第一章

第一話 「転移」

「⋯⋯⋯⋯えっと⋯⋯ここ⋯⋯どこ?」


 マジでここどこだよ!


 眼前には、見渡す限りの緑。これでもかというほどの緑緑緑。


 おっかしいな〜、今の今まで眠気に耐えながら家庭科の授業を受けてた筈なんだけど⋯⋯


「やべぇ、脳味噌オーバーヒートしそう。とりま現実逃避しよ」


 あぁ、こう言う辺りいっぱいの緑懐かしいなぁ。昔は近所の公園にある原っぱでよく遊んだっけ。今思うとあの頃が一番楽しかったなぁ。毎日何も考えずにただ遊んでさ。今じゃ一端の高校生。社会の闇に気が付いたのは中学校二年生の後半だったっけかなぁ。きっと、これからあと一年かけて高校を無難に卒業して、経済的な面でも学力的な面でも大学に入る余裕なんて無いんだから、そこら辺の工場にでも就職するんだろうなぁ。いやぁ、これで俺も一端の社会の歯車ですわ。あ、そうだ! ベルトコンベアから流れてくる卵に傷がついていないかチェックする仕事をしよう! それでそれで、俺の慧眼を見込んだ社長に工場長を任せて貰ってぇ、数年のうちに大企業の社長だ! うはー、夢が広がりんぐ。


「⋯⋯はぁ。現実逃避完了」


 取り敢えず歩いてみる事にしよう。方角は、勘に任せてそのまま前方へ。

 自分を鼓舞する為に明るく振舞ってはみたものの、正直不安に押し潰されそうだ。

 何で、どうしてと言う言葉が内心溢れている。




 暫く歩いていると、随分遠くに人工物らしき物が見え始めた。

 この遠距離から見ても、はっきりと灰色の壁があるのが分かるという事は、相当に大きな建造物なんだろう。


 やっと希望が見えて来た──と思った瞬間


「おわっ──っ痛ってぇえええ!」


 視界に黒い影が飛び込んで来た事を認識すると同時に、右前腕部に激痛が走った。

 視界を右下へとずらすと、影を写し取ったかのような真っ黒い犬が、懸命に顎を振りながら肉を噛みちぎろうとしている姿が見えた。


「ざっけんじゃねぇぞ、犬畜生が!」


 これには、普段温厚の俺も激おこだ。


「てかマジで痛てぇ。いい加減離せ!」


 中々顎を外そうとしない黒犬に我慢の限界が来た俺は、腕を思い切り振り抜いて黒犬を投げ飛ばした。

 流石の黒犬も慣性には逆らえず、ぶっ飛んで行った。


「はぁはぁはぁ、痛てぇ。クソッ」


 飛ばした拍子に食い込んでいた牙が、更に皮膚を裂いたようだ。


 眼前の黒犬は、なおも闘志を剥き出しにして、油断なく俺を睨みつけている。

 一挙一動を監視されている気がして気分が悪い。多分、今もだらだらと流血している右腕が原因だろうけど。


 よく見ると、黒犬はそこらの飼犬や野良犬より余程良い体格をしている事が分かった。田中の家で飼われているポチより二回りも三回りも大きい。

 加えて、あの赤い瞳。どうやったら犬畜生があんな怖い目をつくれんだ。ヤル気満々で怖すぎなんですけど。


 ──こうなったら⋯⋯!


「逃ーげるんだよー!」


 全力逃走だ! 五十メートル走六秒五の男子高校生様を舐めるなよ犬畜生が!


 俺の華麗なる逃走劇に見惚れていたのか、黒犬は少しの間硬直していたが、すぐに我を思い出したのか追いかけてきた。


 やっぱ、犬は早いな⋯⋯不味い、追いつかれる! もう駄目だ⋯⋯


「と見せかけて、大人のグーだあああああああああ!」


 黒犬が至近距離へと迫って来た瞬間、振り向きざまににグーパンをカマしてやった。これには動物愛護団体もニッコリだ。


 黒犬は、甲高い鳴き声を上げて吹っ飛んで行った。

 着地した直後は、手足を動かして懸命に起き上がろうとしていたが、暫くすると静止した。


「⋯⋯やっちまった」


 流血する右前腕部と命を刈り取った痛む右拳を見て、俺はただ呟いた。

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