赤い鳥は青い星に飛ばない

千桐加蓮

第1話 憧れ

結藍ゆいらん、心変わりしたらどうするんだよ。この星から出れる、最後の宇宙船だぞ?」

 親代わりの松空しょうくうは、青色の目で悲しそうに私を見ている。 

 私は、松空の顔ではなく、目の前で燃えている宇宙船をずっと見ている。

 皮膚の感覚で理解したのだ。

「いいの。松空、私のお母さんと約束したんでしょ?」

 私は手を伸ばして、宇宙船に触ろうとした。続けて話しをする。

「『最後まで赤い星にいる』っていうお母さんの決意を、松空は受け継いでるんでしょ?」

 私の手は、松空の大きくて色白の手で止められた。

「巻き込むつもりはなかった。俺が、勝手に残っているだけなんだよ」

 松空は辛そうに俯いていた。しゅんとした口元は、十九歳の私より十歳ちょっと年上だとは思えない。なんだか幼く見える。

「私は、最後まで赤い鳥ってことだよ」

 

 私たちが住んでいる柊雁しゅうがん星は、そろそろ寿命を迎えるらしい。寿命を早めた原因の一つは、他の星に住んでいた民族同士の争いにより、柊雁が荒地と化したこと。荒れ地と化した影響もあり、食糧難にも見舞われた。

 また、柊雁人は開発途中の核爆弾を使い、内乱が激しさを増した。

 内乱が、滅ぶ道への決定的な打撃となったのだろう。

 戦死者や栄養失調で、皆亡くなっていく。周辺の星に頼って逃げれる者たちは、「柊雁星を見捨てるしかないのだ!」「仕方がないことなのだ」と言いつつも、早足で去って行った。

 そうやって、柊雁星の住民は消えていったのである。


「みんな、死んじまったからな」

 松空はぽつりと呟いた。この星に残っている松空と私は、丈夫な体であり、怪我の治りも早く、熱もすぐに良くなる。それに、空腹になることは滅多にない体質であるのだ。「血筋のおかげだろうなあ」と呟く松空、そして私は、山が残っている地域を転々としながら、ひっそり暮らしている。 

 松空が口癖のように言うのだ。「緑を見ないと元気は湧いてこない」と。

 けれども、鮮やかな緑色の木々があるところは、指で数えられるほどしかない。核爆弾で焼けたか、星の住民自ら燃やしたか。いずれにせよ、壊していったのは、星の住民たち。柊雁星の言い方をするのであれば、赤い鳥や赤い鳥の民らが破壊したのだ。


 柊雁星の王族紋章は、赤い鳥である。

 滅んでいくきっかけとなった戦争が起こる前、柊雁星に住む皆は、赤い鳥の民と呼ばれていた。「情熱的であれ!」という演説を、私の先祖の一人が行った行ったことが起源とされている。

 それから、住人らが一致団結して、様々なことに積極的に取り組んでいたらしい。

 祭儀なども定期的に行われ、柊雁星に住んでいる住人同士は、よく交流を深めていたという。


 本当かどうかはわからない。全て、松空から聞いていた話である。

 自らの目で確かめられていないのだ。

 三歳の時、松空から私には王家の血が流れている、という話を聞いた。

 その時、松空は高貴な血筋だったということも付け加えられたのである。

 松空は、私のために贅沢な暮らしを諦めてしまったのではないかと、七歳くらいになったあたりから顔色を伺いはじめた。

 だが、松空の様子を見ていると、むしろ今の生活を楽しんでいるのかもしれない。最近になって思うようになってきている。


「柊雁の気温はもっと上がるんだろうな。空気が変わってきた」

 松空は息を吐き、その場で腰を下ろした。

「風が強くなってきたんだろう。酸素が入ってきたな」

 松空は、私にガスマスクをつけ、自分もつける。

「酸素が入ってきたら、人間が移住してくるかもね」

 松空は微笑する。

「人間は、気温が高すぎると熱中症ってので倒れるらしい。それに、最近になって入ってくるようになってた酸素、地球の酸素より断然に少ない。人間たち、到着してすぐに窒息死するね」

