったが、よく見るとこいつもウィルと同じで若いな。下手すりゃ同年代か? とんだ老け顔もいたもんだ。
「いやいやいや、俺もここに来るまでは言葉が通じねぇと思っていたんだ。実際、こいつさっきまで喋らなかったしよぉ」
お、早くも化けの皮剥がれたな。
二人称「君」なんて大物ぶりやがって。田舎っぺのガキ大将はすっこんでろ! ⋯⋯田舎? ここって田舎なのか? 何で俺はそんな事⋯⋯?
「言い訳無用! そら出てった出てった! ここは
「いや、ミナちゃんの方がうるさ──」
「うるさい!」
「ミナちゃん、ちょっと静か──」
「静かに!」
「少し静かにしてくれないか」
自分でも驚くほど冷えた声が出た。
普通こう言う場面を見たら和んだりするんだろうが、ていうか通常時なら俺も笑っていられるんだが、──正直今は不快でしかない。
このミナとか言う女の所為だ。さっきからチラチラと様子を伺いやがって。全部気づいてんだよ。三文芝居が。
どうせこれも気遣いだろ? まったく、その精神はどこから来るんだかな。⋯⋯かつての義務感や責任感からか?
⋯⋯所詮はフェルシュナインの模倣品、いや、劣化品か。中身の伴わない気遣いに意味などないだろうに。
いかん、少し気が立っているな。私らしくもない。⋯⋯私?
「てめぇ、俺とヘルは衛兵様だぞ! それにミナちゃんは未来の──」
「駄目! それは⋯⋯言わないで⋯⋯」
何だ、今のは。
この女に何かあるのか?
⋯⋯いや、どうでも良いか。些事など捨て置こう。
「衛兵程度に構っている暇は無い。それに、その程度のオツムでは、本当に衛兵なのかすら怪しい所だ」
「てんめぇ、調子に乗りやがって!」
「そうだな、お陰様で絶好調だ。頼んでもいないなのに腕を取られたおかげで体が羽のように軽いぞ」
ミナが俯く。
⋯⋯何だ、自覚はあるのか。尚更質の悪い。性悪娘を飛び越えて極悪娘だな。日本の小悪魔系女子が懐かしいよ。⋯⋯む? 小悪魔?
「⋯⋯やはり本調子とはいかないか。⋯⋯それで、ヘルとやら。先程の話の続きを聞こうか。まさか無断で腕を切り落とした事後報告をだけを行いに来た訳でもあるまい」
ヘルは、一瞬肩を震わせ、その老け顔に一層皺を刻んでこちらを見た。
「ん? どうした。⋯⋯あぁ、言い当てられたのが不思議か? これはな、私の数少ない特技の内の一つなんだ。昔から人を観察するのが好きでね。先程から君が焦燥の念に駆られているのは分かっている。大方理由も分かるがね」
「私の聞きたい事を理解しているのか⋯⋯?」
「影狼の死骸について、だろう?」
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