あのとき先生は
不労つぴ
あの日・あの時
「おーい、つぴちゃん。先生が呼んでたよー」
というふうに僕は委員長に呼ばれた。
昼休み、僕は親友の勇次郎と午後の英語の授業で行われる小テストの対策をしていた。先日習ったばかりの100個の英単語の中から20単語出題されるのだ。
ちなみに、このテストで8割取らなければ、居残りになってしまうという学生に優しくない内容となっている。
先日は家に帰ってからずっと勇次郎と一緒にスマホゲームをしていたので、全く対策をしていなかった。なので二人して今必死に覚えようとしていたのだ。
「えっ、マジ? 委員長、何の用件か聞いてる?」
「何も聞いてないよ……時間やばっ! 俺そろそろ野球部の集会行かなくちゃいけなくてさ。ちゃんと伝えたからね」
そう言って、委員長は凄まじいスピードで教室を後にした。廊下を走るなと常日頃から言われているのだが委員長が堂々と破っていいのだろうか……。
「つぴちゃん。またなんかやらかしたの?」
勇次郎が呆れた顔で僕を見つめる。冗談じゃない。僕は問題児とは程遠い存在なのに。
「なわけ。僕はこの学校でも優等生の方だよ?」
嘘だ。このクラスでは3位以内に入っているが、特進クラスには遠く及ばない。そもそも、このクラスは某エンドのE組よろしく『隔離クラス』と呼ばれ、問題児や成績のよろしくない生徒が多く在籍していた。
そのため、他のクラスから白い目で見られることも少なくない。
ちなみに、僕は文系科目はともかく理数系の科目が致命的なほど苦手で、担任の池内からよく小言を言われていた。もしかすると、池内は小言を言うために僕を呼んだのかもしれない。
「ほら、この前の小論文あったじゃん。あれのテーマにハブとマングースの決闘を書いたのがまずかったんじゃない?」
「んなもん書いたわけないでしょ。僕がこの前書いたのは、遺伝子をいじくり回し上のように振る舞う人間の傲慢さについて」
「それもそれでまずくね」
僕と勇次郎はいつもの如く、くだらないやり取りを続ける。
こんなことをしている場合ではない、池内は時間には厳しい。あんまりにも遅いと小言が増えて昼休みがなくなってしまう。
「とりあえず、行ってくる。何の用か知らないけど、昼休みだし、そんな長くは小言も言われないでしょ」
そう言って僕は席を立つ。
「気をつけてね~」
呑気そうな勇次郎に見送られながら、僕は教室を後にした。
3年の職員室の前に着いた。職員室前の勉強スペースには多くの学生が集まって、勉強をしていた。いつ来てもここは落ち着かない。ここにいるのは特進クラスの勉強熱心な生徒ばかりで、ここに来ると場違いなような気がしてくるからだ。
僕は気を落ち着けるため深呼吸をする。
覚悟が決まった。僕はコンコンとノックをしたあと、職員室の扉を開ける。
「3年E組の不労です。池内先生に用事があって来ました、入ってもよろしいでしょうか」
僕がそう言うと、一斉に先生たちが僕の方を見た。いつもであれば、こちらの方を見ずに「どうぞ」と言うだけなのに、今日はその場にいる全員が僕の方を見ていた。
そんな珍しい光景に僕は思わず萎縮してしまう。僕は知らぬ間にとんでもないことをしでかしてしまったのだろうか。しかし、直近の記憶を振り返っても特に何かやらかした記憶もない。直近の模試も自分にしてはかなり頑張ったほうだと思う。
「おぉ、つぴよく来たな。入っていいぞー」
奥の席からメガネをかけた小太りな男が僕に言った。担任の池内である。彼はまだ30代前半と言っていた。
先生の許可も降りたので、僕は「失礼します」と言ってから職員室に入る。そして、池内のデスクに向かう。
「急に呼び出して悪かったな、つぴ。さぁ、座ってくれ」
池内の椅子の前にはパイプ椅子が用意されていた。今日は珍しい事が多く起きる。いつもであれば、椅子など用意されていないのに。
「失礼します」
僕は一言断りを入れてからパイプ椅子に座る。そしてドキドキしながら池内の方を見る。池内野様子を見るにどうも怒っているわけではなさそうなので、ひとまず胸を撫で下ろした。
「さっき、竹内先生から聞いたが午後に英単語のテストがあるらしいな。まぁ、つぴは英語が得意だし余裕だろう?」