 博識な松空を褒めた日、古今東西の書物を読み漁っていた頃があると言っていた。




 地球という青い星の話をしてくれたのも松空である。

 海と呼ばれている水に囲まれた大陸や島々。そこで暮らす人々。青い星には、幸せが詰まっている。きっとそうなんだ、と興味が湧いた。

 五歳にもなっていない私は、松空に何度も言っていた。

「ねえ、地球に行きたい!」

 十九歳の私が振り返れば、なんて呑気なこと言っているのだろう、と溜息を吐きたくなる。

 当時、内乱続きの柊雁星。

 誰にも知られないように身を潜めていた私と松空。

 私は、戦場を見ていないけれど、内乱が起こっていることは松空から聞いていた。

 そのため、数ヶ月に一回くらいは、潜伏場所を変えて過ごす。

 松空は、潜伏場所を探すのが上手い。幼い私を連れて、戦火や赤い鳥たちから遠く離れた場所に向かって歩いていく。

 松空に背負われ、「地球に行きたい!」と舌ったらずに言う私に、いつも言っていた。

「俺に熱意が伝わったらだな」

 優しく笑っていた。

 なんだか、子ども扱いされたようで私は悔しく思っていた。

 そう言われてばかりの私は、何度も青い星への憧れを語った。

 けれど、その知識は全て松空から得たもの。松空の心が動くことはなかった。

 知っている話を自分のことのように語っていた幼い私。十九歳の私から見れば、とても恥ずかしいことをしていた。頭を抱えたくなる。


 松空の心を動かせるための名案を思いついたのは、私が七歳の時。

 松空が知らない知識を私が知っている。尚且つ、松空が興味をそそる話や品を見せることができれば喜んで首を縦に振るだろう。

 私は、名案が思いついた日から、何度も松空の様子を伺って、松空の隙を突いて山の外に出た。

 いつも、山続きの道を歩いて居場所を見つけていくため、山の外に出たのは初めてであった。


 上を見る。闇夜に、大きな戦闘機が飛んでいる。

 押し潰されたかのような建物、生き物の死体。酷い景色が広がっている。

 平和に暮らしていた私には、刺激が強い。それに悪臭も漂う。


 それでも、私は心を落ち着かせて戦闘機の方向へ走った。

 サイズが合わないベージュ色のサイドゴアブーツを脱ぐ。防水機能があるとはいえ、少し大きかったのだ。

 そして走る。


――私は、どうしても青い星に生きたい。


 そのことだけを考えて、進み続けた。

 戦闘機は、人がたくさんいる方へ向かっていくはずだ。そこには、きっと地球を知るための、手掛かり材料があるに違いない。

 サイドゴアブーツブーツを脱いで走っていたせいで、足の裏にはヒリヒリとした感触があった。

 私の荷物は、防水機能があるリュックサック。

 それから、七歳の女の子の両手に収まる小さな水筒のみ。

 リュックサックには、地球に関する資料を持って帰るためのスペースを空けているので、水筒しか入っていない。


 時々、爆発音がして、息が苦しくなることがあった時、自分の意思を確かめるように唱えていた。

 

「私は、青い星に行きたい」


 暗闇の中、目が合ってしまった、私と同じくらいの女の子。血を出したまま、寝そべって動いていない姿を見ても、見ないフリをして唱えた。


「私は、青い星に行きたい」


 そうやって、鼓舞していく。

 松空が隣にいない寂しさも、今だけなんだと押さえ込んだ。



 朝を告げる鳥が空を飛んでいた。

 私は、だんだんと視界がぼやけていく中で、鳴き声を聞いた。

「朝になっても、都心部にたどり着かない」

 なんで。なんで?