「まぁ、なんとか……」
上機嫌な池内へ僕は愛想笑いをしながらはぐらかして答える。このまま喋っていると「もしテストに合格しなかったら物理の宿題を増やすからな~」などと言いかねないので、僕は単刀直入に池内に用件を聞き出すことにした。
「それはそうと先生。用件というのは何でしょうか?」
僕がそう言うと、先生は急に真剣な顔になった。他の先生方も仕事をしている風に見えて、ずっとこちらの方をチラチラと見ている。
「つぴ。なにか最近困ったことはないか?」
予想外の質問に僕はキョトンとしてしまう。てっきり、何か怒られるようなことをしたのかなーと思ってきたのだが、そうではないらしい。
「どんなことでもいい。なんなら学校内のことじゃないことでも」
池内は、尚も真剣な様子で僕を見つめる。今までこんなことは無かったので僕は困惑して何を言ったものか悩んでしまう。
時間にしては数十秒、だけども僕にとっては体感数時間の自己問答の末、僕はようやく言葉を紡ぎ出した。
「……特にないです。家庭のこともちょっと前に引っ越して以来快適ですし……。あつ、でも理系科目の点数が未だに伸びないのが最近の悩みですね」
僕がそう答えると、池内は安心したように「たしかにな」と言って笑った。
「もし何かあったら遠慮なく先生に相談しなさい。先生達はつぴの味方だ」
池内は穏やかな笑みを浮かべながら言った。こんなに穏やかな池内を見るのは初めてだ。いつも怒るか笑うかネチネチと小言を言ってくるくらいなのに。
ふと、視線を感じ、先生にバレないように周りに視線をやると、他の先生方も心配そうに僕を見ていた。その時の僕は、先生方も暇なんだな―と軽率な考えを浮かべていた。
「…………? 分かりました」
僕もいまいち事態が飲み込めていなかったが、とりあえず了承の意を伝える。
「また何かあったらいつでも来なさい」
僕は席を立ち、池内に「ありがとうございました」と感謝の言葉を伝え、職員室を後にしようとする。それを池内が呼び止める。
「英語の小テスト、合格しなかったら物理の宿題増やすからな!」
と恐ろしいことを池内は笑顔で言う。本人にとってはエールのつもりなのだろうが、言われた身としてはたまったものじゃない。僕は愛想笑いを浮かべながら池内に言う。
「もぉー勘弁してくださいよ先生!」
これは僕にとっては、戻りたくてももう二度と戻れない青春の一幕なのだが、一つだけ引っかかる点があった。
あのときの池内先生と他の先生方の対応だ。あのときの先生は妙に優しかった。それに職員室にいた他の先生達の雰囲気も妙だった。
それは思い違いなのではないかと言われたら何も反論できない。現に、今書いていることはほとんど実話だが、少しの年月が流れているため記憶も曖昧だ。
――だが、どうしても引っかかるのだ。
ここからは僕の勝手な推測だ。もはや妄想と言ってもいい。
僕が2年生に進級する前、両親が離婚した。理由は色々とあるのだが、主な原因は父の借金だった。しかも、父は普通の消費者金融ではなく、よりによって非合法な――いわゆる闇金からお金を借りていたのだ。
離婚してなお、母の元には闇金業者からの電話が来ていた。しかも、よりによって母の職場に何度も。
この話の時期は、ちょうど母の職場に闇金業者からの嫌がらせの電話が多くかかってきていた。
もしかすると、闇金業者は僕の学校にも嫌がらせの電話をかけてきたのではないだろうか。
これは前述の通り、僕の勝手な憶測だ。おそらく外れているだろうし、それが事実でないことを僕も願う。
この件の真相を知っているのは母と池内先生くらいだろうが、とても聞く気にはなれない。当たっていたら母に辛い記憶を呼び覚まさせることになるし、外れていたら僕は恥ずかしい思いをするからだ。
でも――もし本当にあのとき、闇金からの電話がかかってきたのだとしたら池内先生には感謝しか無い。電話がかかってきたにしろ僕の勘違いにしろ、先生は素晴らしい人だと僕は思う。
あのとき先生は 不労つぴ @huroutsupi666
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