 私の一歩が短かったせいなのか、体力がなかったからか。

 松空が教えてくれた、食べれるものもこの辺りにはない。

 空腹になることは滅多にないはずなのに、お腹が空いてきた。

 ここまでお腹を空かせたのは、この時が初めてだった。

 それでも、私は何度も見上げた戦闘機の方向に向かって進んでいく。疲労で走れなくなってしまい、一歩一歩が小さい。

 それでも、唱えた。


「私は、青い星に行きたい……」


 鳥がもう一度鳴いた。私は足を止める。

 待て、いつの間にか松空と一緒に行くことが当たり前になっているではないか。

 松空に説得して、一緒に行くことが前提で話しを進めていた。

 松空は、私が側にいなくても殺されたりしない。そういう大人であることはわかっていた。

 けれど、私は違う。

「帰れない……」

 帰り道がわからなくなってしまった。

 飛び出してから、ずっと考えていたのは青い星に行くこと。

 だんだんと、朝を告げる鳥が頭の中で木霊していく。

「でも、私は、青いほし、に……」


――行きたいの?


 松空の声で、棘がある声が想像され、再生された。


 一人で、行けるわけないじゃないか。

 松空と、もう会えないかもしれない。

 不安が胸の中に広がっていく。


――行けるの?


 知識がないくせに。いや、これから身につけるための品や話を持ち帰るんだ。


――でも、ここからどうやって帰るの?


 私の記憶にある、私を知っている人は松空しかいない。ずっと、松空に育ててもらっていた。だけど、私はその恩を捨て、自分の欲張りなことだけを考えて、ここまで来た。

 周りには、もう山はない。遠くの方に見えなくもないが、どの山からここまで来たのだろうか。

 周りには、荒れ果てた瓦礫やら、大きな石やらが転がっている。私の全身が隠れられそうな場所も見当たらない。上から丸見えになるか、核爆弾を落とされたら、私ごと吹き飛ぶ。もしくは潰される。


「私、死んじゃう」


 青い星に行くどころか、私が死んでしまう。

 私は、足から力が抜けていく。

「松空、会いたい」よりも先に出てきた言葉は


「ごめん、なさい」


 私が知ったように地球を語ってしまって。

 好奇心が打ち勝ってしまって。

 松空、今頃困ってるよね? 悲しいよね。

 私が、山暮らしに退屈しないようにと、色んな話をしてくれた。

 御伽話、自然、文字、歴史。私が心躍るものを、私に感情をくれた。

 なのに、私は大馬鹿者だ。

 なにも、松空に恩返しできていない。

 このまま、死ぬの、嫌だ。

「怖いよお。松空、ごめんなさい」

 怖いなんて言ってはいけないかもしれない。

 自分で勝手にここに来たじゃないか。



 爆発音や銃声が聞こえる。段々と近くなってくる。

 もう、動けない。声も出ない。でも、涙は出てくる。

 足の裏のヒリヒリとした感触も、疲労感も、何も感じない。

 ごめんなさい、って松空に言えていない。


 空を飛ぶ戦闘機がたくさん見える。まるで、私を狙っているように思える。

 足音も聞こえてきた。小さかった音が、徐々に大きく聞こえてきた。

 だが、息を切らす音も、枯れた声も聞き覚えがあった。

「結藍!!」

 涙が溢れ出てくる。起き上がろうとした。

 ごめんなさい、って心から謝らなければいけない。

 もう、二度とこんなことしない。

 だから、側にいたい、って言うんだ。

 松空、ごめんなさい、って言うんだ。


 それなのに、声が出ない。間違いなく、松空の声がするというのに。

 でも、私を見つけてくれたことが嬉しくてたまらない、と一番に感じて、見捨てないでいてくれたことに安心した。

 迷惑をかけたことに恥ずかしくなっていく。

 今、色んな感情が混ざっている。


 爆発音が松空がいる方向から聞こえてきた。

 上を見ると、松空を目がけて戦闘機が爆弾を落としている。

 地面が揺れる。松空の顔がぼんやりと見えたように思う。


 大きな爆発音が頭に響いた。

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